居酒屋で会った美魔女とパン教室に行かなかった話
おもしろさって、そんなに必要?
ネタって浅漬けじゃなくて糠漬けだよ。
最近ある人から言われた言葉に想定外のダメージを受け、魚の小骨がのどの奥に引っかかったようにちくちくと痛む。
数週間前、友達と飲みに行ったときのこと。
その日は酔いが気持ちよく回り、初めて行った居酒屋で隣の席に座った女性に声をかけられ、話が盛り上がった。
彼女は並々ならぬオーラを放ち、どことなく井川遥を思わせる52歳の美魔女だった。
肌なんてまさに水光肌でシミやシワなど1つも見当たらず、聞けばお化粧は一切していないという。
え~!ほんとですか!?信じられない!美の秘訣教えてください~
などとシラフの私では決して言わないであろう調子のいいセリフを吐きながら、もう一人の自分がちょっと引き気味で眺めていた。
実際彼女はそれほど綺麗だったし言葉に嘘はなかったのだが、本来の私はお世辞を言えない性分な上に、余計なことを気にするせいで本音も隠してしまいがちなのだ。
そんな調子で彼女の自尊心をくすぐり続けること1時間、美肌やスタイル維持のヒミツ、仕事観や人生観に至るまで、様々な「ありがたいお話」を聞くことができた。
動物占いがはじまったときはさすがに吹き出しそうになったが、楽しくてしかたがないという感じのスマイルでなんとか乗り切った。
客のほとんどが常連で構成されているタイプの居酒屋にはこういう酒場のアイドル的中年女性が必ずいるが、みんな美人なのにどことなくうさんくさいのはなぜだろう。
そして、そのタイプの人がきまって占いたがるのはなぜだろう。
ちなみに私の占い結果はパワフルな小鹿。
周りを引っぱっていくリーダーシップを持っている人、らしい。
大外れもいいところだ。
気づけば閉店時間も迫り、最後にお酒とおつまみをおごってもらいお開きに。
絶対飲みに行きましょう!などと、あとで絶対に後悔するのを分かりながら決して果たされることのない約束を結びLINEを交換した。
酒の力の恐ろしさをつくづく実感する。
翌日、もう美魔女のことなどとうに忘れアルコールで揺れる頭と重い身体に悩まされているころLINEの通知が鳴った。
〇月〇日、〇時からパン教室です!予約とっておいたよ!(^^)
昨晩完全なる勢いでパン教室への参加を決めたことを思い出す。
当然行きたいわけがない。
何を売りつけられるか、何に勧誘されるのかわかったものではないしそもそも私はパンが嫌いだ。
しかしここで私は思い直したのだ。
ここで体を張れば面白いネタが手に入るのではないかと。
もっと言えば「そんな危険なところにあえて飛びこんじゃう私」を演出できるのではないかと。
そこでさっそく件の経緯を人にLINEしたところ、冒頭のセリフを言われたのだ。
おもしろさって、そんなに必要?
ボコボコに殴られた気分だった。
完全に油断していた。
少しでもおもしろいと思ってもらえることを期待した自分が恥ずかしくなり一気に我に帰る。
過去に「おもしろいものを知っているだけで君がおもしろいわけではない」と言われたことを思い出し、思わず頭を抱えた。
私はまた同じ過ちを繰り返している。
居酒屋で出会った美魔女とパン教室に行ったからといって世界が変わるわけでもないしおもしろい人間になれるわけでもない。
そんなことはもちろん分かっている。
それでも、自分の内側になにも「ネタ」がない私は外側に「ネタ」を求めるしかないと思ったのだ。私にとっては必死の策だった。
しかしそんなことはまるで無駄だということに気付かされる。
自分がつまらない人間であることがコンプレックスで、人を楽しませられないことが悩みである私は、おもしろさというものにとらわれすぎて本質を見失っていた。
そんな取ってつけたような浅漬けのネタには一銭の価値もないのだ。
自分が生み出したなにかで人に認められたい。
私の中でずっと揺るがない想いはこれだ。
パン教室に行って詐欺に合ったらそれはそれでおもしろいかもしれないし、笑ってくれる人もいるだろうが、そんな話はどこにでも転がっているし私にしかできないことではない。
私は私だけの熟成されたネタがほしい。
自分自身を認めて、健全な自己愛を手に入れたいのだ。
そのためにはこうして下手なりにでも文章を書いたり、自分にしかわからない感情を言葉にしたりするしかない。
自分のしようとしたことは心底ばかげていると思った。
くだらないLINEをしてすみません。
と送った私に彼は
このことは「くだらないLINEをしてしまった」というあなた自身のネタになるよ
と返してくれた。
それをふと思い出して今、文章にしている。
「パン教室にいって詐欺に遭った話」を綴る未来ももしかしたらあったかもしれないが、この方がずっとわたし自身の「ネタ」に近そうだ。
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