我が家には、年上の男と女が居た。

私は信頼できる人間に、家族のことをこう説明する。
「私の家には父母はいなくて、年上の男と女がいるだけ」と。

年上の男と女は、父と母のことだ。
父と母は、どうやっても大人になれなかった。
今はその事実に気が付いている私も、子供の頃は気が付かなかった。

でも感情は感じていた。
嘘をついて私を困らせたり、約束を平気で破ったり、父も母も自分の感情がコントロールできないなど。
そういう事態に見舞われるたびに、私は喜怒哀楽どれでもない感情を胸に感じていました。

やがて両親が年老いて私が大人になると、喜怒哀楽に当てはまらない感情の正体を知りました。


感情の正体は、軽蔑。


両親を軽蔑するなんてとお怒りの方もいらっしゃるかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。

イオンのゲームセンターでほしい景品が取れずに子供に当たる父親を見たらどう思うだろう?
蔦屋でほしいビデオがなくて子供に当たる母親を見たらどう思うだろう?

きっと軽蔑するでしょう。
私が両親に対して子供の頃に胸に感じ、そして決して表に出すことのなかった感情がそれです。


こうした経験を通じてひしひしと思ったのが、やはり子供には大人が必要。
大きい子供ではなく、親になれる大人が居ないとダメ。
親の存在の欠如は子供から大人にかけて、白いハンカチについた小さな黒いシミのように、大きく腹の立つほど目立つ。

親になりえる大人のいない家族の中で、私は疑似大人として立ち振る舞った。
感情を抑えられない両親の間を取り持ち、泣き叫ぶ弟を慰め、そして自分の感情を押し殺した。

結果、自分で押し殺した感情の喪失に今でも悩んでいる。


お父さん!
お母さん!
責任取ってよ!!!

なんてね、うそうそ。
自分のしたことは自分で責任取るよ。

だって、あなた達みたいになりたくないもの。

#エッセイ部門

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