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人口が半減していく日本での地域振興とは?

先月の初旬、齢50にして人生初めての学会発表をここで行うことになり、私は兵庫県豊岡市を訪れた。

学会の発表大会自体も面白かったのだが、その前日に開催された豊岡市内のフィールドリサーチも興味深い体験だった。豊岡は98年前に起こった震災によって壊滅状態となり、復興にあたり鉄筋コンクリート造の建築を採用したため、今でも当時の建築物が多残っていることを、まず知らされた。市役所の向かいに建っている旧兵庫縣農工銀行豊岡支店は、今では「オーベルジュ豊岡1925」として使われている。市役所前に伸びる商店街を、豊岡駅とは逆方向に進む。平日の昼下がりだが人通りはほとんどなく、シャッターが閉じている店舗の方が多い。

交差点を右に曲がると、「豊岡カバンストリート」が道の両側に展開されている。豊岡の主力産業である鞄製造と商店街の振興を兼ねた取り組みで、地域の若い商店主たちと但馬信用金庫が中心となって再開発を進めているとのこと。カバンの自販機が設置されていたり、地元産品を取りそろえた鞄のセレクトショップなどが並ぶ。この商店街では店舗の上層階を使って、全国各地から鞄職人志望者を集めて格安で育成しており、そこで作られた物も店頭に並んでいる。ミシンなどが備え付けられた、会員制のシェアワークスペースもある。また、鞄を専門にクリーニングや修理を行う店舗もあり、全国各地から依頼が絶えないという。

その次は、西日本有数の人気温泉地がある城崎にバスで向かった。 温泉地の中心を流れる大溪川沿いを浴衣姿でそぞろ歩きし、7か所ある外湯を巡ることが城崎温泉での過ごし方の醍醐味だそうだ。海外の、しかも欧米系の観光客の姿が目立っている。もちろん多くの観光客は浴衣姿だ。改装中で休館になっている旅館の大広間に通され、四代目社長から城崎温泉の歴史と98年前に起きた震災からの復興についてお話を伺った。温泉街全体が焼け野原になったとことを逆手に取り、一から温泉街作りをやり直したとのこと。「そぞろ歩き」を売り物にするために各旅館の大浴場の広さを制限して外湯への誘導を促したり、中心地の河川を改修するなど、温泉街一体となった街づくりの甲斐あって、宿泊客数は好調に推移している。

バスで豊岡市街地に戻る途中、隣席に座っていた教授が「あれ」と車窓に映る田んぼの先を指さした。「コウノトリですよ」。1971年に国内では絶滅してしまったコウノトリ。その餌となる水辺の生きものを育む湿地環境が広がっている豊岡で人工飼育したコウノトリを放鳥し、現在は300羽以上がこの一帯で暮らしているという。コウノトリの生育環境を整備するために、大規模な湿地や農家の協力で設置した水田ビオトープなどさまざまな湿地を整備し、収穫したコメを「コウノトリ育むお米」のブランドで販売している。

豊岡という地に存在するさまざまな質の地域資源を、それぞれのプレーヤーが掘り起こして活性化を試みている。その上に大学や演劇など新たな要素を付加し、街全体を振興させていこうという取り組みは志が高く、また産学官金がうまくかみ合って取り組めている様子を見て取ることができた。

フィールドリサーチが解散した後、私は駅前商店街に一人で繰り出した。目的地は「だいかい文庫」。ここは家庭医療専攻医であるオーナーが開店した、民間の「シェア型図書館」だ。店舗が一箱本棚オーナーを募り、箱を借りた人たちがそれぞれ自分のおすすめする本を棚に置き、交互に店番をする仕組みとなっている。私の知人がこちらで何度か店番をされていた縁で以前からその存在を知っており、せっかくの機会だから足を運んでみたのだ。

店内に一歩入ると、常連客とおぼしき男性が店番の女性に楽しそうに話しかけていた。店番の方も作業の手を止めて相槌を打っている。私は壁際にずらりと並んだ書架を奥に向かって順に眺めながら進んでいく。常連客の話が止まると店番の方から私に声がかかり、この店のシステムや成り立ちについて一通り説明があった。レジカウンターの奥にはコーヒーマシンがあり、カフェとしても利用できるとのこと。遠方から来ているので本を借りるのはあきらめて、販売している本を二冊購入した。そのうち一冊は、この店のオーナーも執筆に参加している『社会的処方』を選んだ。

このように、豊岡市では産学官金の連携でさまざまな取り組みが同時進行で進んでいる。実際に街歩きをしたり地域の方々のお話を伺うことは楽しく、また大きな刺激を受けることができた。なにしろ。地域に根差した人たちの踏ん張りで、必死になって街の再生を図っているのだから。それでも、じつは私は心の中に違和感を抱いていた。 なぜなら、この地域に接している中で、いわゆる「意識が高くない」住民の姿がまったく見えなかったのだ。さまざまな立場の方々がそれぞれの持ち場でどれだけ頑張っていても、人口は右肩下がりを続けており商店街のシャッターは上がらないままなのだ。

少なくとも、98年前の震災以降必死になって豊岡の復興を支えてきた名もなき住民の存在をおざなりにして進む地域振興は、地盤改良や基礎工事をおろそかにして進められる再開発のような危うさを抱えているのではないだろうか?

では仮に、この先これらの取り組みが実を結んで移住者がどっと押し寄せたらどうなるのだろう? 職住接近のライフスタイルでの暮らしとなるであろうから、この地のベッドタウン化は免れるだろう。それよりも、豊岡の地に住民を誘致するための産業を、海運以外の交通に関して不便この上ないこの地で用意できるのだろうか? 工場や原発を誘致するひと昔前の策は、都会から来た企業の都合に振り回された挙句に他の地に工場を再移転されたり、原発に至っては事故や稼働停止や廃炉などの問題が積み重なり、取り入れることが困難になっている現在の状況で。

結局のところ、地域に食い扶持をどれだけ増やすかが生き残りの鍵となるのではないだろうか? ワーケーションを活用できるような職種に従事している人はそんなにはおらず、人々は職を求めて移動と集住を繰り返しているのだから。数多ある都市もそうやって発展してきたのだ。 もちろん、豊岡は交通の要衝としての存在価値があるので、なんとか存続していけるのだろうと想像はできる。
しかし、これから100年かけて人口が半分にシュリンクしていくこの国で半分の自治体が消滅するとの未来予測がされている中、地方自治体はまず「この地には、持続するに値する地域資源が存在するのだろうか」という根源的な問いを自らに発しすることから始めないとならないのではないか?

もしその地に地域資源があるのならば、無理に人口を維持しなくてもその資源を活用して地域外から金を稼ぎ、少ない人口でも暮らしを維持していくようなダウンサイジング策も必要となろう。


また、自らが「選ばれし地」でないと悟ったならば、地域の敗戦処理を粛々と進めることも視野に入れることが必要になってくる。それを自ら判断できない場合は、中央集権的に自治体の死刑判決をくだすことも止む無きことだと、悲観的な感想を持ってしまった。とはいえ、個人と同様に自治体にも「尊厳死」を視野に入れなければならないフェーズにいよいよ突入したのだという実感が、実際に地方を訪れることによって喚起されてきたのであった。

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