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【駄文】高校・公民の教師

 担任でもなく、顧問の先生でもないのですが、私の人格的なものに大きな影響を与えた恩師が、高校2年~3年の「公民」を担当した先生になります。名前も忘れてしまいましたが、常に感謝の気持ちがあります。

 天職(calling)という言葉を知ったのは、この先生からです。実は拙著「公務員のタマゴに伝えたい話」に掲載している「フロンティアミッション」の項見出しでは「calling」を使用しています。また、「題名のない物語」でも「天職」がキーワードの一つとなり、最終話の「天は二人に微笑むような柔らかな光を降り注ぐ」に繋げています。

 仕事で「逆境」にある時にこの「天職」という言葉を拠りどころにして、自分を奮い立たせようとします。恰好良く言えば「天が我に与えた使命」ということになりますが、この逆境にも何かしらの意味があるのだろう、成功するにしても、失敗するにしても。ということを考えながら業務に取り組むようにしています。職業としての「天職」だけではなく「業務」にも切り分けて考え、時に人との出逢いについても拡大解釈したりしています。
 私を支える、大切な言葉となっています(転職・退職を否定するものではなく、それらも含めて天職という考えです)。

 また、私が好んで使う言葉として、「一つの解」、「正 反 合」ということには、デカルトさんという哲学者が提唱する「弁証法」という思想が背景にあるのですが、このことを教えてくださったのも、この先生でした。
 さらに、「GDP(国内総生産)の数字が高くなったからと言って、良いこととは限らない。その数字の背景にあるものは何か。例えば、国民が疫病で苦しみ、薬の生産が増えてもGDPは上がる。それじゃあ駄目だと思わんかぁ。大事なのは中身なんだよ」という話もされていました。

 そして、何よりも思い出されるのは、その姿勢です。当時の大学受験における社会の主流は「日本史」と「世界史」でしたので、公民の授業を真面目に受ける生徒は、かなり少ない状況でした。部活などの内職をしたり、他の教科の勉強をしたり、教室はかなり自由な空気でした。
 けれど先生は倦むことなく、授業を行い、僕たちに大切な何かを伝えようとしていました。

 真面目とは言えない生徒でしたが、志望大学の受験科目に「公民」があることもあり、この先生に好感を抱いていたこともあり、この先生の授業はちゃんと聴くようにしていました。
 結果として、一般的な大学受験をすることはなく、授業で学んだ教科的な内容はあまり意味はありませんでしたが、この先生の教えは30年以上の時を経ても、心に残り続けています。
 また、この先生は身体的な障がいをお持ちで、生徒の中にはそれを揶揄するような者もいましたが、そういう行為に反発を覚えたことも、今もなお心に留めています。

 直接、お目にかかることは無いと思いますが、先生の教えを胸に、これからも精進していくことで、先生への御礼とさせていただきます。
 先生の教えを受けることができて幸せでした。ありがとうございました。

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