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「私」というストーリー3~ADHDが長所になるまで【第一章】

命をかけてほしかったもの

「自分が欲しいものってなんだろう?」
「本当に自分が欲しいと思っているものって何だろう??」
この問いに真剣に答えをだすことだけが、生きることも死ぬこともできない私に残されている唯一の道のような気がしました。

そして、自分自身に真剣に問いかけ始めました。

使い切れないほどのお金があったら嬉しいけど、私の心は満足しない、多少の慰めになるだけだな。
これぞ自分の命をかけていいと思える仕事に出会えたら私、満足するのかな?
でも何かが欠けているような気がする、心のこの空洞は埋まらないな、、、。
完璧とも言える愛する人ができたらどうなんだろう?

私が欲しいものは、そういうことで代替できるようなものではない、ということだけははっきりしました。

その他に「病気のしない身体?」「顔とスタイルが抜群では?」ということも自分に問うてみたのですが、どれも答えはNOでした。

安心感とか愛されたい感覚がもっと欲しいのか?
確かにそれは欲しい、、、でも、、、でも、、、何か違う、、、。

自分が欲しいものを思いつく限り出しててみましたが、答えを得ることができませんでした。

「私を知りたい」という激しい飢え

じゃぁ一体、私はどうすればいいんだろう?
もう自分自身が分からなくなっていました。
そう自分自身が分からないのです。

「私」という人間、そんなことじゃない!それは私であって私ではない!!私って一体何??
私が一体何なのかを知りたい!!
心の奥底から沸いてくるこの強烈な感覚に、誰かが答えをくれるわけでもなく、激しいこの「飢え」に苦しんでいました。

今ここにある意識そのものが私

その飢えを抱えながら、いつもの惨めだと思っていた日常生活を送っていた冬のある日のことです。
長靴から伝わる雪の感触や頬にささる冷たい空気、、、、を感じながら無心に歩いていました。

そして「もう何もいらないから、この命もいらないから、私は何なのか知りたいの!お願い!自由にして!」と、強く強く心の中で叫びました。

人生かけて真剣に欲しいと思った答えは、「私が一体何か?」ということだったようです。
「誰か?」ではなく「何か?」なんです。

その強烈な衝動を吐き出した瞬間、本当にまさにその瞬間の出来事でした。

圧倒されるほどの感覚とともに、見えている世界すべてが「私」になったのです。
正確には、今まで「私」と思ってきた「私」は「私」ではなく、今見えている全てが「私」だったんだと意識が180度シフトしました。

「私」というのは、純粋で永遠なる存在として「今ここに既に在る意識そのもの」それが「真実の私」だったのだと理解しました。

長い長い探求の終わり

私の喜び、私の悲しみ、私の苦しみ、、、「私の〇〇」と考えていたものすべては、この活き活きとした静寂の意識という存在の中から生まれ、そしてまた静寂の意識の中に消えていくのです。

これが絶対的な自分というものの真実なんだということが、その瞬間分かったのです。
静寂の意識という存在が私の本当の姿ということだったのです。
しかも驚くべきことは、それを私はずっと以前から知っていたことでした。

「やっと思い出せた、、、。そうだった、、、私は死ぬことも生きることもなく、今ここに永遠にあり続ける“それ”だったんだ」と。
それはあの強烈な飢えへのすべての答えでした。

「私」だけではなくすべての存在はこの静寂の意識そのものです。
それはあらゆるところに、見えるもの見えないものすべての中に既に在ったのです。

そしてこの体験は私の長い長い探求に終わりを告げた瞬間でもありました。

続く


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