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京都で『歴史』を走る " 旅先で『日常』を走る 〜episode 2〜 京都編 "

前回のあらすじ

皇居で『境界』を走る

" 皇居ランのルールは逆時計回り。したがって皇居を走る我々にとって常に右手には日常、左手には非日常が存在する。"

↓ では、episode2 京都編スタートです ↓


あまり興味が湧かない非日常な土地

修学旅行先は京都・奈良だった。中学も高校も。
子供だった私には京都の歴史的建造物などは退屈でしかなく、神社仏閣を予定通り回ったことにして公園で友達と喋ったりタバコをふかしたりしていた。

大学時代には当時付き合っていた女性と一泊二日で京都を旅行した。
どこを見たのか覚えていないが、宿泊先で喧嘩をして気まずい思いをしたことだけ覚えている。私にとって京都とはその程度の、特に思い入れのない土地のひとつだった。ある文章に出会うまでは。

『観光しない京都』の衝撃

今から2年ほど前、PLANETSチャンネルのメルマガで『観光しない京都』という文章を読んだ。

以下、引用。 


“ 旅をすることで、僕たちは普段とは違う土地の、違う街で食事をして、寝起きして、そしてものを考える。普段とは違う日常を過ごす。そうすることで、普段は気がつかなかったことに気づく。それが旅の醍醐味だと思います。”

“ 歴史も文化も構造もまったく違う街を歩くことで、目に写り、耳に入るものごとから受ける様々な刺激。こうしたものを旅から戻ってきたときに、旅に出る前の自分と少しだけ、それも自分でも気づかないうちに変わってしまう。それが僕の考える旅の面白さです。”

“ しかし観光という文化はこの旅の経験をときに大きく損ないます。
それは僕たちを特別な場所に実際に足を運ぶという目的に縛ってしまいます。”

筆者である宇野常寛さんは転勤族の家庭に生まれ育ち各所を転々とした、いわゆる『流浪の民』。どこで暮らしていても、異邦人の距離感と侵入角度でその土地に触れていた経験からか、『暮らすように旅する』ことを提唱されている。

この連載で続々と明かされていく観光地された京都とは違う側面に私は興味を抱き、そして惹かれていったのである。

“ 京都といっても当然のことですが名所旧跡や文化施設ばかりではありません。この街に暮らす人の大半は(僕たちがそうであるように)そういったものとは直接関係のない生活を送っている人が大半で、そんな彼らにとってこの街は日常の、生活の場です。”

ごく当たり前の話だが、京都といえど観光地である前に生活の場、それも政令指定都市。学生も多く、サブカルチャー的な文化も根付いている。

宇野さんの連載に登場する鴨川沿いの風景や色々なお店にすっかり魅入られて、ついには大阪に行く用事のついでに京都に立ち寄り『観光しない京都』の聖地巡礼をするまでに至った 笑。

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※ 鴨川流域

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※ 『WIFE&HUSBAND』のアイスコーヒー

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※ 『はせがわ』のAミックス

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※ 『ハンデルスベーゲン』のジェラート


暮らすように走る京都ラン

それからしばらくして、趣味として走ることを覚えた。ぜひ京都で一度走ってみようと思い立ち、去年の正月に『観光しない京都ラン』を決行することとなった。

まずは、梅小路にある町屋を改装したゲストハウスの屋根裏部屋に宿泊した。

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チェックインした際に、宿の方から近所の銭湯を紹介された。なんでも文化財だか何だかに指定されている由緒ある銭湯だそうだ。自転車とお風呂セットを借りて、早速銭湯に向かった。
なんだか日常だか非日常だかよくわからないシチュエーションだな 笑。

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予期せぬ展開に若干胸躍りながら自転車をひたすら漕ぐ。なんの変哲もない街道沿いを10分ぐらい漕ぎ続けると、右手に東寺が見えた。夜も遅かったので中には入れなかったが、ライトアップされた五重塔が見えた。厳かでとてもきれいだった。

町中に突然現れる歴史的建造物。ちょっとしたタイムスリップをした気分。

と同時に、ここで大変な過ちに気付いた。
「あれ? 京都くんだりまで、私は何をしに来たんだっけ?」

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左手に曲がるとほどなくして『日の出湯』という銭湯にたどり着いた。どうやら映画のロケ地にも使われているような昔ながらの銭湯であった。適度に空いていてインバウンドとおぼしき方の姿もチラホラと。 そしてイメージ通りのいいお湯。
満足! しかし心の中に一片の曇りが。

嗚呼、もしもここまで走って来ていたならば、さぞかしもっと気持ちよく汗を流せただろうに…

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ひとっ風呂浴びて宿に戻る道すがら軽く飯でも食べようと店を探すが、どこもやっていない。京都といえど、やはり地方には変わりはないなと感じた。結局コンビニでどん兵衛を買って、宿でお湯を入れて5分待って食べた。

明日こそは本気出す!

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一夜明け、さっそく宿の周りを走る。まずは西本願寺。早朝なので人気はまばらだが境内は解放されていた。もちろん寄り道をして参拝する。

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続いて島原という遊郭跡らしき一角を通過する。街角の端々にその場所の歴史的な由来が書かれたプレートなどが掲げられている。築年数がかなり経過しているような一軒家もポツポツと建っている。

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適当なところで角を曲がる。
『ナクヨウグイス平安京』のはるか昔から京都の町並みは区画整理がなされているため、まさに碁盤の目のように整然としている。どこを曲がっても見通しが良い。アップダウンもほぼなく、平坦である。

走りながら、京都の歴史を体現したこの整然とした感じに対して、生理的に違和感を感じる。恐らくは私が、ほぼ坂道と階段で出来ているような町の、車も入って来れないような路地裏のどん詰まりで育ったからなのだろう。

京都の街は走りやすいし景観も良いのだが、この見通しの良さに対してやけに窮屈さを感じた。なんというか、逃げ場がない感じというか… 他者の視線から逃れられない感じというか。よくネタにされる京都特有のウェットさ、閉鎖的で選民思想的な文化はこういった歴史に根差した地理的な文脈から生成されるのかな?と感じた。

あてもなく適当なところで何度か曲がったが、街が整然としているため道に迷うこともなく宿にたどり着いた。この整然としたところが京都の走りやすいところでもあり、一方で複雑さに欠けるところでもあるのだろう。


走ったあとは自分へのご褒美をふんだんに!

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※ 『市川屋珈琲店』のフルーツサンド

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※ 『ジャンボ』のお好み焼きと焼きそば


今回は痛恨のミスによって東寺方面は走らなかったが、推奨コースはこんな感じ。

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日常に侵食する『歴史』という名の非日常

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『観光しない京都』を読んで、旅先でも暮らすように走るという楽しみを覚えた。そして京都を走ることによって物理的に歴史に触れると言う楽しみを獲得した。

私はブラタモリが好きで毎回欠かさずに見ているが、あの番組では主に地形図やら地層やらを使ってその土地の持つ歴史をあきらかにしている。一方で我々は走ることによってその土地の地形だったり土地の連なりを身をもって体験することができるのだ。


我々は京都を走ることによって、以下に挙げる3つの豊かさを獲得できるのである。

■走ることそれ自体で、その土地の地形や連なりを体感できる。それによって、京都という土地がその歴史の中で培った文化(というか文脈)を感じることができる。

■日常の中に点在する歴史的建造物を目の当たりにすることによって感じる非日常感。また、この土地の歴史が産み出した成果に物理的に触れることができる。

■暮らすように走ることによって、『現在の京都』が持っている日常を感じ、追体験できる。


すなわち、京都を走ること特有の豊かさとは、『日常と非日常』を行き来しつつタイムトリップ的な体験をしながらも、その歴史的な文脈に導かれ決して道に迷わず日常に軟着陸できるところでは無いだろうか?


追記

この記事を書いてから5か月後の2020年8月から、出張で京都を月1~2回訪れるようになった。私が京都を走ることは『日常』に変貌した。
そのことによって生じた京都への距離感や進入角度の変化を以下に記しておく。

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出張で京都に滞在している。

学生時代の修学旅行はもちろんのこと、40歳を過ぎてから突然旅に目覚めたので、ここ数年は京都にもちょくちょく寄るようになった。とはいえ京都だけを目的地にする旅をしたことはなく、夜遅く到着してそのまま一泊したり、他の場所から移動して半日だけ滞在したりと、あわただしい旅がほとんどであった。

今回の出張は二泊三日、翌日は公休なのでもう一泊京都にとどまって、計三泊四日の滞在となった。仕事がらみの事情もあり、京都市街の特に繁華街や飲食店の現状を把握する必要があったので、私は今までの旅よりも、じっくりと腰を据えて探索をする気満々だ。
しかし、日中はフルで業務が入っている。実際に町を探索できるのは主に夜間、早くても20時頃からになる。そういえば京都の繁華街を夜に散策した覚えはほとんどない。コロナ禍のご時世で夜の賑わいにも変化があるだろう。今まで足を踏み入れたことのない路地裏や飲み屋街にも、行動範囲を広げてみよう。

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滞在初日は、同僚が住んでいるマンションの一室を間借りして寝泊りすることになったので、職場からそのマンションまでの道のりを散策した。

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烏丸通りを越え路地裏に入る。
とりたてて特徴のない路地であるが、通り沿いに昔ながらの京町屋が点在しており、今でも住居として使われているものあれば、店舗やゲストハウスにリノベーションされているものもかなり見受けられる。通りかかったのが22時頃だったので、ほとんどの店舗はすでに閉店していた。

こういった路地裏の片隅に生き残っている町屋や、三条通りの郵便局や美術館のような明治時代から今に至るまで残されている建築物を見るにつれ、ひとつの感想というか感慨が湧いてきた。

「空襲や震災の被害を免れると、こんなにも歴史的建造物が残るのか」と。

時は8月。どうしても第二次世界大戦のことが頭の隅に残ってしまう。特に広島や長崎の原爆の惨状であったり、毎年8月の恒例になりつつある映画『この世界の片隅に』のTV放映で描かれる空襲や戦時下の日常であったり。戦時中に起こったことなどは、いまや各種メディアを通すことでしか知ることができないが、実際に京都を含め日本中様々な土地を訪れると、それぞれの土地に残された歴史や文化に関して、否応なく敏感になってくる。

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京都の街に積み重ねられた、少なくともここ200年くらいの歴史や文化を目の当たりにすると、どうしても今までに訪れた広島をはじめとした多くの土地のことを思い出して、比較してしまう。
戦争に限らず、島国の特性として自然災害に見舞われるリスクが付いて回るこの日本では、今の京都のように文化が物理的に数百年続いていることの方が奇跡的なのだろう。

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滞在二日目と三日目は、先斗町や木屋町といった飲食街と、三条・四条・鴨川といった繁華街を探索した。週末であるが以前に比べて人通りは少なく、飲食店の客足も厳しめである。なにより驚いたのが、先斗町でも木屋町でもコロナの影響で休業している飲食店がかなりあったことだ。

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正直、京都くらいの感染状況だったら、そこまでデリケートになることはないのではないか?と思う。しかし、京都民の県民性からすると、ひとつ間違えて感染者が発生したが最後、店舗を継続できないくらいの圧力が多方面から生じるのだろうな、とも思った。
いわゆる『風評被害』的なダメージに関しては、恐らく京都が日本中で一番強烈なのだろうと想像を巡らせる。

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京都滞在最終日、この日は公休を取ったので、まずは早朝に走った。四条烏丸のホテルから四条通りをまっすぐ河原町まで走り抜ける。バス停の天井からミストが噴霧されている。道行く人たちはほぼ全員がマスクを装着している。

鴨川の手前を左折し、木屋町と先斗町を走る。この辺りは典型的な夜の街なので人気もなく、ゴミをあさるカラスを眺めながら進む。

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三条から鴨川に降り、鴨川デルタを目的地に進んでいく。歩く人・走る人・チャリの人すべて、マスクの装着率が一気に下がる。このあたりの人にとって鴨川は日常の一部なのだろう。

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最近、私は川沿いばかりを好んで走るようになった。心地よい風を触覚でとらえ草木の香りを嗅覚に感じ、鳥や虫たちの鳴き声を聴覚で受け止める。ここはあえて視覚をキャンセルすることによって、沿道と一体化したいところである。しかし転んで鎖骨など折らないように、足元にだけ気をつけて走り続ける。

デルタの手前で車道に上る。新興住宅地が沿道に並ぶ。町屋や歴史的建造物のようなものは全く見当たらない。同じ京都市内でも地域によって歴史や文化の違いが物理的に迫ってくる。これが旅ランの醍醐味である。
もうすぐゴールだ。宿に戻って汗を流しチェックアウトしたら、市川屋珈琲でブランチを決め込もう。

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旅先ではあるが、この地に暮らす人たちの日常を追体験するかのように過ごすと、その街の見え方が変わってくる。おすすめの過ごし方だ。

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次回予告

熊本で『過去』を走る

乞うご期待!

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