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【小説】蕺草一家 -DOKUDAMI IKKA-

 蕺草と記す珍しい苗字の家族は、ドクダミという不吉な音韻にそぐわず、母子共々白く可憐で美しい容姿を備えている。二人の子は沙知子と小夜子、双子の姉妹である。彼女たちに父親はいない。誰か分からないと言った方が正しい。一見大人しそうな母親は、大層肝の据わった女である。かつて偽名を用い、紫煙を燻らせながら賭けていた金は、若き女帝と呼ばれるに相応しい額であった。
 彼女は美貌と勘、そして奇妙な勝ち運を武器に、裏社会で名の知れた賭博師となり、その道の男たちを手玉に取った。だが、不用意に授かった双子を産むと、勝ち運をめっきり失った。子に受け継がせたものと理解して、すぱっと足を洗うことにした。故に地獄を見た。そう易々と勝ち逃げが許される世界ではない。並の女なら死んでいる。彼女だから策を弄して逃げ延びた。運が残っていたとも言える。二人の幼子と、稼いだ大金の一部を隠し持ち。

 北へ下った蕺草一家は、日照時間の乏しい地方都市でひっそり暮らすことになった。簡素な集合住宅の一角である。母親は黒髪に戻して、派手な生活を改め、時間給でこつこつ働くようになった。細い体つきの、いかにも薄幸そうな、まだ美貌を失っていない彼女に、言い寄ってくる男は幾人もいた。それなりの関係になることはあったが、彼女は結婚を強く拒んだ。男による支配は決して受けないと。婚姻関係に対する謬見は、生まれ育った家庭環境の所為である。
 故に、彼女には帰るべき故郷がない。二人の娘は、祖父母という存在を知らない。親族は家族だけの、たった三人である。良く似た親子。一卵性の双子。それでも母親は、子供を平等に愛さなかった。姉の沙知子ばかりを可愛がり、妹の小夜子を邪険にした。

「小夜子のよは余計のよ」
 そんな後付けの、母親の暴言を、二人の娘は度々耳にして育った。そういうものだと理解するようになった。着るものも食べるものも差別され、通う学校も別々だった。沙知子だけお金を掛けてもらった。川の字になって寝ることはなく、小夜子だけもう一つの部屋で寝かせられた。彼女は物心ついた頃から家の中では大抵一人ぼっち。だが、カードゲームをする時は、負け役として声が掛かった。断ることは許されなかった。
 それにしても、なぜ沙知子ばかりが勝つのだろう? 
 小夜子は悔しいというより不思議に思い、母親の手元を良く観察した。やがて気づいたのは、カードシャッフルのいかさまである。鮮やかな手さばきで、沙知子に良い手札がいくように混ぜていた。初めて母親を凄いと思った。見様見真似でこっそり練習をした。
 要領を掴んで物にすると、学校でクラスメイトを相手にバレないか試した。不自然に連勝を重ねたが、誰にも見破られなかった。それは小学五年生のことである。母親譲りの手先の器用さは、お下がりしか着られない彼女の体に宿っていた。
  
 それから半年後の夏、小夜子は満を持して賭けに出た。沙知子と家で二人きりの時を狙い、もしも私が勝ったら次の誕生日に入れ替わってほしいと。沙知子だけお洒落なレストランに連れて行ってもらえるのだから。
「小夜子が負けたらどうするの?」
「欲しい物を何でも盗んできてあげる」
 子供らしいとはいえ、末恐ろしい交渉は成立した。トランプを用いた、ポーカーの一発勝負である。小夜子はまず沙知子にカードを持たせた。どのようにシャッフルされても、次に自分が行うそれによって、狙い通りの手札になる技を会得していた。もはや幼い詐欺師である。
 小夜子のシャッフルを沙知子は黙って見ていた。早くしてとばかりに、小さなため息をついた。そして配られた手札に、顔をしかめた。小夜子も似たような反応をしたが、無論それは演技である。

 三日後の誕生日は大胆に入れ替わった。良いものを食べている沙知子も太らない体質である。着る服と振る舞いを変えただけで、母親に疑いの目を向けられなかった。
 それにショックを受けて縮こまる沙知子は置き去りにされ、活発な彼女になりきる小夜子はレストランで祝福された。母親は一向に気づく様子はなかった。万事鈍感なら未だしも、自分の興味がある範囲には、誰よりも目敏いのである。
 実は沙知子のことも愛していないのだな・・・
 そう思った小夜子は、日頃の鬱憤を晴らすように、食べてみたいものを片っ端からねだった。なぜ沙知子なら許されるのか分からなかった。
 帰宅すると、沙知子はうっかりテレビを見ていた。小夜子が禁じられている行為である。母親は感情的に手を上げた。初めて叩かれた沙知子は、正体を明かすことなく不貞腐れた。
  
 小夜子は二度と入れ替わりを希望しなかった。沙知子も愛されていないと分かり、妙な満足感があった。表面的な差別は謎のまま、虐げられた分だけ物欲が奔放に、そして早熟に育った。
 中学生になると、学校には滅多に行かず、家にも殆ど戻らず、不埒な連中とつるんで遊ぶようになった。母親にそっくりの、度胸と不釣り合いな美貌が、金と物を生み出した。幼さの残る体つきで、かけがえのない未来を安売りしていた。
  
 母親は小夜子の存在を放任した。時に嫌味を吐き、舌打ちをして、それでも叱らず、追い出さず、一切気に掛けなかった。言い争いになるような労力を回避して、物質的な愛情を沙知子に注ぎ続けた。その目的は、彼女をビジネスで成功させる為であると、やがて口にする。
「あなたには勝ち運がある」
 かつてのカードゲームでは、いかさまをして勝たせるばかりではなかった。フェアなゲームでも、なぜか沙知子に有利な手札がいくのである。それを確かめながら、彼女に一層の勝ち癖をつけさせ、若かりし頃の自分と同じ才能を伸ばそうとした。高水準の教育を受けさせることで、自分とは異なる道を歩ませようとした。昨今の博打に近い会社経営も、この子なら必ず上手くいくと思った。世間からの称賛も手にできると思った。女子高に通わせていたのは、早くから男を遠ざける為である。男がいかに愚かしいかを吹き込んだ。絶対に子供を産ませてはならなかった。勝ち運を留める為に。
  
 沙知子の中学時代は、その期待に沿うものであった。品行方正にして学業優秀。非の打ちどころがないなどと、担当したすべての先生から称賛された。わざとらしく快活に振る舞い、一年時から生徒会に属して、最後は是非にと推されて生徒会長にまでなった。だが、同級生は双子の存在を知らなかった為、良くない噂を立てる者がいた。
「蕺草沙知子には裏の顔がある」
 夜の街を徘徊する小夜子を偶然見掛けてのことである。妬みを油に、その噂が燃え広がると、沙知子は生徒間で孤立した。苗字の悪口を言われた。陰湿な嫌がらせも受けた。故に、中高一貫教育から抜け出して、別の学校への進学を望んだ。
  
 そんな矢先、彼女も宵の口に小夜子と街中で出くわした。秋が深まる頃の、悩み多き足取りは、帰路を迂回させたのである。浮かれた様子で向かい側から歩いてきた小夜子は、男女数人とつるんでいた。擦れ違いざま、その中の一人が騒ぎ出した。お前にそっくりな奴だと。
「え? 知らない。そんなダサい奴」
 沙知子は逃げるように立ち去った。たしかに自分はダサいと思った。もっと自由に生きてみたかった。
 その晩、母親に別の高校へ進学したいと訴えた。通える範囲の女子校が他にない為、当初は断固反対されたが、あることを条件に許しを得た。
「男子との交際は一切禁止。仮に妊娠した場合は・・・分かっているわね?」
 堕胎の強要である。沙知子は母親を恐ろしいと思った。いつか殺される気がした。沙知子である限り束縛される。小夜子の場合は放任される。あの時のように入れ替わりたいと思った。小夜子の持ち物を盗み見た。彼女がこっそり勉強していると分かった。

 入れ替わりを持ち掛けるか否かの、新たな悩みが生じた頃、沙知子は初めて恋に落ちた。危うい雰囲気を醸し出す男である。心の隙を突かれるように、雪の降る街中で声を掛けられ、甘い言葉の数々に誘惑された。足を踏み入れたことのない刺激的な場所に連れて行かれた。中学生最後の冬休みは、学校の自習室へ行くふりをして、連日その男と遊び回った。下の名前をまだ教えず、ダミちゃんと呼ばれた。
 受験生らしくないまま春先の進学試験を迎えたが、これまで真面目に取り組んできた彼女にとって、追い込み学習は必要なかった。すんなり希望通りの学校へ進学が決まったのである。

 そして三月中旬、蕺草姉妹は将来について二人で話し合った。
「今後の人生を入れ替わるとしたら・・・」
 そう切り出した上で、金を要求したのは沙知子である。優等生と不良、単純な入れ替わりでは釣り合わないと言った。
「本当にダッサいね。いくらほしいの?」
「百万」
 即答した沙知子は、小夜子がそれくらい持っていると知っていた。それくらい無茶な要求をしても受け入れるだろうと踏んでいた。大学進学を目指してやり直すのであれば、蕺草沙知子になった方が断然良い。母親の犯罪的な束縛を受けることになるが。
「沙知子は私になってどうするの?」
「彼氏と暮らす」
「へえ、彼氏なんているんだ」
 小夜子はわざと見下した態度をとっていた。幼い頃と立場を逆転させる為に。本当は沙知子への憧れを拭えず、母親への恨みは募り、これは復讐のチャンスでもあると思った。
「沙知子に騙されたら、お母さん泣くよ」
「たぶん死ぬまで気づかないけどね。死に際に教えてやったら? 私は小夜子ですって」
 姉妹は目を見合わせ、仄暗い笑みを浮かべた。

 数日後、沙知子は百万円を現金で受け取った。その足で姿を消して、十八の彼氏が住む小部屋に転がり込んだ。蕺草小夜子として自由に生きる道を選んだ。
「古風でいい名前だな」
 複雑な気持ちになった。それでも自分の、新たな名前である。門出を祝福するように、桜の花が咲き始めていた。

 片や小夜子は、蕺草沙知子として真っ当に生きる道を選んだ。志すは起業家である。それが金を稼ぐ上での最適解であると、大人を相手にしながら学んでいた。人を使う側にならなければ、金も物も自由にならないと感じていた。それは母親の、沙知子に求めることと合致する。
「小夜子は本当に馬鹿な子」
 母親は沙知子の行方を探さなかった。姉妹の目論見通り入れ替わりに気づかないまま、小夜子の志を沙知子だと信じて支援した。

 それから凡そ六年半の間、姉妹は再会することも、互いに正体を暴露することもなく、二十二の夏を迎えた。
 東京の女子大に進学した小夜子は、都内の一流企業への就職が内定していた。起業を前にした、三年程の研修という心積もりである。蕺草沙知子になりきった彼女は、誰の目にも順風満帆に見えた。地元の母親は、自慢の娘だと言った。
 本来であれば、そうなるはずだった沙知子も、都内で暮らし始め、駆け出しの賭博師になっていた。いかに母親を嫌っても、血は争えない。奇妙な勝ち運を発揮して荒稼ぎをしていたが、このままでは身を滅ぼすと感じていた。これ以上稼ぐと堅気に戻れない危険があった。
 この辺りで手を引かなければ・・・
 潮時を強く意識した沙知子の耳に、小夜子の良い噂が耳に入った。苗字の蕺草はいやでも目立つ。友達の友達に蕺草という人がいるらしいなどと、情報がもたらされる。それによって、沙知子は悪巧みを思い立った。所持金はかつての三十倍、凡そ三千万円あった。

「久しぶりね」
 蕺草姉妹は、高級ホテルの一室で再会した。瓜二つの外見に異なる環境は手を加えず、どちらも細身のワンピースが映えていた。招かれた小夜子は警戒心を持ち、携帯電話のボタン一つで助けを呼べるように手配してあった。まず沙知子は大金を見せた。黒いアタッシュケースの中に、ぎっしり一万円札が入っていた。
「三千万。悪くないでしょ?」
 小夜子は何も答えなかった。起業を志す者ならば、垂涎ものの金である。
「私も手放したくない。だから賭けをしよう。あなたが勝ったら三千万、私が勝ったら蕺草沙知子。また入れ替わるの。もう小夜子という名前はうんざりだから」
「名前? そうじゃないでしょ。相変わらずダサいね。・・・ポーカーならいいよ。あの時と同じで」
 承諾した沙知子は、電話一本でホテルの従業員にトランプを買ってこさせ、まるで女王様などと嫌味を言った小夜子に、真新しい物であることをレシートと共に確認させた。そして自分から、トランプを小気味よく手元で混ぜた。
「ねえ小夜子、あなたは小夜子よ。いんちきシャッフルなんて、私は見抜いていた。あの時わざと負けたの。小夜子が惨めだったから」
 そう釘を刺され、小夜子はトランプを受け渡された。手元をじっと見つめる沙知子を前にして、観念したように笑った。
 
 敗れた小夜子は忽然と行方を晦ました。必要最低限の物を取り替えて。
 沙知子は三千万円を所有したまま蕺草沙知子に戻った。一瞬すべてを手にしたような気分になったが、六年半の空白はあまりに大きい。頭を打ち付ける事故に遭い、記憶の喪失が激しいなどと嘘をついた。蕺草沙知子がどのような人物になっているのか、表も裏も調べているうちに、衝撃的な事実を知ることになった。
 蕺草沙知子は、あれこれ投資に手を出して、ことごとく失敗した結果、凡そ三千万円の借金がある。やはり小夜子に勝ち運はなかった。裏社会に通じている組織から借りていた。即ち、すぐに返さなければ、美しき借り主はどこかへ売り飛ばされかねない。
 そして就職の内定は、取り消されていた。借金が表沙汰になり始めていた。学校は処分保留の停学である。借金はすぐに返すと説明したが、退学になりそうであった。
 真面目な沙知子として、母親にどう説明するか考えつつ、あの小夜子との賭けを思い出した。
 きっと小夜子は、始めから正々堂々と、負けるつもりでいたのだろう。お互いの人生をリセットする為に。もう何もない。母親にもはっきり言おう。蕺草沙知子はくだらない人間であると。
 素のままで生きようと決意した彼女は、その時すでに妊娠していた。誰の子か分からないことになるが、それも自分で蒔いた種である。
 灼熱の黒い太陽が、彼女の白い素肌に容赦なく照りつけていた。
 

 

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