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高輪で温故知新を感じる散歩

今回は高輪ゲートウェイ駅周辺を取り上げて、昔を感じる温故知新の散歩をしてきましたので書きたいと思います。早速、場所についての説明に入りたいと思います。

高輪にある品川駅

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場所の説明をしようと国土地理院の地図を持ってきたのですが、よくよく考えてみれば高輪周辺だけで何か所も見どころがありますね。地図上で目を泳がせていたら、いくらでも話が脱線できそうです。

高輪ゲートウェイ駅は2020年、山手線の田町駅と品川駅の間に開業した新駅です。品川駅同様、東京都港区に位置します。品川駅が品川区に入ってないでお馴染みのジレンマは一旦置いといて、今回は高輪ゲートウェイ駅周辺に絞った範囲で温故知新していきます。

早速話がずれますが、何か所も見どころがあるというのは特に、北品川駅周辺のことを言っています。品川駅の南に位置する京浜急行線の北品川駅です。もう頭が混乱してきましたね。地図の写真は上が北を指しています。このジレンマは、品川駅が本来の品川と呼ばれる場所に位置していないことが原因です。

「住所は高輪、駅名は品川、駅の出口は高輪口」

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日本橋を出発して、一番最初の東海道の宿場町品川宿は現在の北品川駅の南側から始まります。なので、住所的に北品川駅は品川の北側に一致していることになり、理にかなった駅名となるわけです。その関係で、住所的には高輪となっている場所にある駅を便宜的に品川と名付けてしまったということになるのです。

高輪築堤跡

何から書こうか迷いましたが、まずは高輪築堤ちくていについて書こうと思います。日本で一番最初に旅客として開業した鉄道は横浜から新橋であることは日本史で勉強したかと思いますが、ここ品川も、その当時から線路が敷かれ、早くから鉄道要衝地として賑わいを見せた場所であるのです。

高輪ゲートウェイ駅(以下「高ゲー」)周辺の都市開発工事の際、地面を掘り出したら発掘されたのが、この高輪築堤です。1872年の明治の時代、ここは海の上で、そこに鉄道を通していました。つまり高輪築堤は海上に線路を敷設するための鉄道構造物であったわけです。

先日、この高ゲーの地下を貫いている、屈まないと頭をぶつけてしまうほど天井が低いトンネルを歩いた際、バリケードの隙間から築堤の様子をチラ見することができました。高ゲー周辺の再開発は大変盛んで、将来ここには何本も高層ビルが林立するオフィス街へと姿を変えることになります。

「200年前は海の上」

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美しく石組みされた石垣は日本史上でも、世界史上でも極めて価値のある近代化遺産として尊重されることでしょう。意図せずに工事中にこんなものが発見できてしまうほど、歴史上大変面白い場所であることが見てとれます。

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東海道五十三次の浮世絵を見てもわかりますが、現在の高輪ゲートウェイ駅は昔の海の上に建設されていることがわかります。「窓より近く品川の 台場も見えて波白く」と歌われる鉄道唱歌がどうしても脳内再生されてしまうのは、僕だけでしょうか。

高輪大木戸跡

続いて、高輪大木戸おおきどです。日本橋を出発した東海道を行く旅人が最初に出会う一里塚がここ高輪の第一京浜沿いに位置しています。実際に訪れると、道路脇の歩道を塞ぐ形で立派な石垣が唐突に登場します。この大木戸跡は江戸と神奈川の境界であり、ここから先、今の品川駅方面は神奈川県に属することになります。つまり、この高輪は江戸への玄関口ゲートウェイとしての役割を担っていたわけです。

「江戸への玄関口」

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看板の説明書きを読むと、中央・総武線の四谷にも大木戸があったらしいことがわかります。大木戸跡とは東海道や甲州街道など日本橋から伸びる街道に設けられた、かつての関所跡というわけです。

札ノ辻交差点

高輪大木戸跡から少し田町側に進むと「札ノ辻ふだのつじ交差点」という交差点に合流します。写真はその交差点からJRの線路を跨ぐ方向へ進むと渡ることになる「札ノ辻橋」の上から撮影したものです。在来線、貨物線、新幹線を含め合計10本の線路を跨ぐ跨線橋は迫力があります。

「複々複々複線」

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札ノ辻の「札」とは一体何かというと、かつての東海道にあった高札場こうさつばの「札」から来ています。高札場とは何かというと、東海道を行く人にとって、江戸に入る前に訪れることになるインフォメーションセンター的な施設です。江戸に入る前の心得、江戸でのルールなどのお触書が飾られているような場所です。

もちろん、令和の高輪にはそのようなものは書かれていません。札ノ辻の交差点にある歩道橋は東京タワーの撮影スポットとして知られています。夜に渡ると思わずシャッターを切りたくなるような、ビル群の隙間に聳えるタワーの構図が広がります。

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高輪ゲートウェイ駅

さてさて駅に戻ってきましょう。サムネイルになっている駅の写真は、実は開業初日に訪れたときに撮影した写真です。よく見ると分かりますが、コンコースにはびっしりと乗降客が埋め尽くされています。それに対して、最近の高ゲーはこのように閑散としています。

そんな高輪ゲートウェイ駅ですが、今この駅の地下では中央リニア新幹線の建設が進み、名古屋・大阪方面への玄関口ゲートウェイとして姿を変えています。

「屋根の凹凸は白い折り鶴が舞い降りたよう」

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新駅の名前が発表されたとき、一部から叩かれた極めて現代風な駅名ですが、東京の玄関口ゲートウェイという歴史を背景に、まさに温故知新が感じられる素晴らしい駅名ではないですか。最初は違和感を感じるかもしれませんが、この地の歴史を読み解くと、駅名の必然性を理解できる、高輪は僕にとってそんな場所です。

こんな具合に、都内各地で温故知新を実感できる場所を自分なりにリサーチして、訪れることで四次元的な都市の見方を楽しんでいきます。

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