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松江で『湖』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode44〜 島根編 ”


前回のあらすじ

下関で『海峡』を走る

“ オフ会で上京してきた際には一緒に風呂に入り、一緒に浴びるように酒を飲んだ。そして、酔い潰れたラビを私が介抱したこともあった。出会いはオンラインだったが、少なくとも私にとってはラビは大事な友人だ。”


松江で『湖』を走る


前回の続き。
2019年10月、下関から萩へ移動しカヤックを楽しんだ私は、その後萩駅まで来た。ここから列車を乗り継いで、島根県に入る予定だ。
今夜、松江で人と会う約束をしているのだ。

時刻は17時。ホームに入線してきた各駅停車に乗り込み、私は島根に向かった。

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列車は悠然と、のんびり進む。
山陰本線は『本線』と名が付いてはいるが、この一帯は非電化で線路も単線だ。日本海沿いをひたすらまっすぐに進むローカル線といった趣きだ。

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車窓から日本海を眺める。波はまあまあ穏やかだ。これを夕凪というのだろうか。この風景が私のこれまでの旅の疲れを癒してくれるような気が、なんとなくした。私はボーっとしながら、車窓の風景を瞳の奥に焼き付けていた。

そうこうしているうちに、日本海の向こうに陽が落ちていく。

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蒼色の海が、夕陽の茜色に侵食されていく。昼から夜に模様替えを進めて行く日本海を眺めながら、私はこれから会う人との間に起こった出来事を思い返していた。

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ニマスは大学時代を京都で過ごし演劇に没頭していたそうだが、家業を継ぐために実家の松江に帰っていた。その後、2009年に我々はネットを通して知り合ったのだ。

ニマスとは、一緒に参加していたコミュニティが瓦解してからもしばらくは、ジジも含めた3人で連絡を取っていた。ZOOMなどない時代だが、Skypeでチャットやグループ通話をしたり、ニマスが出張で東京に来た時には3人で会って遊んだ。
両国でちゃんこ鍋をつついたり、鎌倉の神社仏閣を案内したり、お歳暮を贈り合ったりした。私は、学生時代からの友人に対する気持ちと同様の感情を、ニマスに感じていた。

しかし、ニマスの家庭の事情で、ある時を境に疎遠になってしまった。

今回の旅で山陰を周ろうと決めていたので、意を決して、ニマスに久々に連絡をした。連絡手段はSkypeとmixiと携帯メールだ。私が携帯メールを送ると、意外にもすぐに返信があり、すんなりと約束を取り付けられた。

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列車は終点の益田駅に到着した。ここで松江行きに乗り継ぐことになる。乗り継ぎ時間は30分だ。このすき間時間に立ち食いそばでも食べようと思っていたのだが、そもそも店自体が存在しなかった。
諦めてホームのベンチに腰掛けて、後続の列車を待つことにした。

視線の先に、なぜか柿本人麻呂像が置いてあることに気づいた。「なぜあの場所に置いてあるのか?」、一回気になると頭の片隅にその存在がこびりついてしまい、頻繁に彼と目が合うようになった。

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一面識もない爺さんの像とホームに取り残されていると、すっかり気が滅入る。しかもくそ寒い。心も身体も… このままでは凍死してしまうかもしれない。

列車が来るまでの間、島根にまつわる思い出を探って気を紛らわせよう。

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私が初めて島根を訪れたのは、2018年4月のことだ。45歳の誕生日を祝うために、有休を取って山陰地方まで旅に出たのだ。
東京から高速バスに乗った。夜通し11時間ほど乗り通して、朝の9時頃に出雲市に到着した。

まずは出雲大社にお参りしようと市街地の方へとブラブラ歩いていると、右手に出雲大社前駅を見つけた。

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この駅は、松江の市街地とこの地を結ぶ『一畑電車』の終着駅だ。改札外に、創業当時に使われていた車両が展示されていた。試しに入ってみる。

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日本における初期の旅客鉄道は参拝客の輸送をメインにしていたと聞いていたが、やはり出雲大社ほどの大物に向かう経路にはいち早く各鉄道会社が目をつけていたようだ。しかし、先に国鉄が出雲大社近くまで路線を通してしまったため、一畑電車がここまで線路を通すにはかなりの時間と手間が掛かったということだ。
ところが今となっては、国鉄の方が廃線となりこちらが生き残っている。一寸先のことはわからないものだ。

などと感慨にふけっている中、まだブレックファーストを摂っていないことに、ふと気づいた。一回気づいてしまうと、腹が減って減って仕方がない。まずは腹ごしらえをしよう。
出雲大社へ向かいながら、入れそうな店を探す。参道の入口に差し掛かる手前に、ちょっとした横丁的な路地を発見した。入ってみる。その中に並んでいる何軒かのお店は、もう開いていた。

どこに入ろうか?『出雲そば』、ここにしよう。大きめのわんこそばのようなビジュアルもイカしている。

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注文すると2〜3分で、三段に積まれた出雲そばが到着した。さっそく食する。美味。蕎麦の風味が強く、一口啜るとその香りが鼻から抜けていく。歯応えもしっかりしている。大満足だ。

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腹も満たされたところで、いよいよ出雲大社にお参りしよう。

鳥居がバカでかい! これは境内も一日掛けても回りきれないくらいの巨大スポットなのではないか?

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境内に入る。思ったより狭い。東京ドーム10個分くらいの広さを想定していたのだが… 境内の広さは、東京ドーム4個分くらいらしい。

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しかし、しめ縄は超ビッグサイズ!
45歳(当時)の独身男子としては、ひとまず縁結びをお祈りする。「油田かGAFA創始者のひとり娘、もしくは鄙びた温泉宿の若おかみとひょんなきっかけで出会い、結ばれますように。」

丁寧にお祈りを済ませたところで、先に進むことにした。(2021年6月現在、出雲大社のご利益はまだ届いていない。もう少し気長に待つことにする。)
道中、『因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)』像を見つけた。

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因幡の素兎といえば、なんか「塩水に浸かって肌がヒリヒリする。」的な内容だったと記憶している。

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プラプラと参道をふらつきながらよしなし事に思い耽っているうちに、出雲大社前駅まで戻ってきた。

ここでレンタサイクルを借り、あたりを徘徊する算段なのだ。

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幸運にも電動自転車を借りることができた。ここから1kmほど先にある、旧国鉄の大社駅跡に向かった。

到着。

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廃線になって30年くらい経つが、駅舎は重要文化財に指定されており、かつての面影がそのまま残っている。

駅舎内はこんな感じ。

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典型的な和洋折衷の明治建築。天井は高く、格子柄と白壁が特徴的だ。この付近に当時存在していた旅館や商店の広告看板も、往時のまま保存されている。時間を忘れてすっかり見惚れてしまった。

続いて駅のホームに立ち入る。

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線路上に雑草こそ目立つが、今にも列車が入線してきそうな趣きが残っている。かつては、あまたの参拝客が様々な祈りを胸に秘めながら、この駅に足を踏み入れたのだろう。なかなか他では体験できないような、貴重な経験ができた。

続いて、出雲日御碕灯台に向かった。
電動自転車を漕いで進む。海岸を抜けて、長い坂道を上る。上る… 上る……

なかなかハードな坂の勾配だ。旅の先は長い。ここでスタミナを無駄に消耗したら本末転倒である。
断腸の思いで、来た道を引き返すことにした。

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海岸を抜け、駅前のバスターミナルに到着した。ここからバスで灯台に向かうことにした。

バスに乗り、揺られること30分ほどで灯台の入り口に着いた。
灯台に向かう道沿いに、何軒も『ヒラマサ料理専門店』が目についた。どうやらこの辺りの特産物らしい。私は、その中から適当に店をピックアップして、遅めのランチを摂ることにした。

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ヒラマサたっぷりの海鮮丼。おそらく1,500円前後だったと思う。お味は流石に新鮮だ。珍しく、昼間からビールを飲んでしまった。海の幸を存分に堪能できた。

腹が満たされたので、いよいよ灯台を登る。

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内部の超狭い空間に設られた螺旋階段を、ただひたすらに登っていく。百数十段登ったところで、展望台にたどり着いた。

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日本海を臨む。美しい景色だ。
5分ほど眺めてすっかり気が済んだ私はバス停に向かった。

バスターミナルに着き、停めておいた自転車に跨って出雲大社前駅に向かい、自転車を返却した。そしてここから一畑電車で松江の市街地まで移動した。

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松江市内に降り立ったのは17時すぎだ。とりあえず松江城に向かった。せっかくだから一周してみる。お堀を周遊する舟が有名なので乗ってみたかったのだが、すでに営業時間は終わっていた。残念。

気を取り直して、宍道湖のサンセットクルーズ船の乗船場に向かった。
県庁近くの歓楽街を抜け、乗船場まで向かっているうちに、あいにくの雨模様になった。せっかく乗船しても夕陽を見ることは難しいだろう…

18:15発のサンセットクルーズ船は定刻通りやってきた。さっそく乗り込む。

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この空模様もあってか、乗客は私ひとりだけだった。自然と船長さんとマンツーマンになる。

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ひとまず窓の外を眺めていると船長さんから隣に座るよう呼ばれ、私は席を移動した。

そしてそのまま、一時間の乗船時間の間ずっと雑談をした。

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船長さんからは、主に松江が置かれている現状の話を伺った。「近隣の市町村は企業の工場誘致をして生きながらえている。松江には資源がなにもないので、原発を誘致した。県庁所在地に原発があるのは島根県だけだ。」と、嘆いていた。

しかし旅の者である私から見ると、この宍道湖を含め松江の歴史ある街並みと自然は充分に観光資源として成り立っているように感じられた。

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つらつらと回想を重ねている間に列車に乗り込んで、21:00過ぎにようやく松江駅に到着した。規定の時刻を10分ほど過ぎていたので、待ち合わせ場所にしている改札口までダッシュする。改札が見えるところまで進むと、視線の先に見慣れた顔があった。ニマスだ。

なんと、ニマスは運転士の帽子をかぶっていた。あの帽子は、我々が10年前に門司港を旅した時に彼が扮装していた小物だ。なんというマニアックな仕込み… 細部にこだわるところがいかにもニマスらしくて、思わず笑みが漏れる。
ニマスと実際に会うのは7〜8年ぶりだろうか? 意を決するまではかなり迷いもあったが、いざ会ってみると時の流れを感じないものだ。ただひとつ、帽子を取ったにますの髪が真っ白だったこと以外は。

改札を抜け、互いに軽口を叩きながら簡単な挨拶を交わす。これだけですっかり以前のような関係に戻れるから不思議だ。
ニマスの案内で、駅近くの居酒屋に入った。私はディナーを採りそびれてとにかく腹ペコなので、取り急ぎニマスに島根の名産品をみつくろってもらった。

平日の21時過ぎにもなると、県庁所在地の駅近くといえども地方であるから客足もまばらだ。注文してもらった料理は、程なくして提供された。

島根名物。のどぐろ+イカ & 〆さばのお造り。

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続いて、松江おでんが到着した。

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旨い。決して腹が減っているからという理由だけではない。ここで提供された魚介類は鮮度抜群で、おでんの味付けもしっかりとしている。

食レポをしている場合ではないな。久しぶりに会った友との交歓を語ろう。
美味しい料理をつまみつつ島根の地酒に口を付けながら、互いの近況を伝え合う。とはいえ、主にニマスの愚痴を聴くことが中心になる。これは以前から変わらぬルーティンだ。旧習が残る地方都市で家業を継ぐのはいろいろと大変そうで、私にできることはただ愚痴を聴くことくらいだからだ。

ひとしきりニマスの愚痴を聴き終えたところで、私はおもむろにipadをカバンから取り出した。今から、神奈川県で暮らしているジジとLINE通話を繋ぐのだ。ニマスに対してのちょっとしたサプライズとして用意したのだ。ジジはこのために残業を切り上げて、急いで帰宅してくれた。
3人で話すのは8年ぶりくらいだろうか? 何を話したかはほとんど覚えていないが、とにかく楽しかった。3人でずっと笑っていた。やはり我々は友だちなのだ。惜しむらくは、この場にラビが参加していないことだ。

積もる話も尽きないが、ニマスは明日も仕事なので23時でお開きとした。会計は、いつの間にかニマスが済ませてくれていた。

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「旅人にはお金を遣わせないよ!」と、ニマスの背中が語っているように見えた。

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翌朝は、軽い二日酔いの身体を無理やりに叩き起こして、7時にランニングをスタートした。

まずは松江駅前を通り抜けて松江大橋を渡る。

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そのまままっすぐに進んで、松江城を目指す。

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まだ朝早いからか、人影はまばらだ。そのまま1kmほど進むと、松江城のお濠にたどり着いた。

まずは、松江城のお濠沿いを一周することにしよう。

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朝の清々しい空気と鳥のさえずりに包まれながら、お濠の周りを走る。城の周囲は普通に市街地になっている。右手に日常、左手に非日常が並んでいる。かつて皇居ランを習慣にしていたのだが、同じ匂いを感じた。

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道なりに進み、角を左に曲がる。左手には柳が揺られている。風流な街並みだ。

時刻は7:30。そろそろ街が目覚め始める頃だ。松江城の天守閣を遠目に眺めつつ、ルートを変えることにした。

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来た道を戻っていくと、堤防に付き当たった。階段を上ると、堤防の上は遊歩道になっていた。

道沿いに走ってみることにする。

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堤防の向こう、視界の左手には宍道湖がある。景色が素晴らしい。進めど進めど、視界の先に果てしなく湖面が拡がっていく。壮観だ。まさか、この湖面の底に大量のしじみが埋蔵されているとは思えない。

湖を通り抜けてきた風が身体の左側に纏わりついてきて、心地よい。汽水湖なので、風の中には潮の香りも混ざっている。汗と潮風が混ざりあって、私の肌は涼やかかつ、心なしかややヒリヒリとした感触を感じた。
「因幡の素兎 」 ろくに内容も覚えていなかったくせに、そんな連想がふと脳裏をよぎって、思わず苦笑が漏れた。

湖畔は、犬の散歩をする人たちや、通勤通学で先を急ぐ人たちで賑わっている。
県庁所在地の、基幹駅と城址の間に存在する湖。なんでもない平日の朝に訪れると、そのちょっとした光景から、宍道湖が地域の人たちの生活に根付いている事を一目瞭然に感じ取れた。

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土手に腰かけて、しばし休憩する。前回松江に来た時とはうって変わって陽気にも恵まれ、とても気分が良い。毎朝このあたりを走ったり散歩したりできるのなら、ここで暮らしてもいいかな?と少し思った。

しかし、ニマスの苦労話を聴いたあとなので、ここで生きていく辛さも想像に難くないのだ。たまに友を訪ねてくるくらいの距離感がちょうど良いのかもしれない。

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さて、そろそろ宿に戻るとしようか。フロントの脇にあるスペースに、朝食バイキングが用意されているはずだ。部屋に戻りシャワーを浴びる前に立ち寄って、ブレックファーストを摂ろう。

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ホテルをチェックアウトしたら、今日の午後の便で米子空港から飛行機で東京に戻る。

その前に、一か所だけ寄り道をするつもりだ。

( 続く ) 

次回予告

境港で『妖怪』を走る


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