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さよなら乳児、こんにちは幼児

「1才を越えた途端に人間っぽくなる」
そう語るのは子ども4人を育てる同級生のママである。

初めての育児で毎日すべての出来事が新鮮な私にとっては、1才を越えずとも生まれてすぐに大人と同じ形の小さな小さなお手手とあんよがあったことや、初めて離乳食をスプーンで口にした日、「まぁ~まん(おそらくママ)」と話した日……そのどれもが人間らしくて、先輩ママの言い分にピンとこないまま過ごしていた。

ところが娘が1才の誕生日を迎えた途端、まるで赤べこのようにぶんぶんと首を縦に振りたい私がいる。


怒るときに大声で泣いていただけの娘の泣き声に「キィヤアアアア!(※悲鳴)」、「イヤアアアアアアア!ヤアア!!!!!!」(※怒声)と、確実に “癇癪” の感情が上乗せされた。

拒絶するときも、口をつぐむだけでなくプイっとそっぽを向くのは序の口で、顔を横に大きく振り身体全体でNGを表すようになる。

さらに、いつもは与えるままにもぐもぐと食べていた離乳食。なにがきっかけで美食に目覚めたのか分からないが、やわらかい粥ではなく大人と同じ焼き魚や肉を欲しがるようになった。今日にいたっては「自分でスプーンを持って食べたい」と、食事の内容ではなく食事スタイルにも彼女なりのこだわりが出てきた。


親の心 子知らずとはよく言ったものだが、反抗期とはまた違う形で私の精一杯の愛情(自称)がなかなか伝わらない。いつも気に入って食べていたプチダノン(ヨーグルト)を思い切りぶん投げられた時には、怒りのコントロールの仕方を模索したくてひと時娘と目を合わさないようにしてしまう。ちなみにぶん投げた理由はどうやら「あーん」ではなく自分で食べたいという主張だったようだ。合っているか間違っているかは分からない。ただ分かっているのは目の前にこぼれたヨーグルトを掃除しないといけないということだけ。

私のほうが観念してヨーグルトを拭いていると、今度は手伝おうとして彼女が着ているものの袖にヨーグルトが広がっている。書いていて私がどんくさいだけならどんなにいいかと思ったが、次から次に、私が「生活の常識」だと思っているものをぶち破ってくるから目が離せない。


……途端に自我が芽生えた、という話をしようと思って書いていたのに1日の育児のボヤキに徹してしまってどうにも頭の回転が鈍い。それもこれも、寝室から娘の泣き声が聞こえてきており、夫がなだめているのを感じるがおそらくこれは治まらない泣き方だということも、私もママ歴2年目なりに分かっている。

これがずっと続くわけではないから、今宵はnoteはこのへんでいったん娘をあやしに寝室に戻ろうと思う。おそらく時間的に一度戻ると私まで一緒に眠ってしまい気付けば明日の朝だろう。時間が過ぎていくのが本当に早い。


もっともっと書きたいことがあったが、娘を寝かしつけながら頭の片隅で推敲するとしよう。全国のママさん、パパさん、そして私、お疲れさま。そしておやすみなさい。


2020/11/19 こさい たろ



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