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イヌニャン、という在り方

イヌニャン、というキャラクターをご存じだろうか。
人気作品「妖怪ウォッチ」のキャラクターで、本当に少しだけゲームやアニメに登場する、いわゆる「ちょい役」だ。
犬なのか猫なのかわからない、おかしなキャラクターだな、と思う程度の存在だった。それがとあるきっかけで、憧れのキャラクターになったのだ。そんな彼を、ぜひ知ってほしい。

私が彼の存在を知ったのは、もう5年ほど前になる。
その出会いは突然で、かつ偶然だった。
わんにゃん!!
子どもの持っているスマホから、そんな声が聞こえてきた。
わんにゃん!!わんにゃん!!わんにゃん!!
それも一度ではなく、何度も。
どうやらゲームで遊んでいて、そのゲームに出てくるキャラクターの声らしい。

わん・・・にゃん・・・?
その、イヌなのかネコなのかわからない鳴き声のキャラクターはなんなのだろう。
子どもに尋ねてみると、「いぬにゃん!!」と、元気に答えてくれた。

いぬ・・・にゃん・・・?

その、イヌなのかネコなのかわらない名前はなんなのだろう。
子どもにどんなキャラクターなのか聞いてみると、「いぬみたいなねこのけらい!」とのこと。
どうやら、いぬにゃんはネコらしい。
いや、この回答だと、犬みたいな猫であるいぬにゃんが他のだれかに仕えているのか、犬みたいな猫が主人でその家来がいぬにゃんなのか、どちらなのか判断できない。
犬なの?猫なの?と、尋ねてみると、「たぶん犬?」だそうだ。

「あなたは犬派?それとも猫派?」という対立も使われる、人気ペットの2台巨頭をその身に併せ持つ彼(もしくは彼女)のアイデンティティーは、いったいどこにあるのだろう。
そんなことを考えながらも、それほど気にも留めていなかった。

2度目の出会いは、アニメだった。
テレビアニメ妖怪ウォッチの93話「モモタロニャンと三匹のお供」に登場する彼は、はぐれた主人(モモタロニャン)を探し回っている最中に、ジバニャン(ポケモンでいうピカチュウのようなキャラクター)を主人と間違えて飛び掛かる。
主人の名前から分かる通り、桃太郎がベースとなっているので、イヌニャンのほかにも、サルニャンとキジニャンが登場する。
誤解はすぐに解けるものの、ジバニャンからもらったチョコ菓子がおいしかった事もあり、そのままジバニャンになつき、三匹はあっさりと家来になる。
そして、ジバニャンと共に、アイドルのコンサートに行ったり、握手会に行ったり、ゴロゴロしたりダラダラして過ごす。
物語後半にはモモタロニャンと再会するも、より強力な家来と出会った彼にクビを言い渡されてしまう。
そこで、なぜか鬼退治に執着するイヌニャン達三匹は、ジバニャンにモモタロニャンの代わりになり、自分たちを鬼退治に連れて行ってくれと頼むが、あっさりと断られてしまう。

そんな10分に満たない短い物語に登場する彼は、イヌを模したネコのキャラクターであり、その分かりやすいデティールとして、「〇〇ですにゃん」とか、「〇〇だわん」と話す。サルニャンの語尾は「キー」、キジニャンの語尾は「キジ」にほぼ統一されているのに、イヌニャンだけは2つの語尾を交互に使う。「にゃん」と「わん」を交互に話す。なぜか彼だけは、語尾が2つ使われているのだ。
そんな彼のことを、犬でもない、猫でもない、設定が不安定なキャラクターなのだと思っていた。アイデンティティが崩壊しているキャラクター。そう思っていた。
しかし、もしかしたら彼は、最もアイデンティティが確立されているキャラクターなのかもしれない、そう考え直す機会があった。

そのきっかけは、自己肯定感についての話を聞いたときだった。
ビジネス書を読んでも子育て本を読んでも、大体出てくる自己肯定感。
猫も杓子も自己肯定感。自己肯定感がすべてを解決するとも言わんばかり。世は正に、大自己肯定感時代だ。
だが、多くの人は、自己肯定感について勘違いをしているらしい。
自己肯定感とは、自信や自尊心とは全く違うもだそうだ。
自己肯定感の高い人とは、優秀な人間でも、理由なく自分は優秀だと思える人間でもない。自己肯定感が高い=ポジティブ、自己肯定感が低い=ネガティブ、でもない。恥を感じない人でもない。
自己肯定感が高い状態を簡単に表現するなら「自己肯定感なんて気にならない」状態なんだそうだ。
自分は自己肯定感が高いだろうか?と考えている時点で、それほど自己肯定できていないということだろう。

その話を聞いたとき、これまでに読んできたマンガのだキャラクターが、ズラズラと頭に浮かんだ。
悟空、キン肉スグル、ジョセフ、ターちゃん、ルフィ、などなど。
少年ジャンプの主人公は、揃いもそろって自己肯定感が高そうだ。
そんな錚々たる顔ぶれに並んで思い浮かんだ一人が、イヌニャンだった。

犬なのか猫なのか分からない。語尾すら安定しない。アイデンティティが定まっておらず、強くもないしレアキャラでもない。ガチャなら外れ。
そんなイヌニャンだが、しかしそれは、ただの決めつけだったのではないだろうか。
犬なのか猫なのか、本人は気にする様子もなく、犬なのか猫なのかのアイデンティティなど必要としていない。堂々と「ワンニャン」と鳴くし、語尾は「わん」も「にゃん」も両方使う。だってイヌニャンなんだもん。

犬でも猫でもなく、イヌニャンとしての自分を受け入れている彼は、主人であるモモタロニャンには暇を出され、変わりをお願いしたジバニャンにも断られる。そこで話は終わらない。なんと彼は、自らイヌニャンであることを辞め、モモタロニャンになろうとするのだ。
イヌニャンとしてのアイデンティティすら投げうち、自分を定義するあれこれに執着せずに、次のステップに踏み出す彼。主人公でもない、強くもない、それでも歩みを止めない彼。その雄姿は私の網膜に焼き付いている。

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