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【連載】スローイン・ファストアウト 5

 

前作



金曜日。

起床。
今日は体調がすこぶる良い。目覚めが違う。
昨日やらずに放置してしまった洗い物をしてから出勤しよう。
我が家の前は高校の通学路になっている事に、越してから気付いた。
私が家を出る時間と高校生のグループの通学時間が被る。
擦れ違う女子高生のスカートは相変わらず短いが、今の流行りか、靴下も随分と短い。
自分の学生時代は皆ハイソックスだったのに、と常々思う。
擦れ違う男子高生のグループはイヤホンを付けずにスマートフォンから流行っているのであろう曲を流している。
昨日の音楽番組見た?、とか、最近あのバンド変わったよなぁ、とか楽しそうに話している。
それが後方にいる女子のグループに聞こえるように言っているのだろう、下衆な予測でしかないがきっと当たっている。そう思うと可愛くて仕方がない。
趣味は人間観察です、なんて言うやつは大体気色悪いが、気分がいい日に私はこうして若者の顔色を窺って憂鬱な朝を楽しんでいる。
しかしその、イヤホン無しで流す音楽はJ-POPなのだろうが、こぞって聞いたことのない曲なので自分の老いに涙が出そうになる。

なんとなく、女子高生の手荷物に目をやった。
小さな紙袋を持って登校してる子が多い。
なるほど、今日はバレンタイン・デーだ。意中の相手を射止めるチョコレートが入っているのだろう。
そういえば先日スーパーで私服の学生と思しき女の子二人が、
「えっ、バターってこんなに高いの?」
「生クリームって低脂肪じゃだめかな・・・」
とか言ってたな。
純生クリームと無塩バターは作る一週間ほど前から狙うのがおすすめ、恐らく今日は梯子しても見つからないわよ、と来年の彼女たちに心の中で忠告した。スーパーでバイトしていた時の役に立たない知恵だ。
紙袋を持っている子達も昨晩作ったんだろうな。
想像すると可愛くて口角が上がりそうになるので、マフラーで口元を隠した。
二月なのに朝から気温が高くて、正直マフラー要らずだったなと後悔していたが、まさか違った用途で役に立つとは思わなかった。
後から擦れ違った女の子は、紙袋が変形する程、ラッピングされしお菓子の山を片手で二袋も持ち、空いた片手で板チョコレートをばきばきと食べていたものだから吹き出してしまいそうだった。
ここでもマフラーの大活躍だ。
昨日作ったはいいもののラッピングが間に合わなくて朝ご飯を食べる時間が無かったのかもしれない、とまた下衆な想像をしてしまう。
しかし、どんな形であれ、オンナノコという生き物は可愛い。
期待しているオトコノコも、これまた可愛い。

一方私は家に帰ったらクール便でお気に入りの洋菓子屋さんからチョコレートが届く。
手作りにキャピキャピしていたあの頃の可愛さの欠片は何処に行ってしまったことやら。
今日はこれをモチベーションにして一日頑張りますか、とばきばきの肩を回した。痛い。四十肩にはあと十年はあります、勘弁してくださいな。

* * *

「ちょっと久しぶりですか?お元気していましたか。」
忘れていた。今日は○○と会う日だった。
いろいろなトラブルがあったので二週間弱振りだろうか。
職場を出る前にしっかり化粧を直しておいて正解だった。
真正面に立たれると神々しく感じ、面食らってしまう。
前に勝手に不穏な空気になった事を引き摺っていたので、○○の方から話しかけてくれたは非常に嬉しかった。そしてかなり安心した。
まるで飼い主を待っていた柴犬のように。
それはもう、無い尻尾をぶんぶんと振りながら沢山、沢山話した。
勘違いしないでいただきたいが、私だけではなく○○も会話を楽しんでいた、と思う。いや、思いたい。お互い喋りたがりなので会話が尽きなかったのでそう断言させていただきたい。
ただこれが、プライベートな関係で交流していたのなら、年齢に関わらず私は手綱を確実に手綱を握られていたのだろうと、安易に想像がつく。

私が同居人と仲直りした事。
今日の晩ご飯の事。
最近パトカーを見かけることが増えた事。
○○は料理が全く作れない事。(可愛い)
お互い偏頭痛持ちで、○○は常にバファリンを持っている事。(なんだか可愛い)
去年挙げた○○の結婚式のこと。
もっと話したと思う。
思い出せないくらい色々と話した。
特に今日の晩ご飯はしつこく聞かれた。手抜きだから答えたくない、と突っ撥ねてもひたすらに聞いてくる意地はあまり理解できなかった。
変なところにこだわるのってB型らしいわよね、と己を納得させたが口には出さない。
余談だが、私はなんだかB型に振り回される傾向にある。
それもまあ悪くないかな、と思えるのは、恋慕でないと信じたい。

* * *

「そういえば今日、バレンタインですね。」
あっ、と今思い出したかのように切り出したが、内心ばくばくしていた。
声は裏返らなかったので、セーフだと思いたい。
ちなみに演技は超、超苦手だ。
「あーそういえばそうですね。忘れてました。」
思いもよらぬ返答だった。
見目のいい、俗に言う「イケメン」の○○は、コミュニティの中でも若いし、あっちこっちから貰い放題だと思っていたし、
なにより新婚の奥様とキャッキャウフフな話をしているのだと思っていた。(まあ、想像もつかないのだが。)
「今年、誰もくれないんですよ。悲しいなあ。」
悲しいと言いつつ相変わらず目に光がないし、感情も全く籠っていない。
相変わらず言葉と表情がちぐはぐだな、と思いつつも、これは一つのアピール出来るチャンスだったのではないかと気が付き、しくじったと落胆した。
いや待て、アピールとは。しくじったとは。
まるで私は恋をしているみたいではないか。
自分で自分の気を逸らすように、「そういえばホワイトチョコレートって好きですか?」とか変な質問をした気がする。
私はビターが好きなのでホワイトチョコからはカカオ分が感じられずに好きになれないといった旨を話した気がするが、製品名にチョコレートと書いてあるからチョコレートでしょうと論破された気がする。
全部、気だ。
少女のようにバレンタイン・デーに現を抜かしている自分をどうしても脳内からデリートしたかった。
しかし、ちぐはぐでうろ覚えな会話、浮ついた対応しかできなかったので結果的にしくじった。

* * *

帰り道。私は悩んだ。
次に会うのは二日後だ。
大きい溜息を付きながら帰路につく。
恋をしているみたいで、恥ずかしいよ全く。
空気は冷たいが、顔と頭が熱を帯びていて、マフラーはやっぱり要らなかったかもしれないな、と思った。


分岐A


分岐B



云寺



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