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孫子にみる「戦略」を考えるということ

戦略を考えるきっかけ

最近、会社の「戦略」を考える機会を与えられました。

なんてことを言うと、なんだか偉いポジションに就いたかのように聞こえますが、そんなことは決してありません(ただのヒラ社員ですw)。

単に、社内で「会社の3~5年後の事業戦略を考えてみよう」的な研修の参加者を募集していたのでノリで応募してみたところ、あまり応募者がいなかったらしく、めでたく受講することになったというオチです。毎日必死で会社の戦略を考え続けている上の方々や、戦略を考える専任の部署もあるわけで、私のように商品開発で日々QCDに追われている人間が研修で片手間に考えた戦略なんてたかが知れているし、期待もされてないのかもしれません。でもせっかく機会を得たので、現場の視点から考えた「戦略」というものがどこまで通用するのか?というよく分からない好奇心もあり、できる限り戦略というものを練ってみようと思ってます。で、先日その研修のオリエンテーションみたいな場に参加したのですが、モヤっとした違和感を覚えたのであれこれ考えてみた、という話です。

「戦略」って、戦場で敵に勝つためのもの?

この「戦略を考えてみよう研修」は、およそ1年かけて各参加者が1つずつ、事業戦略というアウトプットを出すことになっています。オリエンテーションでは「研修の位置づけ」や「スケジュール」などを主催者から説明してもらったのですが、一通り説明した後で

「みなさんが、この研修で学ぶことを通して、我が社の競合に打ち勝てる戦略を出してくれることを期待します」

というお言葉を頂いたのですが、これを聞いて「あれ?」という違和感がありました。どんな違和感があったかというと、主催者側の「戦略」に対する認識が、以下の画像のように、まるで「戦場で相手に勝つための道筋を」と捉えているように聞こえたからです。

いわゆる4Pとか3Cとかのフレームも引き合いに出しながら、

「”市場”という名の戦場において、自軍が敵軍(競合)に勝つためには、どうすればいいか考えましょう!」

と、鼓舞してくれたわけです。「まぁ、確かにこの研修のゴールとしてそれは間違ってないと思うんだけど・・・」と、何だか分からないモヤり感の正体が何なのか考えていたところ、ちょうど1ヵ月くらい前に読んだ本に書いてあったことが心に引っかかっていたからでした。

その本は「孫子」です。

戦争ハウツー本のベストセラー「孫子」

「孫子」は紀元前500年頃の古代中国で書かれた兵法書で、ひらたく言うと「戦争のやり方」を記した書物です。大ヒット漫画で、最近映画化もされた「キングダム」の世界は、まさにこの「孫子」が生まれ、実際に活用されていた舞台だということです。

※ちなみに「キングダム」についてはこちらのポストでもちょろっと書いていますのでよかったら覗いてみてくださいw

「孫子」の凄いところは、何といってもその汎用性の高さにあります。もちろん、兵法書なので具体的な施策(戦術)にまで踏み込んだノウハウが色々書いてあるのですが、その背景にある人間心理に基づいた考え方に大変な普遍性があり、世界史に残るあらゆる出来事の背後で孫子が活用されてきました。

例えば、13世紀にユーラシア大陸全土を支配した最強軍隊モンゴル帝国では、チンギス・ハーンの右腕としてモンゴル帝国がアジアを席捲する立役者だった参謀ヤリツソザイ(耶律楚材)は、大の孫子ファンだったことが知られています。近代で言えば、戦前の旧日本軍で必読書となっていたリデル・ハートの戦略論には、孫子という単語がたくさん出てきます。中国共産党の祖、毛沢東が超がつくほどの孫子愛読者だったのは有名な話ですし、現代で言えば1991年の湾岸戦争で多国籍軍を指揮した将軍クラス達は皆、孫子を読んでいたそうです。

また孫子の普遍性は戦争のシーンだけでなく、現代の経営論や組織論にもそのまま応用できます。そのため、2000年あたりから米国のビジネススクールでは「孫子の講義がないスクールは無い」と言われるほど、多くのスクールで孫子の講義が設けられたほどです。2500年前に書かれたハウツー本が現代でもフツーに使えるなんて、まさに化け物コンテンツですね。

戦略とは、戦いを略(はぶ)くこと

「孫子」が主張する戦争における最大のポイントは、

戦わずして勝つこと

これに尽きます。

そもそも、「戦略」という言葉は「戦いを略す」ということです。「略す」は「省く」と同義で、要するに「戦いなんて、すっ飛ばすべきだ」と主張しているわけです。戦場で両軍が対峙し、互いに武器を携え、犠牲を払いながらどちらかが降参するまでバチバチやり合うというのは、孫子に言わせれば「やむを得ず最後に取るべき手段」であり、いわば最終手段です。孫子が登場した当時、つまり春秋戦国時代の戦争といえば、キングダムを見れば分かるように血で血を洗う「命の取り合い」が当たり前でした。そんな中で「戦場すら発生させることなく相手に勝つ」=「命の取り合いをせずに勝敗が決する」方法論を体系化したのは、当時としては実にイノベーティブだったと思います。そして、その卓越した先進性と普遍性こそが「孫子」が現代でも読まれている理由なのだと思います。

・・・と、そんな孫子を読んだ後だったので、戦略研修のオリエンテーションで「市場で競合に打ち勝つための戦略を出してほしい」と言われて

「なんだか戦場で敵とバチバチにやり合う前提に聞こえますけど、それって最後の手段であって、その前にもっと考えることがあるはずでは?」

とモヤったんだと思います。(実際にこれを言ったら、相当めんどくさい受講生だと思われるでしょうけど…w)

もちろん、主催側もそのようにアウトプットの範囲を絞る意図はないのでしょうけど、ただ「戦略とは戦場(市場)でどう戦うかを考えることである」という無意識の価値観が主催側の言葉から感じられました。

孫子に書かれている様々な「戦わずに勝つ方法」は、見方によっては「卑怯」だったり「狡猾」なところがありますが、変化が早い現代において、お互い血を流しながらレッドオーシャンで命の削り合いを続けるよりは、余計な血を流さず勝敗を決して歩みを進めることもときには必要です。かといって「ブルーオーシャンの見つけ方」が孫子に書いてあるわけではないのですが、少なくとも「レッドオーシャンでの命の削り会い」にならない戦略というものが考えられないか、というのが私のこの研修でのテーマになりそうです。

なお、孫子以外の戦略論の古典としては、同じく古代中国の兵法書として「呉子」や「六韜」などが有名です。これらも「孫子」とは違う方向性の普遍性があり、機会があれば紹介したいと思います。現代のマーケティング戦略の多くは源流を辿るとクラウゼヴィッツの戦争論に行き着くそうですが、この戦争論も源流がどこかにあるはずで、その源流がもつ普遍性は知っておきたい気がします。

おしまい。

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