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多様性社会で行動する勇気

多様性社会と自分をにらめっこすると、いつの間にか接しては過ぎ去り、深く考えずに過ごしてきた道なのかなと捉えている。

小学生時代を振り返ってみると、私は知的障害の子とよく遊んでいた。
何もわからずにうまく接してみようと試みたように思える。
その子が喜んでくれたら、それでいい。
そう思いながら。

大きくなって恋をして、人と接して学ぶこともたくさんあった。
海外の方だったり、同棲しか好きになれない子だったり、様々な性的嗜好を持つ方だったり。
それぞれの話を書いていくとそれこそ長編になってしまうので今回は掘り下げないが、世の中は広いなって毎度毎度感じたものだ。

そして社会人になり、お昼の仕事で身障者の方と一緒に仕事をすることがあった。そこで意識をしたのは、その人から教えを請おうとしたこと。
自分の方が偉いとかは絶対に考えないようにしたのだ。

本来、役割は違っても、役職なんて関係ない。
そのように考えて、一緒に接するようにしたのだ。

その方は私よりも遥かに優れたITスキルをお持ちの方だったので、開発に専念してもらうだけでなく、打ち合わせでも極力発言をお願いするように話を回した。
あと、その方の良いアイデアであれば、それを採り入れるようにしたのだ。

そうすることによって、チームも組織も。そして、その方のモチベーションが明らかに変わった。

その方との仕事が終わって、チームが離れる時に言われた言葉は、今も忘れることができない。

「一緒の仕事は楽しかったよ、ありがとう」

こう言われて、私も一緒に仕事をしてきて良かったと思えたし、自分の接し方もきちんとできたのだと言うのを理解できて、ほっとした部分もあった。
そして何よりも、これから同じようなケースがあったとしても、何とかやっていけると考えたのだ。

もちろん、人との接し方は一度や二度の経験で上手く行く訳がない。
でも、ベースとなる考え方が間違っていないと言うことを感じたのだ。

今でこそ日本は、多様性を語る社会になった。
いや、語れる社会になったが正しいだろう。

多様性と言うのは、年齢や性別、国籍や障害の有無、性的思考に関係なく、すべての人々が自分の能力を活かして働ける社会を目指すことだ。

企業でも最近は「ダイバーシティ」と言って、評価育成や働きやすい環境づくりを推進して行く取り組みもやっている会社も多くなってきた。

それでも、日本社会が多様性を理解できている社会なのかと言えばまだまだ未成熟だ。

多様性社会だと言いたいのであれば、当たり前の話であるが、少しずつ一人一人の意識で変えていくことが大切である。

とは言っても、どのように接していくのか?
接する立場としても、話を聴く立場としても、一抹の不安がある。
それはみんな同じなのだ。

私も正直、毎回毎回人と接してもこれが正解と言うのはわからないし、仕事での経験があっても完全に理解できたとは思っていない。
間違えて人を傷つけたりしないかと言う不安は、常に付きまとう。

でも、進んで行動して、人と接さないやってみないことには、接し方もわからないままであるし、何よりも相手も困るのだ。

だから、自分が思った形で思い切って相手と接してみるしかないのだと私は考えている。
実際に私が今まで、行動してきたように。

正直、私も人見知りするタイプだし、自分から進んで意見を言うタイプでもない。それでも、今の現状を何とかしなきゃと考えて行動し、人と接してきた。

例え間違えても、誤りを相手から気づかされたり、自分で気づいたりして、そのことを次は繰り返さないようにすればいいのだ。

人とのコミュニケーションは、一つ一つ学んで、それが積み重なって、ようやくうまく取れるもの。
それは、どんな社会でも共通していることだ。

人にはたくさんの個性がある。
心の問題や身体の不自由さ、国籍の違いやジェンダーの話。例を出すときりがないが、これらは人それぞれが持っているものだ。
むしろ、その個性があることで、輝いているように見えることもある。

相手の個性を意識して知る行動が、多様性社会の中で生きる上で大切なのかなと、私の小さな世界の経験から考えるようになったのだ。

勇気一つで、自分の視野が広がる。
こんな考えを一つ持っておくことで、多様性社会でも自分の色を出して行けるんじゃないかな。

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