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人の痛みがわかる人

小学校三年生の時、僕は新しい自転車を買ってもらった。

自転車を買ってくれたのは、いとこのおばさん。
誕生日に、おばさんから自転車と手紙をもらったのだ。
そのことを今でも覚えている。

手紙にはたくさん文章を書いてあった記憶があるのだが、この一文だけは、今も忘れることはない。

人の痛みがわかる人間になってください。

この一文は、今でも強烈に覚えている。

その頃は僕もまだ小学生だったので、「自分自身」と言うものが確立されてなかった。
自分のことや自分の想いを人に伝えられず、友人からいじめられ、悔しくて悲しい思いをずっと続けていた。

おばさんは、いつも人前できちんと話せない、泣いてばかりの僕を心配したのかわからなかったが、この手紙は僕の中で一筋の光となったのだ。

リアルなことを書くと、ちょっと引いてしまうような事だってあった。

実体験を書くと人にはドン引きされるので詳しくは書かないが、その当時でもリアルで教育委員会に訴えることが出来るレベルの話だ。
もし親の立場だったら、間違いなく訴えていただろう。

そんな痛くて辛い思いをたくさんしてきたから、人に傷つけられてきたから、同じ立場の人の痛みが痛いほど理解できたりする。
一緒に泣いてしまうぐらいに。

自分を正直に出せなくて、自分の想いを伝えられなくて、辛い思いをしている人たちは世の中にはたくさん居る。

実際に、昔の僕ははそうだった。

今でこそ、人前で話をしたり、占いで伝えたり、こうやってnoteを書いているが、「自分を表現するのが下手だ」と言う思いは、誰からどんなに褒められても、悲しいかな昔のトラウマと共に決して消えることはない。

人の痛みがわかる人って、相手の立場に立って物事を考えられる人だ。

自分がもし、同じことをされたらどんな想いをするか、今一度考えて欲しいと切に願う。
そしてもし、今痛みを受けている立場の人であれば、その事を反面教師として進んで欲しい。
自分が痛みを受けたからと言って、他の人に当たるようになるのは論外だ。

ところで、さかなくんのコラムで、メジナの話って知ってるだろうか?

メジナって言う魚は、広い海で普段群れを成してる泳いでいるのだが、水槽の中に入れると、群れの中で一番小さかったり、弱っている魚をいじめるのだ。
可愛そうだから、いじめられている魚を別の水槽に逃がしてあげるのだが、そしたら、残った魚の中から一番弱ってる魚をいじめる。

だから、いじめってなくならない。
水槽ではなくて、広い大海原に出てみようって言う話だ。

傷ついた心って、そうそう治るものではない。
でもそのことを糧にして、「自分はこうありたい」と思えるようになればいい。
そして、違う場所で自分が生きるフィールドを探せばいい。
僕が大きくなるにつれて、さかなくんのコラムに書かれたことを考えるようになった。

おばさんの手紙を読んで、もうすぐ40年近く。
そんな僕は今、占い師さんとして、人の痛みを聴いたり、解決してあげたりする人に向かおうとしている。

これからも雨の日には、雨宿りしてる困ってる人にそっと傘を差せるように、心を磨いて、前に進みたいと強く願う。

本当の意味で、人の痛みがわかる人になって。

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