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HSPだから考えてしまう。“自分語り”の大義名分。

目的を考えていると書けない。いざ書き始めると目的が見えない。

ずっとnoteを更新したいと思いながら、なかなかできずにいた。

コピーライターのはしくれをしていた私は、書くという行為は、

「商品やサービスの価値を届けるため」にある、と無意識に思っていた。

コピーライティングは、「その商品の価値」を見い出して、言葉で表現するものだと思っている。

自分の人生や経験に価値を感じられないから、書き始めることができなかった。“自分語り”に嫌悪感を抱いてしまうのだ。

でも、書いてみたいという衝動に駆られるのだ。

“自分語り”をする目的を明確にして、更新する大義名分をつくりたいと思った。

書きたいなら勝手に書けと自分に言ってやりたいが、

納得しないと動けないのが「刺激追及タイプの繊細さん」の性だから仕方ない。

noteを書く理由①表現したい

ノンフィクション文学やエッセイが好きだ。初めてその面白さを知ったのは椎名誠の『本の雑誌血風録』。ほかにも、石川直樹の『最後の冒険家』、沢木耕太郎の『殺人者たちの午後』、ボブ・グリーンの『チーズバーガーズ』、ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』、フランクルの『夜と霧』も好きな本だ。

生々しい人間の心理が文学に昇華されて、とてつもないエネルギーで心に迫ってくる。自分の体験を素材にすることはやっぱり恥ずかしいのだが、目に見えないものを言葉で表現することの喜びを感じたい。それが理由の一つ目。

noteを書く理由②自分を知りたい

もう一つ関心があるのがナラティブ・アプローチである。過去の経験を書くことで、自分と対話し、自分という存在の輪郭をみてみたい。いま人生のどこにいて、どこへ向かっているのか?自分の人生の目的や意味を言葉にして、統合されたものに表現できないかという期待がある。書いて表出することで、新しい解釈に出会えるかもしれないからだ。

ナラティブに興味を持ったのは最近のことではない。大学生のころ、興味本位で「社会調査士」という資格をとってみた。そこで量的調査と質的研究というものを学んだ。ゼミではどちらかを選ばなければならないので、面白そうな後者を選んだ。統計的な分析よりも、人の語りを分析するほうがワクワクする。そして、キャリアのカウンセリング理論で学んだナラティブ・アプローチを体験し、その豊かさ、癒しの効果に感動した。だから、自分のことを書いて語ることにどんなギフトがあるのか、みてみたいのだ。(話すことだけでなく、書くことにもカウンセリング的な意味があると思う)

noteを書く理由③つながりたい

結局、私はさみしいのだ。内向型で繊細な私は口下手だ。そのくせ頭の中がどんちゃん騒ぎしている思考多動なので、思っていることをほとんどうまく伝えられない。教室で叫びながら泣く夢をみることがある。友達はそれなりにいたが、本当の自分を知っていた人はどれくらいだろうか。本当の自分を自分も知りたいし、受け取ってほしいのだ。どこかにいるはずの誰かに、共鳴できるだれか、喜び合える人にみつけてほしいのだ。顔も知らないだれかだったとしても、少しでも重なる部分があれば、心がほっと温かくなると思う。

春もきたことだし、はじめてみよう。

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