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塩抜きしても美味しいライトノベル

私の趣味の一つに、読書がある。
読書にハマったのは中学生の終わり頃で、友人の部屋で読んだ「スレイヤーズ」が入り口だった。最初はライトノベル作品が多かったが、すぐに山田詠美や村上龍、乙一、石田衣良、村山由佳なども読むようになった。その結果、私の本棚はだんだんと雑多になっている。
今でもライトノベル作品をつまみ食いしている中年の私だが、興味深いライトノベル作品を読む機会があったので、その紹介させていただきたい。

その作品名は「千歳くんはラムネ瓶のなか」だ。

この作品は、実在する地方都市、福井県福井市を舞台にした青春モノで、地元で一番偏差値の高い公立高校に通う「出来の良い」高校生たちの物語だ。
受賞歴は華々しく、小学館ライトノベル大賞の優秀賞作品や、このラノベがすごい2021第一位にも選ばれ、2021年6月時点で原作の小説が5冊に加え、コミックも発行されている。

この作品の一番の特徴は、リア充たちの高校生活にスポットを当てたことだ。タイトルにもなっている千歳 朔(ちとせ さく)くんは、容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、面倒見もよく弁も立つ、スクールカーストのトップグループの中心人物だ。その一方、一部の男子生徒からは、お盛んで鼻持ちならない男として、大層親しまれている。

スクールカーストトップグループといっても、そのメンバーたちは善良で優秀な、あくまで一般の生徒たち。スポーツで全国レベルでもなく、権力者や大金持ちなどの特殊な家系でもない。ヒロインたちは学校のアイドルではあっても本物のアイドルではないし、宇宙人でも未来人でも超能力者でもない。異世界にも行く様子も、今のところない。
そんなあくまで「出来の良い」高校2年生達はしかし、ライトノベルのメインキャラクターとしては珍しく、アマゾンのレビューを見ても、リア充を主人公に据えた点が話題の中心になっている。

そんな物語の舞台となるのは、福井県福井市。
私にとって生まれ故郷であるこの場所なのだが、この地方都市について話題にしたとき、多くの人は、場所もピンとこないし、何かを連想することもないだろう。
以前、京都府民に「福井?へぇ、それはどの地方で?」と言われたのは衝撃は、今でも覚えている。
観光地としては、風光明媚な自殺の名所である東尋坊や、恐竜博物館、スキーリゾートなどが挙げられる。(ちなみにここで挙げた観光地は、いずれも福井市ではないが)
ご当地グルメとしては、カツ丼(福井ではデフォルトでソース味)や、8番らーめん(ご当地チェーン店)などがある。
そんな、探せばネタは出てくるが探る動機が生まれない、どこにでもある地方都市だ。

私がこの作品を面白いと思った一番の理由は、このどこにでも存在できる「出来の良い」キャラクターと、どこにでも存在する地方都市をかけ合わせた点だ。

現実にある土地を舞台にし、かつSFや怪奇現象などのわかりやすいファンタジー要素を除いたライトノベル作品は、数は少ないものの、いくつか存在する。最近の作品では、「弱キャラ友崎くん」や「スーパーカブ」がそれに当たる。

「弱キャラ友崎くん」は、埼玉県さいたま市が舞台だ。主人公は人気のアクションゲームで日本ランク1位をキープしている、一流ゲーマーの男子高校生。ゲームではトップだが、現実では冴えない見た目のコミュ障男。そんな彼を「強キャラ」に導くのは、同じゲームの日本ランク2位で、同じ学校に通う同じクラスの女子生徒。しかしこちらは、容姿端麗で文武両道のリア充コミュ強だ。そんな彼を現実世界で成長させる(レベル上げをする)フィールドとして、さいたま市が登場する。
「スーパーカブ」では、山梨県北杜市が舞台となる。この物語は、女子高校生の子熊さんが、オートバイを通じて社会と交流し、自分の世界が広がっていく様子が描かれる。そんな物語には、日本のほとんど禁止されている「高校生のバイク通学」が認められ、オートバイを日常生活で活用する意味のある土地が必要になる。
この2作品はどちらも「その土地で語る」意味をもつ物語で、その土地の持つ特徴を使い、物語が展開する。
仮にそれぞれの舞台を入れ替えた場合、友崎くんのレベル上げに北杜市は狭すぎるし、小熊さんはさいたま市でオートバイに乗ろうとしないだろう。

特徴的な人物が登場する作品は、挙げる必要もないくらい溢れている。
先に挙げた友崎くんだって子熊さんだって、十分特別だ。特別ではないキャラクターが出てくる作品は純文学作品に多く、それに比べてライトノベル作品の登場人物たちは、わかりやすさを売りにするためか、特にキャラクターに対する味付けが濃い。

特徴的な舞台で、特徴的なキャラクターが活躍する作品だらけのライトノベルのなかで、この「千歳くんはラムネ瓶のなか」は、違った立ち位置にいる。そのため、「こんなのラノベじゃない」と感じる人もいるようだ。それはその通りで、この作品は大変ラノベっぽくない。娯楽性が低いライトノベル作品。それなのに、面白い。

つまり、「千歳くんはラムネ瓶のなか」は、舞台やキャラクターの味付けを「薄く」する事で、ライトノベルと純文学の間に立った、稀有な作品である。ここが一番面白いのだ。

その他にも、千歳くんが全肯定されない点や、題名の付け方なども、文学作品の影響を感じる。当初は、ラムネ瓶を爽やかな、青春物語のイメージで捉えていた。作中でもそう感じさせる表現をしている。
例えば「美しく在りたいんだ。あの日見た月のように。いつか本で読んだ、蓋の開かないラムネの瓶に沈んだビー玉みたいに」とある。
この文章、言葉では美しく、となっているが、ラムネ瓶の存在はどこか不穏で不気味だ。「できる子」である彼が、ラムネの詰まった瓶の底に沈み、ガラスでできた偽物の月に手を伸ばす。ラムネのビー玉は決して底まで降りてこない。その瓶は、美しくも残酷で冷たい檻ではないだろうか。

また、その特殊な立ち位置故に「ハマる人とそうじゃない人がはっきりする作品」と言われている。その分け方は簡単で「文学作品とライトノベルが好き」な人にはオススメする一方、「マンガとライトノベル」が好きな人はハマらないだかもしれない。
もし、普段はマンガとライトノベルしか読まないけれど、この作品を面白いと感じた方は、読むジャンルを広げてみることをおすすめする。

・・・さて、好きな作品を紹介するはずが、その理由が味付けが薄いからだなんて、なんだかとても「面白くなさそう」な作品紹介をしてしまったような気がする。
誤解しないでいただきたいのだが、味付けが薄いのはあくまで「ライトノベル作品として」であり、私はこの作品を面白いと思っている。
なので、私の言うことは一旦忘れて、ぜひ読んでみていただきたい。

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