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かがみの孤城


ネタバレ有りなので、ご注意ください。

たとえば、夢見る時がある。
転入生がやってくる。
その子はなんでもできる、素敵な子。
クラスで一番、明るくて、優しくて、運動神経がよくて、しかも、頭もよくて、みんなその子と友達になりたがる。
だけどその子は、たくさんいるクラスメートの中に私がいることに気づいて、その顔にお日様みたいな眩しく、優しい微笑みをふわーっと浮かべる。
私に近づき、「こころちゃん、ひさしぶり!」と挨拶をする。
(略)
真田さんのグループが、その子とどれだけ仲良くしたがっても。
その子は「私はこころちゃんといる」と、私の方を選んでくれる。
そんな奇跡が起きたらいいと、ずっと、願っている。

かがみの孤城 上巻

私も思う。
「何の代わり映えもしない日常を、一転させるようなことが起こらないかな」「明日会社休みにならないかな」「嫌な上司に天罰が下らないかな」
奇跡のレベルとしては、同じようなものかもしれない。
こころちゃんも私も「まぁそんなこと起きるわけないよね」って思ってる。
でもきっと私の「こうだったらいいのになぁ」とは願いの強さが違う。
祈るような気持ちで、現実が一変するきっかけを待っている。

「10代に戻りたいか」という問いを大人にしてみたら、何と答える人が多いだろう?

私は「戻りたいとは思わない」だ。

今でも休日に会う中高の友達がいる。
長い付き合いなので、私のことをよく分かってくれている。
自分の性格に合った私立の中高一貫校。
決して忘れたくない思い出がたくさんある。

それでも…
それでも、もう一度10代に戻りたいかと言ったら答えは「NO」だ。
「早くこのクラス変わらないかな」と思った1年があったし、修学旅行の班決めに怯えた日があった。
あの頃の私にとって、学校やクラスは生活の全てだった。
合わない人とはある程度距離を取って付き合うことを覚えた、今の方がずっと生きやすい。

この物語の救いは、孤城の中で中学生同士が助け合うだけじゃなく、現実世界で大人が子どもを助けてくれることだ。
こころが助けたアキちゃんが、喜多嶋先生になってこころを助けてくれるわけだから、「鶏が先か卵が先か」という話にはなるわけだけど。

私はこころちゃんに感情移入して観た(読んだ)のだけど、現実世界では「伊田先生」「喜多嶋先先生」「こころママ」の立ち位置に近い年齢なのだろう。
伊田先生に対しては「こういう先生居るよね(苦笑)」って思ったけど、「伊田先生みたいにはならない」という自信は私には無い。
「ほんの少しの行き違いがあって誤解が生じてしまった。誤解を解くためにも自分の素直な気持ちを手紙にしてみたらどうだろう?」
こころちゃんの目線であの手紙を見つけた時は怖くて仕方がなかったのに、大人の私は伊田先生のアプローチを否定出来ないのだ。
それは「物事を大きくしたくない」という保身から来る行動かもしれないし、本当にその方法で解決すると信じる「想像力の欠如」に依るものかもしれない。
「少し理解できる」と思ってしまう大人の私が居る。
真田美織目線で見た物語、伊田セン目線で見た物語があったら、きっと全く違う作品になっているはずだ。
「真田さんは真田さんで、思いも、苦しさもあるんだと思う。」と言った喜多嶋先生はその事実に言及している。
中学生の時の気持ちを忘れつつある一方で、きっと今だから気づけることもある。

大丈夫。大丈夫だから、大人になって。
辛いことはたくさんあったし、今も逃げ出したくなるような出来事はある。
だけど、大人になって良かったなと思うこともたくさんある。
昔中学生だった私達が、今の中学生にそう伝えられるといい。
胸を張ってそう言える日々を過ごせたらいいよね。

優里さんの「メリーゴーランド」という主題歌がとても良い曲でした。
映画のための書き下ろしらしい。
MVの當間あみちゃん、実写のこころちゃんかと思った!

最後に現れる転入生の理音くん。
学校に登校する勇気を持てたこころちゃんには少し蛇足なエピソードの気もするけど(同じ時代を生きてるのはこの2人だけだという羨ましさもある)、「こころちゃんが望み続けた奇跡」の伏線を回収していて温かい気持ちで読み終えることが出来た。

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