見出し画像

【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜最後の10年編③

そんな畑に精を出し、販路を拡大し。
色々卸したが結局は私が進めたファーマーに
長くお世話になった。

知人ということもあり、話すべきか否か、考えに考えてあえて話さないことにした。
軽トラで自宅で農作業をし、その後出荷となかなかハードなスケジュールでもそれが父のルーティンとなり、生き甲斐となって、そこにいる父は疲労を物ともせず、実に生き生きとしていた。
そんな父を見てどこかほっとした。あの運ばれた日から仕事を辞めてこの先どうするのだろうと子どもながら心配だった。そんな父が畑をはじめ、時折母も一緒になって精を出す、私も年老いたらこうありたいという理想の父とその生活が目に映り羨ましいくらいだった。

そんな日がまだまだ続く、そう疑うこともなく過ごしていた。

そして春が近づく頃、気になることが起きた。

父の具合が急に悪くなった。
始めはいつもの精を出して無理して疲れたのだろうと。それが段々と畑作業が出来ないほどしんどくなる。友人を呼んで手伝ってもらい、いつも通り私も加勢してその内復活するだろうと誰もが思っていた。
ところが、だ。
その内食事もままならないほど衰弱が進み、それまでに病院を受診するも、良くならず、通院先の大きな病院へ。
入院が決まり、しばらく静養したら大丈夫、そう思っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?