あたしはいつも、思い立ったらすぐに本を買う
このあいだ急に「短歌とか川柳とか俳句とかを作ろう」と思い立って、直ぐに季語の辞典を買った。
いきおいで買ってから短歌を作るってことで落ち着いたので、季語辞典はいらなかったなーと思ってたけど、開いてみたら割と使えそうでよかった。
季節ごとの季語の欄と「こういうの使いそうじゃね?」ていう単語が並んだ一般後の欄がある。
あと、古本だから前の持ち主が栞にしてたらしいお菓子のリーフレットが挟まってて嬉しかった。
木苺かわいいね。
岡山のお菓子屋さんだって。
「季節ごとのお菓子が揃ってます」ていう内容のリーフレットを季語辞典に挟むのオシャレね。
好きよ。
古本はこういうのがあるからいいね。
あと、バカでかい紙の辞書も買った。
人生でいちばん大きな辞書じゃね?くらいでかい。
手元のスマホで直ぐに検索できるのに、なぜ紙の辞書なのかと思う人もいるだろう。
過去のあたしも、きっとそう思って辞書を捨てたのだと思う。
しかし、捨ててから気づいた。
紙の辞書にできて、スマホにできないことがあるのだ。
言葉を使って何かを作る時、「何となく頭の文字だけ決まってるけど、しっくりくる言葉を知らない」とか、「こんな音の感じで意味のハマる言葉がないかな」と思うことが、多々ある。
そんな時、紙の辞書があれば「ざっくり適当にその辺の音を探す」ということが出来るのだ。
スマホでその作業をしてみても、ある程度の文字数まで打ち込まないといけなかったり、予測変換に含まれた言葉やよく検索される言葉しか出てこなかったりして、イマイチいい結果にならない。
「適当に探してたら、知らない言葉にぶち当たる」ということは少ない。
紙の辞書なら、ざっくり開いて読み漁ったら何か見つかったりする。
「母音がAで5文字の、なんかいい言葉」みたいな探し方をして、自分の知識の中に無い言葉を見つけられる。
これこそ、紙の辞書が一番役に立つ場面だと思う。
あたしは、これまで何度も「ああ、なんで辞書捨てちゃったんだろう」と後悔する場面があった。
こんなに何度も後悔するんなら、それは絶対に必要なものなんだ。邪魔だろうがなんだろうが、そこそこの物を買った方がいいんだ。
そう思い立って、バカでか辞書を買ったってわけ。
これで創作が捗るに違いないって気分。
道具を揃えた時って、いつもこんな気持ちになるよね。
ところで、さっき短歌のアプリを入れました。
短歌のアプリは幾つかあるけど、どれも問答無用で縦書き画像を作ってくれるぜ。
いいね!
しゃらくささが増すね!
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