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完母・完ミ・混合、ママに決定権はなかった

完母とは「完全母乳育児」、完ミとは「完全ミルク育児」、混合とは2つの中間「母乳とミルクを混合した育児」。それぞれ授乳の方法のことを表す言葉だ。ママ友の間ではいつも話題にあがるワードであるにも関わらず、子どもができるまでは全く縁がなかった単語である。

娘を授かったことを機に、ひとえに授乳といってもこれらの3通りの選択肢があることを知った。赤の他人が何の気なしに「母乳で育てているの?」と話をふってトラブルになることも珍しくない。


母乳とミルクそれぞれのメリット・デメリットをふまえた上で、私としては「混合」で育てようと“勝手に”計画していた。この勝手というのは私と夫、ふたりの“勝手”である。娘を抱いて授乳してみたいという私なりの母性もあったし、とはいえ育児に積極的な姿勢を見せる夫と“授乳”という大仕事を分担したい気持ちもあって、母乳とミルクの両方で育てていきたいと思っていた。

産婦人科や各種育児サイトでは、妊娠中期~後期に「赤ちゃんを迎えるための諸グッズをそろえ始めましょう」と指導がある。混合授乳を希望していても、「母乳:ミルク」の比率がわからなかった私たちは、一体どの哺乳瓶をどのくらい購入すればいいか見当がつかなかった。店舗の販売員に訊くと「哺乳瓶を洗うことも考えて2本前後」と言う。哺乳瓶を洗うことの面倒くささを知らなかった私たちは、“見た目がいい”というシンプルな理由でドイツ製の哺乳瓶を1本だけ用意した。(あとでわかったが、おまけにMサイズだった)

そんな私たちは 娘が生まれた翌日から始まる産院の授乳指導で、哺乳瓶が1本ではどうにもならないこと、それから新生児にはMサイズの哺乳瓶が大きすぎて授乳させづらいことに気がつき慌てた。自分たちなりにしっかり用意したつもりだったのに、出産翌日に夫がドラッグストアに駆け込んだと思うとなんとも可笑しい。ちなみに、他の新米ママも皆なにかしら足りないものに気がついてAmazonや楽天を使って次々にグッズを買い足していた。(哺乳瓶を見落としたママは結構いた。ほかに意外と見落としていたのは円座など)

おまけに、飲み口が小さい哺乳瓶は洗いにくい上に使用するたびに滅菌する必要があり、昼間はともかく夜間は授乳するのが精いっぱいで哺乳瓶を洗うことまで体力が追い付かなかった。かつての店員の「2本あれば」どころか、最終的には4本の哺乳瓶をローテーションしていたわが家である。


生後2か月までは、私が授乳している間に夫(平日は実母)がミルクを調乳し、母乳で不足しているぶんをミルクで補う日が続いた。第一子ということもあり私も夫も手探りの育児ではあったが(実母は完全母乳で私を育てているためミルクの調乳さえ初めてだった)、私たちなりに混合授乳はうまくいっていると思っていた。


そして生後3か月になったとき、娘に自我が芽生える。突然、哺乳瓶を咥えなくなった。はじめはお腹がいっぱいなのでは、新生児用の哺乳瓶(Sサイズ)では飲みづらくなったのではとあの手この手を尽くしたが、きっかけ不明の哺乳瓶拒否は終わらなかった。

産院に相談すると、「ママの母乳で足りているということでしょう」とニッコリ。完全母乳ではなく混合授乳したいことを伝えると、「乳頭混乱」という現象があることを教えてもらった。哺乳瓶のシリコンの感触と母親の乳首の感触が違うことに感づいて拒絶反応を起こすそうだ。賢い。

夫と散々ミルクの量や授乳時間を話し合って授乳が軌道に乗ってきたところであっけなく「完全母乳育児」を選択することになり、生後10か月の今に至る。


そうだ、混合授乳にしたいと決めたのはあくまで私たち両親の“勝手”でしかなかったのだ。哺乳瓶がSサイズ、Mサイズ、本数もトータル4本もあったって、娘が母乳がいいと言えばそれがすべてだったのだ。時代が進んでミルクが母乳に引けを取らなくなったって、娘が嫌だといえばそこまでなのだ。たったそれだけのことだが、育ててみて初めて分かった。大げさに聞こえるかもしれないが、私にとっては本当に青天の霹靂だった。


どうして唐突にこんな思い出話を書こうとしたかというと、ちょうど離乳食後期に差し掛かった今、赤ちゃんによってはつかみ食べをする子が出てきた。両手を食べ物でぐちゃぐちゃにしてつかみ食べをする子もいれば、かたくなに大人の「あーん」でしか食べない子もいる。中には離乳食の一切を拒む子も珍しくない(私がそうだったらしい)。

とあるママ友が、「一向につかみ食べをする気配がない」と悩みを話した。私としては、「手が汚れるし、片付けも大変だし、わが家はつかみ食べはあまり積極的には考えていないよ」と持論を語ったところだった。ところが、その直後、これもまた唐突に娘はフルーツやビスケットを手づかみで食べるようになった。私が口元までもっていくと、顔をそむけたあと両手を大きくこちらに伸ばしてくる。発語はまだできなくても「ちょうだい」という想いは目を見れば伝わってくる。そうか、私がつかみ食べをさせる気がなくても、娘がその気なら対応するべきなのだろう。またもや、私は“勝手に”決めたつもりになっていたのだ。


育児に正解はない。健やかに元気に育てば、細かい過程は問われない。これからも私が勝手に決めて、娘が自分で取捨選択していく毎日が続いていくのだろう。ダメなことはダメと教えつつ、娘の意思を尊重できる自分を忘れずにいたいと思いながら、床に散らばった食べ物のかけらを拾い集めた今日だった。


シルバーウイーク中盤戦、楽しんでまいりましょう。おやすみなさい。

2020/09/19 こさい たろ

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