マリアージュ
風か冷たい。
真冬。
耳が頬が痛むほと冷たい風が笛のような高い音を立てて吹いている。
暗い道を歩いて家に向かう途中にある飲料の自動販売機が煌々と明るい光を放っている。
凍えながら歩いていた私はなぜだかそれに強く惹きつけられてしまい気がつくとその前に立っていた。
何種類もの飲料のサンプルが並んでいて購入するためのボタンがその下で光っている。
見慣れた種類の飲み物のペットボトルや缶が並んでいる中に今まで見たことのない2種類の白とこげ茶色の缶があった。
小ぶりの缶コーヒーと同じ位の大きさのその白と焦げ茶色の缶の中にはホワイトチョコレートとミルクチョコレートでできたホットチョコレートが入っていると、金色の文字で書かれていた。
スタイリッシュで少し可愛いその文字のデザインに惹きつけられて、どちらかを買おうと思ったのだけれど、どちらもとても魅力的でどちらかだけを選ぶことができなくて結局私は両方の缶入りのホットチョコレートを買ってしまった。
その時着ていたチャコールグレーの大きめの真四角のポケット右と左両方に1つずつ熱いホットチョコレートの缶が入れられることになった。
なぜだかわからないけれど、その小さな重みがなんだかとてもうれしくて、歩きながら私は何回もふかふかの手袋をはめた手をポケットの中に手を入れて、ホットチョコレートの缶に手を触れてその熱さとつるつるとした手触りを確かめた。
小さな小さな子供の頃に両方のポケットにツルツルのきれいな色のビー玉を入れてその手触りを確かめながら不安な気持ちを紛らわしていた頃のことを思い出した。
父も母も働きに出ていて、1人の時間が多かった私のささやかな喜び。
寂しいという言葉もまだ知らず、自分の気持ちをどんなふうに表したらいいかもわからないまま、その寂しさを子供なりに他のもので埋めていた頃のけなげな自分を思い出した。
大人になっても、結局は子供の時と同じままどうにもできない心許なさを抱えたままで生きている。
もがいてもジタバタしても仕方がない。これが自分なのだから。
熱くてつるつるとしたホットチョコレートの缶の手触りは、なぜだかわからないけれど不安な私の心をほぐして和らげてほんわりと緩めてくれた。
凍りついてしまいそうに冷たい風の吹いている暗い夜の中を、体を硬くして歩いている私を小さな2つの缶の温みが励ましてくれていることの不思議。
なんとなく見つけて、なんとなく買ってしまった熱い飲み物の小さな缶に励まされて、仕事に疲れてヘトヘトの体を前に進めている自分。
その小さな存在のかけがえのなさを夜空に光る星の高さから客観的に見下ろしている自分をなんとなく感じて、私はこのどうしようもなく心許ない今の自分をそのまま静かに受け入れてあげようと思った。
強がっても仕方ない。
今そのままの自分が今の私のすべてなのだから。
静かに自然にそう思った。
少し先の街灯の下に誰か立っている。
どこかで見た、いいえ、なんだかよくわからないけど、とても見慣れた人。
その人は私にとって大きな大きな存在で、唯一の私にとっての本当の居場所のような人だった。
どうして?
どうしてここにいるの?
私が、そんなふうに心の中で、つぶやきながらその人をそっと見つめると、その人も私をじっと見つめて心許なさそうな表情をした。
どうしよう?
私は咄嗟にポケットの中のこげ茶色の缶を取り出して、彼に渡した。
まだ熱いホットチョコレートの缶を何も言わずに彼に渡した。
その人はその缶を黙ってそっと受け取って、「あったかい」とつぶやいた。
どのぐらいそこにいたのだろう。
こんな寒い暗い夜の中で、彼は何かを待っていた。そして多分冷たい風に吹かれすぎて凍えていたに違いない。
「あったかいうちにどうぞ」
私がそう言うと、彼はプルトップに長くて細い指をかけてプシュンと小さな音を立てて、その缶を開けた。
すると、濃いカカオの香があたりに漂い、硬く冷たかった空気が少しだけ柔らかなものになったように感じられた。
その人は、ふぅふぅと息を吹きかけてから缶に口をつけて注意深くゆっくりとまだ熱いホットチョコレートを飲み始めた。
香り高く温かい飲み物が彼の喉を通って体の中に入っていく。
硬く冷えていた彼の体が温まり、チョコレートの甘い香りに満たされていくのを感じて、私はなんだかほっとしてとてもうれしかった。
大好きで大切な人が真っ暗な夜の中で凍えて震えているなんて悲しすぎる。
そして彼が満足そうにその飲み物を飲み終えるのを見た瞬間、自分ももう1本の温かい飲み物を飲みたいと言う気持ちに自然になった。
だから私はもう一方のポケットから白い缶を取り出してプルトップを開けてホワイトチョコレートでできたホットチョコレートを飲み始めた。
甘い。
でもただ甘いだけではなくて、とても濃く力強くそして柔らかく何かとても豊かな感じのする味わいか口いっぱいに広がって少しだけ感動してしまった。
それは小さな衝撃だった。
ゆっくりとゆっくりと味わって、その小さな缶の中の物を飲み干した。
頬が温まって血液やリンパが動き出すのを静かに感じた。
体が内側から温まって寒さに耐えるために無駄に入っていた力が少しだけ抜けていくのを感じた。
すると、私が缶から飲み物を飲んでいるのを黙って見ていた彼が、私の体を抱きしめた。
驚いたけれど嫌ではなかった。
だから私も彼の体を抱きしめた。
2人は冷たい風の中で街灯の明かりに照らされながら静かに黙って抱き合ってた。
暖かかった。
冷たい風はピューピューと大きな音を立てながら吹き続けている、
夜は暗く、風はまだ冷たい。
けれども2人は抱きしめあって、1つになろうとしている。
それを邪魔できるものは今はない。
チョコレートの甘い香りが、ほんのりと漂う夜の中で、2人は1つになろうとしている。
それを邪魔できるものは今はない。
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。