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自分が考えてることすら文章に出来ないのに、他人に理解されるわけがない

SNSを眺めているとよく見る「語彙力がないから(または、文章力がないから)、ある人が羨ましい」という言葉。
これに関しては、「鍛えないと手に入らないもの」なので「鍛えてもないのに持てると思うな」という意見である。
運動もせず、重い荷物すら持ちたくないのに「自分は筋肉がついてないから、生まれつき損してる」というのと同じ。
努力しないまま努力し続けてきた人の結果を羨ましがるのも違うし、いきなり世界レベルの人と自分を較べて「自分はああじゃないから努力しても無駄」と思うのも違うんじゃないかな。

私は全然”上手く書ける人”でもなければ”書くのが得意な人”でも無いが、書こうとはしてきたので、”少しも書けないわけじゃ無い人”だとは思っている。

ゴミみたいな文章をたくさん書いてきた。
最近は”フリマで100円くらいの文章”もたまに書けるかな。

ゴミみたいな文章からフリマで100円くらいの文章になった辺りで「作品の価値は書き手じゃなく読み手が決めるものだから、書き手は書いて出していくだけでいいのかも」と思った。
何気なく書いたのが褒められたり、ありがたがられたりすることもあるし、物凄く自信のあるものが全くダメなこともある。
だからまぁ、自分で「これが今の自分が書けるものですから」てのを怖がらずに書いて人前に出していくだけで良い気がしてる。

変だと思われたらとか、下手だと思われたらとか、バカにされたらとか考えるかもしれないけど、そんなのは無駄な自意識のイタズラだからね。
世の中に文章なんかいくらでもあるんだから、他の人は気に入らなきゃ読まないだけ。
「○○さんの文章は…」なんて語ってくれるほど、他の人は自分の文章に興味ない。
そんなのは、よほどの有名人になってから悩むことじゃないかな。

文章の上達法なんてのは、世の中にはたくさん出回ってる。
文章を書く人はみんな考えを書きたくてしょうがない訳だから、「文章を書くということは」とか書くに決まってるのよ。
だから、文章の書き方に関しては他のジャンルより分かりやすく語られてることが多いように思う。

そんな中でも私が一番しっくりきたのは

「自分の思考を紙の上に定着させることのできないものが、他人にわからせる文章を書けるはずがない」

「知的トレーニングの技術」花村太郎

という言葉。

要するに、
「自分の頭の中に浮かんだことをそのまま書くことすら出来ないのに、他人にそれ以上の何かを伝えられるわけないだろうよ」
てことよね。

だから、まずノートや手帳に思ったことや考えたことを書き留め続けることが最初のステップ。
文章の全てはそこから始まるってことだと思う。

この作業、実はめちゃくちゃ難しい。
私の場合、思考より手の動きの方が何倍も遅いので、思考の方に走りすぎて書き留められないし、書こうとすると考えてたことが消えたり止まったりすることが多かった。
そこを乗り越えるのが1番大変だったかも。

それを解決するために、私は常に手元に書きなぐり用の紙の束を置くことにした。
とりあえず頭になにか浮かんだら、紙に書きなぐっていく。
筆記用具は、2Bの鉛筆。
インクが出ないとか引っかかるとかで思考がブレるのが嫌なので、カッターで削った鉛筆で書く。

ある程度書いたら、それを見返して更に「思考を広げる」という段階に入る。

例えば
「他人の創作物や現実にいる人間に勝手な妄想をくっつけて事実のように語る人を見ると、なんかゾッとする」
という殴り書きを持ってきて

【思考を広げる】

  1. ヌードに有名人の顔を貼り付けたアイコラエロ画像を見た時の感じに似てる

  2. 対象を所有物化して、自分に都合よく変化させてるところが怖い

  3. それを頭の中で終わらせず、世間の人の目につく場所に出してるところが怖い

  4. そもそも、勝手な思い込みで他人のことを語る人自体が怖い

  5. ひとつの事から何百倍にも話を広げて、全て予測だけで語っておいて、「自分はその人のことを誰よりも理解してる」と思って満足してる人って怖い。

  6. 母親は私に対してそうしてきたな。そこが、私の中に何かを訴えてるのかもしれない。

というとこに行き着くとか。

これをしていくと、初めの考えとは違う視点や意見や表現が出てくる。
それを繰り返していくことで、ひとつの質問から面白い答えを幾つも出せる人になれるのではないか。
そう思っている。

思考を書き出す時に、タイピングの方が早いという人も多いと思う。
まぁ、好みだと思うけど、私は書いた文章(紙)を物理的に並び替えたり、他から持ってきたり捨てたりした方がやりやすいので、最初は紙に書く。
その後、纏めたものをスマホで打って、細かいところを修正しながら完成させる。
それを続けてると、そのうちある程度その作業を頭の中で出来るようになってくる。

この書き出しの作業は、文章の為だけじゃなくて仕事や問題解決や気持ちの整理にも役立つ。
なんか引っかかったりモヤモヤしたら、とにかく流さず書き留める。
不確かな思考を捕まえて結論まで行こうとしてみる作業は、とても大切だと思ってる。

「なんでだろう?」を「わかんないねー」で終わらせるか、他人の意見を聞いて「それが正解かー」て言ってしまうか、自分で考えて「正しいかどうかはさて置き、自分はこう思う」まで持っていくかが「自分の意見がある人かどうか」の違いだろう。
そして、そのうちそれは自分の人生を自分の責任で生きられるかどうかの違いにもなってくるのではないだろうか。

人生の中で何度も出されるクイズに「他人の意見に乗って答える」か「自分の考えで答える」かの差は、デカいと思う。
正解発表の時、他人を責めないように生きたいよね。

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