喋る と 話す
「喋る」と「話す」の違いって、「殴り書き」と「書き伝える」の違いに似てると思っている。
「喋る」はただ思ったことを好きなように口から吐き出しているだけ。
1人でもできる。
相手の顔色も気持ちも気にしないでただペラペラやってるのは、「ペラペラ喋る」という。
「ペラペラ話す」とは言わない。
「話す」は、相手に伝えたり相手の思いを受けて返したりすること。
相手がいないと話せない。
相手が想像上の存在であれ、ぬいぐるみであれ、何か伝えたい対象に向けて言葉を発するのが「話す」だと思う。
「真剣な話し合い」はあるけど、「真剣な喋りあい」は無い。
この違いを考えてるかどうかって結構大きい。
聞いてても話の内容がよく分からない人というのは、だいたい「自分がわかってることは、当然相手も全部わかってる」というつもりで話している。
相手が知るわけが無いことに関しての説明がない。
そして、ただ喋ってるだけの人は「喋る 発する 吐き出す」が目的なので、途中で止めて説明を求めるとイライラされたり「だからぁ!」と返ってきたりする。
”喋ってる人”は「自分がただ喋ってるだけで、話をしてない」ということに気付きにくい。
その視点がハナから抜けてることが多い。
いきなり「なんで分かってくれないの!」「この前言ったでしょ!」て言い始める人は、最初から伝えられてない可能性がある。
伝えてないから、伝わってないし、理解されてないということね。
相手に伝えるために話をしてる人は、分からない箇所について質問すると「そこが分からないのか」と気づいて説明してくれる。
目的が「伝える 理解される」だから。
伝える、受け手が不足情報(伝わらなかった部分)を伝える、情報を補足する、の繰り返しが「話し合うこと」「理解し合うこと」だと思う。
これができるかどうかが、喋ると話すの違いではないだろうか。
こういう違いは、文章や漫画や手書きの地図などでも現れる。
1度自分の視点から離れて他人が見た時に分かるかどうかを考えない人の書くものは、伝わらないことが多い。
普段からそういう客観的な視点を持って考えてる人だとしても、サッと書き上げたものは自分の視点でしか見えてないことがある。
絵でも文章でも、ちゃんとした場に出すものは時間を置いて見直したり、編集の人など他人に確認してもらうことでその「抜けてた視点」を見つけるわけだ。
早く上手く正確に伝えるのは、生まれ持った才能だけでなく練習が必要だし、意識しないとなかなかできないものだと思う。
仕事や自己表現や作品の話だけでなく「伝わってないのは、伝えられてなかったからかもしれない」という考えを持つのって、人間生活の中ですごく大事なんじゃないかなぁ。
だって、伝えたつもりで伝えてなくて怒ったり悩んだりするのって、バケツに水入れてるつもりがホントは全然入れてなくて「なんで水入ってないの!頑張ったのに!」て言ってるようなもんじゃん。
「そもそもあんたが入れてないんだろ」て話。
伝えられてるかどうか確認して、伝わってなかったら方法を変えてみて、それでもダメだったらやっと「なんで!」「もういい!」だと思うし、そこまでやったとこらへんから「もしかして、相手がダメなのでは?」て考える段階だと思う。
伝わらない相手は、確かにいるからね。
仲良い人や気の合う人と何も考えずに喋るのは楽しいし、自分がただ吐き出してるだけ、発してるだけの時があってもいいと思う。
それが楽しみや発散のためで、伝えるためではないと自覚してるならいい。
むしろどんどんやったほうがいい。
で、それはそれとして、「ちゃんと伝えようと努力する」ってのもやっていかないとね。
自分が困るもんね。
つってこの文章はほぼ書いてそのまま出しちゃうわけだけども。
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