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noteを読むと、変わってく。

私はたぶん、両親に愛されて大切に育ててもらっていたんだと思います。

でもそれだけではなくて、重たいものも載せられていた。

それは私だけではなくて、たくさんの人たちがみんな同じ課題に、別の場所で、別のやり方で向き合っています。

それをnoteを読むことで、たくさんの人たちから学ぶことができています。

こんなに長い時間をかけても、私は課題を解決することができません。

今もまだ、途中です。

私は本当に不器用な人間で、年を重ねるごとにそれが加速していって、自分でもどうすることもできません。

馬鹿だなって思います。

どうしてこんな風になってしまうんでしょう?

よくよく考えてみると、両親の在り方に関係があったように思うことが多々あります。

けれども両親はいろんな問題があっても、精一杯我慢して、努力して、家族の生活を支えてくれていました。

だからその中で自分だけが好きなように生きるのは間違っていると思っていました。

けれども私の中にはそれ以上にやってみたいことがありました。

それは本当に物心ついた時からずっと思い続けてきたことでした。

両親それぞれの思いと、私自身の思いと、現実と、その狭間で私はいつも、どうしたらいいのかわからなくなりながらここまで生きてきてしまいました。

私がもし、もっと早く自分自身ときちんと向き合っていたら、こんな風にならずに済んだのではないか?
そう考えざるを得ないようなことが沢山起きて、私は混乱しています。

でもそうしてきた中で分かったことは、自分以外の人のことは、たとえ血を分けた家族であっても、究極どうすることもできない、というどうしようもない現実でした。

本人のことは本人にしかどうすることもできません。

私は母にも弟にも、自分なりに精一杯誠実に向き合ってきましたが、二人とも自分のことしか考えていませんでした。

私はすごく苦しみました。

そして、自分は同じようにはなりたくない、と、強く思いました。

私には大切な子供がいます。

その子供に自分と同じ思いをさせるのは絶対に嫌です。

だからそのことでもとても悩みましたし苦しみました。

そして現実的ではないのかもしれませんが文章を本気で書こうと思いました。

もしも子供が読んだ時胸を張って見せることができるような文章が書きたいと思ったんです。

それがどんなものなのか私にもわかりません。

私にできることは今目の前のことを精一杯に頑張って前に進んでいくことだけです。

休憩もいれながら。

私は子供を愛しています。

私が犠牲になって子供に尽くしても子供はたぶん喜びません。
私が自分の幸せを自分で作れるようになって、子供も自分を大事にできて、お互い助け合えるようになることが本当の解決になると思って、今までずっと、それを目指して努力してきました。

それが具体的にどんな形のものになるのか私にはわかりません。

けれどもそれをする以外に、私が幸せになっていく方法はないと思うようになりました。

怖いですがやっていくほかありません。

両親が悪かったわけではありません。

だけど、どこかで間違っていた。

そして私もそれをうまく通り抜けることができずにこうなってしまった。

それはどちらかだけの責任ではなくて、どうしようもないめぐりあわせだったとしか言えないと思います。

それなのに私は、こんな風になってもそれを超えるためのチャンスを与えられている。

というのも思い込みでしかないのでしょうけど。

自分だけではなくて子供のためにもそうしたい。

心からそう思います。

どうして自分がこんなに不器用で全然すんなりいかないのか、悩むし苦しく思っています。

どうしようもないめぐりあわせで、こうなってしまっているのか、どうしてこうなってしまうのか。

そういうものをたくさんの人たちが経験して通り抜けている。

そしてそれをnoteに書いてみんなに見せてくれています。

苦しみや悲しみを経験しない人はいません。

みんなその人なりの、苦しさやつらさと向き合いながら生きています。

その中でどんな風に生きていくのか。

それはその人の選択と決断です。

私が今の状況にいるのは、思いもしないことがあったとはいえそういう中でもその時々の自分自身の選択と決断でこうなっていると思います。

だから全部を誰かのせいにはできません。

けれどもほかの人が間違ったことをしてるなら、それはその人の責任です。

その人が自分で決めてそうしてるならその人が決めたのですから。

だから人生は厳しいとも言えるし、まじめにやっているのなら安心できるとも言える。

本当は難しいことは何もないのかもしれません。

つらい気持ちにはなりますが。

だからお金が潤沢にあるわけではなくても、子供を離してあげたいと思いました。

子供は最初泣いて私に言いました「本当に離れてもいいんだな?」って。

いいに決まってます。

自由になって、幸せになってくれなかったら、今まで私が苦労してきたかいがありません。

だから私も、自分で自分を支えるために、文章を書ていきたいです。

それで生活ができるなんて無理だとしても自分の心を支えるために、書いていきたいと思うんです。

文章を書いているときの普段とは違う自分自身を広げていくことで、強くなれたらうれしいし混乱しない自分になれたらうれしいからです。

ものすごい勢いで困らせてきちゃうご近所の方々も関係ないです。

私が自分で決めてやるんだから。

って、できるのか? 私。

壁に挟まれて、ぺったんこの日々です。

疲れました。

休みます。

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。