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【ショート・ストーリー】頭から離れない

1

私達は付き合っている。
錆びれた田舎のカフェ。大体、二十時閉店。
そこから閉め作業をして、二人で帰る。
カフェを出て左に出ると、すぐ丁字路に当たる。
左にに進むとすぐに彼の家がある。
カフェのバイトも、近所だからここにしたらしい。
一方私は右に曲がり、橋を越える。冬の橋は、強風過ぎて耳が千切れそうになる。
いつからだろうか、彼は当然のように私と一緒に右へ曲がり、当然のように私の自転車を押してくれる。
私が鍵を開け、スタンドを倒したら、まるで自分の自転車のようにハンドルを持ち帰路に着く。
私は彼に感謝の気持ちを述べる。
「ありがとう」と「ごめんね」が素直に言える人はいい女って、雑誌に書いてあったから。
彼はにこりと笑って、「さぶいね。」とマフラーを口元まで上げた。
三月とは言っても、まだまだ風は冷たい。
しっかり冬用のコートだし、マフラーも、手袋もあったって過剰ではない。
そうかと思えば馬鹿みたいに暑い日もあるから、体温調整に悩まされる。
どうせ今日も橋の上は風が強くて寒かろう、背が高い彼の耳が千切れないように覆ってあげる事は出来ないけどけれど、ハンドルを握る手を上から重ねてあげよう。
幾分か、温かい筈だから。

2

「ねぇ、モモ。なに歌ってるの?」
「え?歌ってた?」
「歌ってたよ、無自覚?」
確かに無意識だったけど、そんなに笑う事はないだろ、ふふと笑う彼に精一杯むくれた振りをした。
「振り」の証拠に、漫画でよくある、ほっぺたをぷくーと膨らませるやつをやってみた。
やってみて分かったが、ほっぺたは結構硬くてなかなかそんなに膨らまない。すぐに空気でぱんぱんになる。頬袋があれば漫画のように顔が変形するかもしれない。
まあ夜で暗いし、私達は平行に歩いているから表情なんて見てもいないんだろうけど。
「今歌ってたのさ、俺も聞いたことある。なんて曲だっけ。」
「それが分からないんだよ。だけどすごい聞き慣れたメロディーでさ、絶対瑞稀も知ってると思う。割と昔の曲…かな?
 でもね、誰が歌ってたかも、何かとタイアップしてたとか、わからん。歌詞もわからんし。ぜーんぜんわからん!」
私はまた同じところを鼻歌で、ふんふん歌ってみせた。
「メロディーですら、ここしかわからん。」
「でも絶対知ってるよ、俺。懐メロだよね、多分。」
「うん、そう思う。」
彼もぶつくさぶつくさとメロディーらしきものを口ずさむ。
私達はまだ付き合って四ヶ月だ。まだお互い探り探りの状態だ。
地雷を踏むと困るので「瑞稀ってさ、歌下手なんだね」とは言えない。言えないったら言えない。
でも申し訳ないけど、私の頭では彼の歌うそれをメロディーに組み立てられず、私が歌っていた曲との関連性を導き出せなかった。

「あー、わかんないや。でも絶対知ってるじゃん。ちょーーーー有名なやつじゃん。もやもやするね、これ。」
「わかる。ヒントがなにもないから、調べようにもないしね。」
彼は押していた私の自転車を停めた。ご丁寧に鍵まで外して、「ん。」と渡された。
私が「ん?」と言いたい気分だが、彼の停めた先にはベンチがあった。
彼はそこに座り、「ん。」と隣をとんとん叩く。
あ。これは、曲を当てるまで帰れませんってやつですね、と思った。
頭の中でタカアンドトシが円卓を囲んでいる。
彼はなかなかにしつこく、映画のタイトルや俳優の名前も分かるまで納得しないのだ。次の話題に移れない。
今こそスマートフォンがあるが、無い時代に生きていたら、分かる手立てもなくしんどい生活を送りそうだ。君は現代に産み落とされて良かったよ、全く。
私は彼の隣に座った。
体が一瞬ぶるっと震える。座ると余計に寒さが際立つ。
彼の左が、私の特等席だ。なにかにおいて、いつも左。
「なんかさ、あの人カバーしてなかった?」
「ヒットしてたはずだし、何十年代ヒットメドレーみたいなのに入ってるかもよ?」
「あー、これじゃないっぽいな。」
「歌詞に『ねえ、なんとかなんとか』って入ってなかった?」
「なんとかなんとかじゃわからんよ。」
二人で違う端末を見ながら、時折会話を交わして、寒空の下でひたすらにYouTubeや歌詞を検索した。
これかな?と思う曲があったら流して、違うね。とまた探す作業に入る。
お互いイヤホンは持っていないのでそのまま流したが、何せ田舎だ、周りに家などない。迷惑にはならないだろう。
そんなところに何故ベンチがあるのか、と、ふと思ったが、まあどうでもいいや。
しばらく座っていたら足の先から冷えてきた。防寒していない指もじんじんと痛い。
「ね〜〜〜もう見つかんないよ〜。」
「モモは諦めるの早いよ。でも待って、もう少し、なんかこの辺にありそう。」
「う〜寒い。」
「モモさん待ってください。」
はーい、と言いながら調べるふりをして、今日は温かいものが食べたいなあと考えていた。鍋だと嬉しいなあ。ポトフ…キムチ鍋…水炊き………。

「あ。モモ、これじゃない?」
と、聞かせてもらったものは、まさしくそれだった。
「えー!瑞稀すごい!てか、このアーティスト、私も探したんだけどなぁ…」
「モモは詰めが甘いな。」
「でもすっきりした。」
「モモは途中で嫌になってたでしょ。」
「さっすが私の瑞稀さん、よくご存じで。」
彼も寒かったのだろう、さっと立ち「ん。」と自転車の鍵を開けるよう催促し、私はそれに従った。
「ありがと。」と言い、私の右側でカラカラと自転車を押してくれた。
ありがとうは、こちらの方なのに。

私の家に着くまで、二人でその曲を歌った。
やっぱり彼はちょっと音痴だった。
この曲ずっと聞けるわ、明日の有線これのエンドレスリピートでいいよね、と言いくすくす笑った。
そんな事を話しているうちに、家に着いたので自転車をバトンタッチ。
「今日も送ってくれてありがとう。」
彼は「ん。」と言って私の頭を撫でた。
「明日、瑞稀もバイト入ってたよね。私も入ってるよ、有線いじっちゃおっか。」
にしし、と笑ったら、「それは無理だろ。」と言っておでこにそっと唇を落とされた。
「モモと話してると、ずっと話していたくなる。
 ほら、帰りが遅いからお母さん心配してるかもよ。」
ばいばーい、と手を振り、彼は踵を返した。
「瑞稀が曲探しに夢中だったんじゃん!」
と、来た道を戻ろうとする彼に恥ずかし紛れの捨て台詞を吐いたら、
振り返り「ごめんね」とかわいい笑顔を見せられた。
きゅんとした。
ぐさっ。うっ。ハートに矢が刺さる絵文字。
「ばか、また明日ね。」と手を振って、彼が見えなくなるまで見送ってようと思ったら、しばらく歩いた彼が振り返り、しっしっと手でやられたので、しっかりむくれっ面をしてやった。
距離は結構あったから、結局これも見られてないと思うけど。

3

結局その晩の夕食は鍋ではなかったので、後日彼の家でプチ鍋パーティーをした。
一人用の鍋に具材を入れながら彼は、
「モモってさ、ほっぺ、ぷくーってするの癖なの?」と言った。
げっ、見えていたんかい。
「いや、そんなことないよ。」
構って欲しくて、と続けようと思ったら、
「それ、まだ学生と言えど、いい歳なんだからやめたほうがいいよ。馬鹿っぽい。」
と鍋の蓋を閉めながら言うもんだから、おたまですかんと殴ってやった。
それからと言うものの、わざと口を膨らませて彼に構ってもらおうと突っ込み待ちをしていたら、だんだんと突っ込んでももらえず、気が付いたら本当に癖になってしまった。
これこそ、ほっぺたぷくー案件ですわ。



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云寺




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