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娘がハイハイをやめた日

いつだって新しいことを覚えるのは突然で、赤ちゃん特有の習性が消えてゆくのも必然だ。

昨日から娘を見守っている中で【ハイハイしなくなったなぁ】と薄々勘づいていた。そのなんとなくの予感が今日確信に変わる。

先日迎えた1歳の誕生日を前に歩き始めた娘。身体の操縦が不安定で2、3歩歩いては座り、諦めずに2、3歩歩いては座り込む。娘からするとそれはキツイ修行ではなくただただ好奇心に駆られるまま楽しく鍛錬していたようだった。

1歳と10日が経とうとしている今日。1日ずっと見守っていたが、ついにハイハイが見られなくなった。手をつくことも無くスっと立ち上がりヨチヨチと歩く。擬音のヨチヨチがこんなにも似合うことがあるとはと感心するようなヨチヨチ歩き。

公園で2歳や3歳の子が駆け回り、その母親が後を追っている様子を度々目にしていたがそう遠くない将来自分もあの【子を追う母親】になるのだろう。

いつまでも歩かなければそれはそれで心配でいっぱいになるだろうに、ハイハイする姿が可愛かっただけにもう見ることは無いのかと思うと寂しい。これは育児を通して都度都度感じる親心の矛盾だろうか。


言葉の種類も1日1つと言わず、まるでオウムのように次々と真似てみせる。

「まま」に次いで2つめの発語は残念ながら「パパ」……ではなく、「あ〜ぁ。」という言葉のため息だった。娘がティッシュやねこのゴハンをイタズラしたときに私が「あ〜ぁ。」と落胆する様子が、娘の中ではパパよりも強烈に印象づいてしまったのだろうか。

ほかにも娘なりに確かな意志を持って「あああーあ!あーああ!」と話しかけてくるのだが、本気で考えても分からない「あ」が今はありすぎる。いつのまにかこの「あ」が様々な意味を持ってくるのだろうか。

寂しいと言いながら、それ以上に成長が楽しみだ。

毎日スマホの容量が溢れんばかりに写真もムービーも撮っているのが幸いだが、ゆっくり見返すまもなく目の前の娘はムキムキと大きくなっていく。愛しい毎日を目に焼き付けながら、今日も娘の一歩後ろをついて歩いた1日だった。

明日もいい日になりますように。

2020/11/28 こさい たろ


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