社会の歯車になって1年
なんとなく生きてきたからこそ、
なんとなくしたいことをしてきて、
なんとなく毒を吐いてみたりして、
そんな日々が続いていたのかなと。
深夜に酔っ払いながらnoteを徐に書きだすことも減った365日。久しぶりにちゃんと自分のことを考える時間をつくりたいと思い、投稿ページを開きました。大学を卒業して、モラトリアムから離れて1年が経った今。私はどこに立っているのか。どんな時間を過ごしてきたのか。
この1年、空想の「あるべき」に追われながら、だいぶ落ち込んだり、若干ハイになったりを繰り返していたように思います。「仕事どう?」と大人たちや後輩たちに聞かれるわけですが、正直なところ、まわり見てたらガチトーンの「辛いです」とか言ってらんないよな…と感じていました。
思うというより、感じていました。傷口晒して「見て!私こんなに苦しんでる!」とかやるのも、そろそろやめたい。私の苦しみは私だけのものでしかないから、比較するものではないのだけれど、傷口見せられて嬉しがる人って少数派やろがい!っていう。それより、なんかあかるい話しようよって、心根から思えるようになりました。
1年間。いろんな視点から「私」という存在を聞いてみたところ、1番多かったのは「解釈が強い」ということでした。起きたことや、聞いたこと、知ったことをありのままに捉えるのではなく、自分の中でいろんな解釈をしている。その分いろんなケースをよく考えているし、同時に考えずに殻にこもっている。とても腑に落ちた感じがします。
身の回りで起きていたいろんな出来ごとから距離を置いて、「きっとあれはこうなんだ」「あの人はきっとこう思ってるんだ」と、自分の中で意味づけをしてました。そうすることで、私は生きながらえてきたのだと思います。そうしないと生きていけなかったのか?と問うと、そういうわけでもない気がしているのですが。
鶏と卵のどちらかなのかはわかりません。でも、ファンタジーだったり理想だったり、そういうものが大好きなのは、解釈が楽しいからなのかもしれません。とにかくいろんなケースを考えておくと気分が上がるし、いつか安心できるのです。きっとこんな楽しいことができる、またよくないことが起きる、きっとこの人はこんな素敵なことをしてくれる、またひどいことをしてくる。
そう考えておけば、もし実際に嬉しいイベントが起きたら、「うんうん、知ってたよ?」と。痛みの伴うイベントがあったら、「はいはい、知ってたよ。」と言えるわけですから。ある種、私は私の在り方にでさえ解釈を押し付けて、「『こういう人』ということにしてください。」という、欲望をむき出しにして過ごしてきたのかなと思います。
だからこそ、考えきれないことには、ずっと取り組むことができました。いつまでも腑に落ちないもの。「理解できた!」と思えないもの。予測がつかないもの。そういうことにすごく惹かれるし、いつまでも時間を溶かすことができる。でも、先が見えるなと思うと一気に熱が冷める。「迷うこと」が私は好きなので、羊を左腕に彫っているのですが、どこかつながる箇所がある気がします。
「メタ認知」なんて一言で片付けるのは横暴だけど、そこに近い作業が抜けた22年間でした。そして今年「はたらく」ということをするためには、「想ってること」「考えていること」で後出しジャンケンしてても、物事は前に進まない。「こうあってほしい」と願うなら、それ相応の事実で動かないといけない、ということを経験できました。私の実話として、やっと体験できたと思います。
半年前にも書いていた「まわりの人に恵まれている」ありがたさは、今でも変わりません。それは仕事においてもそうですし、プライベートにおいてもそうです。こんな情けないやつに….という気持ちが最近まで捨てきれていなかったのですが、少しずつ「私は、そう想ってもらえる何かがある」という肯定感につながってきた感触がしています。
怯えながらはじまった1年目でしたが、少し強気な2年目を過ごしてもいいのかもしれません。最近担当させていただいた取材の中で、「自分で線引きしているうちはそこまでしかできないけど、まわりの期待に応えていく形で動いてみると貢献できる場所がふえると思う」というお話を聞きました。まさしく、それを見倣う時間が来たのだと思います。
大学受験で「つくること」に携わりたいと漠然に想っていた高校生の私。その夢が叶っているという現実から、目を逸らしていた気もします。よくやってるじゃん、すごいじゃん、私って。言い続けられるように、生きていきます。
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