「私」というストーリー1~ADHDが長所になるまで【第一章】
「ママはまだお仕事なんだ・・・・」
そうつぶやきながら、小さな女の子は上半身を起こしました。
部屋はまだ真っ暗で肌寒さを感じます。
夜明けまでにはまだまだ時間がありそうです。
不気味なほどの漆黒と静寂の広がりの中で、聞こえるのは隣に眠る兄の寝息だけ。
体温で温まった布団は、ママのぬくもりには程遠く、さらに心細さを感じさせます。
女の子はママのいない寂しさを我慢するように、頭から布団をかぶるとまた眠りにつきました。
この女の子というのは私です。
私とは何か?
私は「自分は一体何なのか?」という思いを、幼い頃から何とも言えない息苦しさとともに感じていました。
その思いは年齢を重ねるごとに、私の心の中にどうしようもなく激しい衝動として掻き立て、自分探しへの旅へと突き動かしました。
「私」というストーリーは、30年以上「自分とは何か?」について彷徨った軌跡についての物語です。
恋しくて仕方がなかった母の温もり
私が物心つく前に父は他の女性のところに行くために家を出て行きました。父は養育費を渡すような人ではなく、むしろ自分のためだけにお金を使うような人でした。
そのため母は昼夜問わずに働かなければなりませんでした。
私はもっぱら留守番です。
元来、寂しがり屋で甘えたの私には、この環境はかなり苛酷で、愛情に飢えていました。
小学校の時にはいじめにもあい、私の自己肯定感は地の底を這っていたと思います。
転校していじめがなくなりホッとしていたら、今度は兄の家庭内暴力が始まりました。
破れたカーテンを握りながら泣いている母の姿を初めて見とき、心の中で絶望感が広がるのを感じていました。
生きることへの漠然とした不安
小学生の時には、もう死んでしまいたいと思ったのをはっきりと覚えています。
心の中は空虚感でいっぱいで、小さなころから、生きること自体が苦痛でした。
その苦しみは
「死んだらどうなるんだろう?」
「いつか死んでしまうのに生きなくちゃいけない理由ってなんだろう?」
「自分て何だろう?」
という答えがでないような哲学的な疑問を抱くきっかけになったんだと思います。
ある日、テレビでアフリカの子どもたちの飢餓問題を放送していたとき、「自分とこの子と何が違うだろう?」と強く思いました。
同時に「私はどうしてお父さんがいない家に生まれてきたんだろう?」そんな疑問がフツフツと湧き出てきました。
いま思うと、そういうことをずっと考えていたのは、辛い現実を見たくない現実逃避だったように思います。
ただ成長するにつれ、そんなことを考えることも馬鹿らしくなり、空虚感を抱えたまま、ただただ毎日を怠惰に過ごしていました。
否応なしに襲い掛かる人生の転落
その乾いた心を埋めたかったんだと思います。
20代半ばにとてもいい人と結婚をしましたが、それは何の解決ももたらさず、自分が「何か」に追い詰められていくだけでした。
そしてその次に考えたことは、何か良い職業に就けば、きっと自分は充実感を感じることができるだろうという思いでした。
その思いを起爆剤にし、猛勉強の末、地方公務員の上級職につきました。
でも数年後、私は部屋で布団を頭からかぶり、外に一歩も出れなくなっていたのです。
私は頑張って得たその職を失い、夫を失い、健康を失っていました。
「どうしてだろう?」
「なんで??」
「私、何か悪いことした??」
「ただ、幸せを感じたかっただけなのに、どうしてこんなことになったんだろう?」
という絶望の中にいました。
魂の旅への決意
そんな私が死ぬことを止めたのは、たくさんの本から得たスピリチュアルな教えでした。
心のどこかで死んでも苦しみが続くことを知っているという感覚でした。
その一年前に届いた占星術師イヴァルナのソウルメイトリーディングの人に会ってみたいなという下心もありました("▽"*)
でも一番の理由は、小さい頃からの疑問「自分て何だろう?」の答えが知りたいという、心の深い深いところからの強い欲求でした。
そう、魂の旅を始めてみたかった、それが生きることを選択する大きな理由でした。
続く
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