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にんげんって、いいな。

なんだかのんびりしたタイトルですが、恋愛の話です。
数年前の私の、とってもかわいい1日をシェアさせてください。
(批判的な内容ではないですが念のためプライバシー保護でフェイクを入れます)

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関東の大学を卒業し、地元の新潟にUターン就職をした私は、数か月に1度東京に来ては分刻みのスケジュールでなるだけ多くの友達と会うのをとても楽しみにしていた。
社会人生活1年目の冬、その日も2つの予定をこなすのに張り切って上京した。

まず、高校時代の友達と池袋のカフェに行った。

私は大学を卒業していたけれど、友人は医学の道に進んでいたので、大学5年生だった。
なんと、最近彼氏ができたという。
そんな嬉しい報告があったので勿論、その日のお茶会のメインテーマは彼についてに設定された。

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彼は当時の我々より1つ上の24歳、大学院2年生だった。
付き合って1か月だという2人だったが、友人は実習、彼は修論で多忙を極めており、付き合ってから2度しかデートをしていなかった。その代わり、数日に1度、電話で色んなことを話し込むのだと言う。
初々しい嬉しそうな様子に私も幸福感を覚え、話はどんどん盛り上がった。

名門大学所属の彼は大学の名前に負けず優秀で、自身の研究で数々の賞を獲得しているような秀才だった。彼女は医学生、彼は優秀な理系学生。なんてきらきらとしたカップルなのだろう。

2年修了後は博士課程には進まず、就職するという。
いやらしい質問とわかってはいたが、そんな優秀な彼がどんな就職先を選んだのか気になり、尋ねてみた。

「えーっと、いつ聞いても覚えられないんだよね…そうそう、これ歌うと思い出すんだけど、」

と彼女が歌いだしたのは、『三〇地所を見に行こう~♪』という当時よく流れていた不動産関係の大企業のCMソングだった。
ただ、所属はこの企業ではない名前の似通った企業らしく、さらに、

「なんか、将来は絶対海外に行くみたい!色んなビジネスやってるからどこに配属になるか怖いんだって~。会社名が覚えられないんだよ…」

と続けた。

この時点で①三〇グループっぽい ②色々やってる という情報のみだったが、確信を持って私は聞いた。

「それって三〇商事じゃない?商社マンって言ってなかった?」

「ああ!それそれ~!」

彼女はいつものおっとりとした調子で言った。

おそらく皆さんお気づきの通り、彼が内定している企業は言わずと知れた大企業だ。文句なしのエリートである彼、さぞかしモテるだろう…なんて想像して、ミーハーな知識をインプットしてしまっている自分の脳になんだか少し呆れてしまった。

そんな彼をゲットしたというのに、友達は会社名すら覚えられないという。

そうだ。。。久々に会ったから忘れていたけれど、この子はド天然だった!

彼女は高校時代から、成績はいつもトップクラスなのにどこか抜けていて、悪い言い方をすると少し常識がない。ただその抜け方には全く嫌味がなかったし、友人思いな彼女はどれだけ天然を炸裂させても誰にも迷惑をかけなかったので、みんなから愛されていた。

そんな彼女だもの。あの超有名企業を、知らないのも無理がない。
確かに所謂「五大商社」という言葉は常識の範疇ではあるかもしれないが、お医者さんとして命を救うこと、健康を守ることにはあまり関係がないので、知らなくても良いだろう。

昔から変わらない天然がいとおしくて、
「〇〇のそんなところが好きよ」という心からのせりふを友人に渡すと、「彼氏にも同じことを言われた」と驚かれた。

「俺の就職先を覚えられないのに俺を好きでいてくれる、〇〇ちゃんが可愛くて大好きだよ」

こんなことを嬉しそうに言うらしい。正直ピンときていないと話す彼女を見て、そうそう、そういうところだよ、と、私の彼女に対するいとおしさも増してしまった。

「俺の就職先を覚えられない君が好きだ」という思いに至ったのは、会社名や学歴などの肩書で判断されたり、すり寄ってこられたりすることに対する虚しさを感じたことがあるからではないだろうか。無論人々から向けられる羨望は悪い意味ではなく、ごく少数の人々しか名乗れない所謂エリートである証なのだから、賞賛の目を向けられているということでもある。

ただ、誰からもわかりやすいエリートラベリングは、時にその人の持つ人間性を隠してしまう。

だからこそ、ラベルをはがした彼自身をまっすぐに愛してくれる彼女に安心感を覚え、いとおしく感じているのだろう。
会ったこともない彼に、わたしはエリートでもなんでもないくせに、わかる、わかるよ、と思った。彼女のその部分をいとしく思えるあなたも素敵だよ、と伝えたい、わがままな思いもこみあげてきたのだった。

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高校時代の友人の惚気話でほっこりしたあとは、大学時代の友人たちとの飲み会に向かった。

私が属していた国際教養学部は、女7:男3の女性ばかりの学部だったのだが、学部全体がそれはもう良い意味でオープンな雰囲気だった。

ここで言う良い意味というのは嫌味でなく本当に良い意味だ。Going my wayな人々の集まりだったので、その分他人の行動や個性に対しても理解があり、陰口など存在しない、マイペースな自分にとっては大変居心地の良い環境だった。学科内の人間関係で不快な思いをしたことがないのは凄いことなのだと、社会に出て気付いた。(これは是非他の機会で記事にしたい)

特にこの日私が向かった飲み会は女性ばかりの仲良しグループで、毎回飲みに行けば当然のように直近の誰かの恋愛についてシェアして議論を交わすのが恒例だった。このような時も皆言葉を選ばずあれやこれやと語るのだが、マウントをとり合ったり決して誰かのことを無下にしたりしないので安心感があった。私も恋愛で荒れてはこのメンバーに呆れられながらも受け止めてもらい、助けられてきた。

悪い男の話題が出れば、傷ついている誰かに代わってボコボコに詰ってくれるような、口は悪いが、人情味あふれる女の子の集まりだった。
しかしこの日は、彼氏のいる面子の交際はとても順調で、フリーの子たちも恋愛以外のことで生活が充実しているとのことで、実に平和であった。

その中で、強いて言うならと、ひとりが口を開いた。留学帰りでまだ大学にいた彼女は、日本橋のカフェでバイトをしていた。外国の方もよく訪れるらしい。英語が堪能な彼女は積極的にその方々をフォローしていたそうで、常連の外国人男性とは少し会話をするような仲になったという。

そしてある日、彼女は男性から裏面にLINEのIDが書いてある名刺を渡された。個人的にご飯でもどうですかとのことで、ストレートなデートの誘いであった。

端正な顔立ちの男性からそんなことをされて、胸を高鳴らせた彼女であったが、長年交際している彼氏がいたため丁重にお断りをした。私、久々にドキドキしちゃった!という良い思い出のシェアだけで終わる…はずだった。

すかさず口をはさんだのは、メンバーの中でも口が立つ、気が強い子だった。「その人の名刺、見せてくれない?」

いいけど…とその子がそれを渡して見た瞬間、
「え、これ…ボス〇ンじゃん!!!」
と光の速さで気強めな彼女は言う。テンションが上がっているようだ。

その名刺にはあの有名な戦略系コンサルファームの名。かなりシンプルなデザインだったが、その名刺は心なしか輝いて見えた。

「お願い!!なんとか合コン組めない!?」
「えぇ頑張ってみるけどさ~・・・」

なんて、早速交渉が始まっている。
確かに、この友達は昔から「自分よりステータスの高い彼じゃないと嫌!」と豪語していた。

少し酔っていたこともあり、私は他のメンバーの顔色をうかがうこともせず、にやにやと笑ってしまった。少し笑い声も出ていたかもしれない。

会社名を聞いただけで目を輝かせ、エリートとなんとかお近づきになりたい!と感情をあらわにする友達。昼間にカフェで会った「三菱〇事ってすごいんだぁ?」と目を丸くしていた高校時代の友達と真反対だ。示し合わせたように、そのギャップをまざまざと浮かび上がらせるような光景に、笑いがこみあげてきてしまったのだった。

しかし不思議と、エリート好きの友達に対し、軽蔑の感情はまったく芽生えなかった。
それどころか、いとおしさを確かに感じる私がいた。

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商社マンになる彼の「肩書で判断しない彼女が好きだ」という気持ちと、「ボス〇ンのエリートコンサルタントに会いたい」という女友達の正直な欲求は、確かに相反している。しかし、私自身は、どちらにも愛くるしさのようなものを感じていた。

当時はその不思議な愛おしさがなんなのか、深く考えることはしなかった。しかし、数年経った今でもこの日を時々思い出し、実際にnoteに書きたいとすら思うくらい大切な思い出になったのは、双方の人間らしさに惹かれたからなのだろうと今になって思う。

世に言うエリートと呼ばれる肩書を持つ人々は高収入を得て、きらきらとした生活をしているので、羨望のまなざしを向けられている。その事実から言うと、残酷だが世の中は完全なる階級社会で、全員がエリートになるべく、また、エリートの配偶者を見つけるべく頑張ることだけが正義という価値観になってもおかしくないはずだ。この理論は見た目の良さなど他の価値観にも当てはまる。

しかし、世はここまで単純でなく、お金や肩書といったわかりやすい指標だけでないところで人は人に惹かれるし、あらゆる異なった価値観で自分の生活を形成している。その多様性があるからこそ面白いのだ。

肩書きじゃない自分自身を見てほしい、も
エリートな異性と交際したい、も
内容で対立してはいるが、どちらも実ににんげんらしい感情で、その素直さがなんとも可愛らしい。

エリートと近づきたい、は、一見階級至上主義に見えて、なんだかいけ好かない欲求に聞こえるが、そう思うようになったストーリーがあったり、結局金目当てで近づいても人間として大好きになって幸せになる可能性もあったりと、その人にとっての色んなハッピーエンドがあるのだから面白いじゃないとも思う。
加えて、エリートと呼ばれるまでの道程は確かにその人自身の個性で、その努力自体を好きになっているとしたら不愉快な動機ではないだろう。

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「肩書で判断されたくない」「エリートと恋愛したい」・・・この相反する2つの価値観に同日中に触れ、とんでもない価値観のギャップが人と人との間に存在しているのだということは、私にとってはなんだかおかしくていとおしい事実だった。

どちらも人間らしくていいじゃないか。にんげんって、いいな。と思った可愛い一日であった。

そんな可愛い一日をシェアしようとしている私は現在、記事を執筆しながらアイスを食べている。

カロリーがちょっとばかし高いから、3回に分けて食べようと大事にとっておいた、大好きなチョコミントのアイスクリーム(3回分の3回目)。

結局、この時間(21:42)に食べたらカロリー気にしてた意味ないんじゃ?というミステイクも、また人間らしくて可愛いと思いたい。

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