発達障害の人には「感謝」すらも贅沢品なんだよなあ

「感謝の気持ちを忘れずに」
「常に周りに感謝して」

感謝の気持ちを大切にするべき、という教えは、幼い頃からあらゆる場所で誰もが言われてきたことだろう。


もちろんその通りなのだが、そういう当たり前の教えに対して斜に構えてしまう自分もいる。

発達障害の私にとっては、感謝の気持ちは贅沢品なのである。

ADHDと自閉症スペクトラム障害がある私は、要領が悪く、物事を理解するのが人より数段遅く、その上ケアレスミスも多く、口下手で、固い表情や話し方から他人にも悪い印象を持たれやすい。その上、外見も決して美人な方ではない。


そういう、「あの人って何の取柄もないよね」と言われてしまうようなあらゆる面において人より劣っている人がどんな扱いを受けるか。


友達はできず、時にはいじめに遭い、大人からは「あなたみたいな子
には無理でしょ」と何をやっても否定される。運が良ければ良い人に恵まれる可能性もゼロではないが、発達障害で不器用な人の多くは、感謝のしようがないほど酷い扱いを周りから受け続けて育つ


高校1年生の頃の担任Sは私を忌み嫌って、私に対して明らかに理不尽な態度を取った。授業で当てられた時、私が正しい答えを言っても完全無視、間違った答えを言うとわざとらしく大きな溜め息をついて、私を強くなじった。

その元担任Sも、明るくて友達が多くて、学級委員長など人の前に立つ仕事も何でもできる器用な子はチヤホヤしていたのを知っている。

その子のSNSには、センター試験で失敗して志望校はD判定だったが、「後悔するくらいなら本当に行きたい大学を受けたらいい」と担任の先生に背中を押され、毎日二次試験の勉強を頑張っていた。その姿を見た元担任Sは「〇〇さんはすごく頑張っているから、本当に受かるかもしれませんよ!」と褒めたらしい。結局落ちたけど。

周りの大人から自分の選択を肯定してもらえてこれだけ褒められていれば、感謝の気持ちが生まれるのは当然だ。


一方私は、私の実際の成績も知らない養護教諭に「行きたい大学じゃなくて行ける大学に行くんだよ!」と、要するに「お前にその大学は無理」と言われ、せっかくその大学に受かったのに次は母親に反対され、結局その大学への進学は叶わなかった。

優秀な子と出来の悪い子では、周りの大人の対応も違いすぎる。私の周りの大人が私に向けた態度は、どう考えても感謝に値しないよなあ、と今でも思う。


とはいえ、感謝できる人がこれまでまったくの0人だったわけではない。

大学のサークルでブスで陰気なオーラを放っていた私に、最初は気を遣って話しかけてくれた人も少しはいた。

当時の私はそのチャンスをものにできず、「つまらない人」「いない方がマシな人」認定されてしまい、結局サークルにはいられなくなったが、手を差し伸べようとしてくれた人がいたのは事実だ。

夏休みの短期留学先で同じ部屋だった人は、愚痴っぽくて卑屈オーラ全開の私に普通に接してくれた。今思えば私のような人間が相部屋とは相当無茶をしたと思うが、同じ部屋の人が良い人で本当にラッキーだった。


思い返してみれば、私は悪い人との遭遇率が高すぎて、そういう少数の良い人の存在を忘れてしまっていたのだ。

良い経験より嫌な経験の方が圧倒的に記憶に残りやすく、当然のことではあるものの、せっかくの良い経験をないがしろにするのはもったいない。


「日本に生まれてきただけで感謝」「衣食住があるだけで感謝」というような、どんな些細なことにでも感謝しろ、なんて綺麗事は言わない。

大学時代にコンビニでアルバイトをしていたが、お客さんから感謝されていると感じたことなど1度もなかった。お客さんからすれば、自動販売機にお金を入れて商品を受け取れるのは当然、くらいの感覚なのだろう。現実的に考えて、すべての事象に対していちいち感謝を示しているようなおめでたい人間は早々いない。


ただ、相手には何のメリットもないのに純粋な好意から、自分ごときに優しくしてくれたことに気づいたら、超ラッキーだと思って本気で感謝した方がいい。そして嫌な事があっても、その感謝の気持ちは絶対に忘れないようにすること。


発達障害の人は基本的に何をやってもうまくいかない。そういう苦しみの中で少しでも状況を良くするには、嘘でも明るく振る舞うことが必要不可欠なのだ。

ただでさえ無能な上、「どうせ私なんて」と卑屈で暗い顔をした人には誰も関わりたいと思わない。ますます誰にも助けてもらえなくなって、孤独死一直線。だから鬱は怖い。

そんな中で「こんな私に優しくしてくれた人もいた」という記憶はとてつもなく大きい。幸せな生活を送れている発達障害の人は、そういう感謝の気持ちを自覚して、「どうせ私なんて」とふてくされずに前向きな気持ちを持ち続け、数少ない差し伸べられた手を掴むことができたのだろう。




水の入った瓶に入れられて、泳ぎ続けなければ死んでしまうラット。助かる見込みがなくても、1度でも助かった経験のあるラットは60時間も泳ぎ続けるらしい。

私は瓶の中で泳ぎ続けるラットのようだ。正直死んだ方が楽なんだけどね。希望を捨てられない自分を心から哀れだと思う。


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