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「私」というストーリー2~ADHDが長所になるまで【第一章】

幸せを求めて

「幸せってどこにあるんだ?」
たぶん多くの人が幸せってどこかにあるものだと思って、求めていると思います。
例えば、お金や恋人、充実した仕事 etcなど、自分の外にあると信じています。

私もそうでした。

「幸せじゃないから、幸せにならなければ!!!」と色々なことに挑戦してみました。
ウォーキングやお花やサークル活動、イベントへの参加や○○セミナー、瞑想などの精神世界、等々いろいろなことをしました。
その中で今も続いているのが、セラピーや占星術、タロットの勉強でした。

自分がとても生き辛くて苦しかったので、心の世界への興味がとわけ高かったなと思います。
本も1ヶ月に10冊以上読んでいたときもありました。

それは、この生き辛さの原因はなんなのか、どうしたら生きている感覚を得られるのか、その答えを必死で探していたからです。
でも、もがいてももがいても、答えはみえてこず、、、。

見つからない幸せをさらに求めて

生きづらさに幼少期の生育環境も影響しているのがわかったので、よいと言われる事をしてもたくさんしました。
それでもやっぱり苦しくて苦しくてどうしようもありませんでした。

わけの分からない生き辛さが、自分という人間への惨めさや情けなさになり、どんどん自己否定感が大きくなるばかりでした。
私は幸せになるためには何かにならないといけないと思っていました。

何かになるためには、このダメな自分をダメじゃない自分にしなければいけないのだと、セラピーなどもたくさん受けていました。
こんなダメな自分を何とかしたくて、イギリスまでカウンセリングを学びに行きました。

そのころ、医師からADHDの可能性は高いということを言われていましたが、確定診断を受けることはしませんでした。
ダメな自分を変えなければ幸せになれないと思っているのに、そんなトドメの一撃をくらうほど私には余力はなかったのです。
なので、今でもグレーゾーンだということにしています。

何とかしようともがいてももがいても、全然苦しみは減らず、苦しさは増すばかりで、底なし沼のような深みに沈んでいくような、そんな怖さを感じていました。

今、振り返ってみると

今ならそうなってしまった理由がわかります。
ダメな自分を否定すればするほど、ダメな自分は強くなります。

私たちの現実は“今”この瞬間の積み重ねでだからです。
「今」この瞬間がダメなら1秒先の自分もダメなのです。
ということは、ダメだと思っている限り、未来永劫ダメな自分しか生まれません。

たとえ、歯をくいしばって目標を立てたとしても、ダメな自分が消えることはないのです。
マイナスにプラスをかけてもマイナスが大きくなるようなものです。
ダメな自分だと認識している立ち位置からは、決して幸せにはなれないということが分かりました。

しかも、ダメな自分というのは単なる思い込みで、真実ではありません。
にもかかわらず、私はそのダメな自分という幻想に全身全霊でのめり込み苦しんでいました。

それは苦しいはずです (^-^;)
そんな状態が続いたとき、ものすごく不思議な体験をします。

幸せしかない世界への体験

一瞥体験をする約半年前のことでした。
その体験はある意味、一種の一瞥体験だったのだと思います。

ボーっと通勤電車の窓から外を眺めていたら、「私は今まで不幸だったことなんてなかったんだ!!」と意識が吹っ飛びました。
「ずーと幸せだったのに、不幸だと思い込んでいただけだったんだ!!!」「不幸って何?分からない!」
と、不幸だという感覚がなくなり、不幸ということがどういうことか分からなくなっている不思議な感覚でした。

けれどもそれは長くは続かず、段々元の意識に引き戻されていきました。
不幸で重たい心が戻ると逆に、ずっと幸せだったあの感覚はなくなりました。
思い出そうとしても思い出せず、あの感覚さえあれば幸せなのにという後悔が強く残ったのです。

生きることも死ぬこともできない苦しみ

そして日増しに何かが足りないような苦しさ、水を飲んでも飲んでも喉が焼けつくような乾きに似た感覚が強くなっていきました。

「私は一体何がほしいのだろう?」
「幸せになるってどういうことなんだろう?私は何があれば幸せだと感じるんだろう?」
という答えはないんじゃないかと思うような底知れない深い闇に落ちていくようで、とても怖く、そしとても疲れていました。

「あれから何年たったっけ、、、?」と、自分は何なのかを知りたいと魂の旅を始めた頃を振り返っていました。
その呟きには生きる気力は残っていませんでした。

「すべてが無くなっても頑張ってきたのに何にも手に入らなかった、、苦しさだけが残った、、、」
と私は強く絶望していました。

ただ、死んでも終わりにできないことは知っていたので、死ぬことも自分の選択肢としては残っていません。
けれども、生きることもできないのです。

死ぬことも生きることもできず、どうしていいのかわからずに、私はその場に立ち尽くすことしかできませんでした。

続く


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