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「あいつは間違いなくここに来る」親友の予言は現実になった〜現在に至るまでvol.2〜

前回の記事で大学卒業間際に
進路を180度変えて、
書店員になったお話を書いたが、
今回はそこからどうして今の仕事に
行き着いたか、のお話をしようと思う。

またちょっと長くなるので、
コーディネーターの仕事以外に興味ないわ!
という方は、また別の記事で
お会いしましょう。仕事内容については
今後、また書きますね♪

今しばらくお待ちくださいー🙌

○書店員時代
〜実はここでコーディネーターの基盤を育ててもらった〜

たまたまドキュメンタリー番組をみて、
惚れ込んだ書店。

そして、昔から大好きだった
本屋という空間にどっぷり浸かって
仕事ができること。

「仕事は遊びだ」をモットーに何か
閃く度にとびっきりのイタズラを
思いついた少年のように
目を輝かせていた社長。

何かしらの「プロ」になるために
常に前のめりで様々なことを
吸収しようとするスタッフたち。

小さな店舗だったから、社員は基本的に
店舗に出ずっぱりで、繁忙期は
1日丸々休めることなんて
ほとんど無かったけど、
下っ端のペーペーだとか
入社してからの年数が長いとか関係なく、
挑戦する者に対しては機会を
沢山与えてくれる環境があった。


「仕事は自分で作れ。
自ら動く者にはおのずと道は開ける」


社長の教育方針。
書店員としての仕事とか、
カフェ運営の基本的なことについては
マニュアルに沿って先輩方から
教わったけれど、
最低限の仕事以外は放任主義。

好きにやっていいよ。
ただし、何かしらの成果を出してね。

こういうスタンスだった。

新しい価値を
届けられるよう忙しさの合間をぬって、
常に様々な情報のアップデートが
必要だったし、その膨大な量の情報を
整理して自分なりに味付けしながら、
こまめにアウトプットしていかねば
ならない状態は人によっては、
相当辛いものに映るらしく、

「よくそんなにもつね」

「休みないやん!
仕事ばっかりでしんどいやろ」

「大変そう…」

なんてよく言われたんだけど、
こうしてチャレンジできる環境を
整えてもらっていたことや、
良い上司に恵まれたこと、
教員になっていたら恐らく
出会えていなかったであろう
プロのクリエイターたちの仕事を間近で
見れたことなど、そのどれをとっても
私にとっては刺激の連続で
やりがいのある仕事だった。

そして、私が最も好きだったのが
「営業」の仕事。

周知の通り、書店業界は現実厳しい。
本は売れないし、売れたとしても利益率が
ほとんどない。

だから天狼院では、本だけではなく
「体験」を売る。本の先に誰かの人生をも
変えてしまうような 
「刺激的な体験」を用意していた。

それが単発のイベントやワークショップ、
中・長期に渡る講座や旅のプラン等である。

当たり前だがビジネスは利益を出さなきゃ
いけないので、店舗ごとに営業ノルマが
課せられる。

その目標数値を達成するために
まずはお客様に提供しているサービスを
知ってもらわなければならない。

だからとにかく「話す」
店員と客のコミュニケーションがほとんど
生まれない(あるとすればほしい書籍が
見つからないとき)書店では珍しいほどに
会話が生まれるのがこの書店の特徴だ。

だが、最初はこの「営業」だけは
好きになれなかった。利益を出さねば
ならないことは頭では分かっているが
「売りつける」「押し売りしている」という
感覚がどうしても拭えずにいた。

でもある時、上司の一言がその感覚を
消し去ってくれたのだ。

「営業と思うから萎縮すんねん。
のんちゃん、ここの大ファンやん。
人にものを勧めるときって、
大好きな気持ちが勝手に溢れてくるやろ?
友人に魅力や良さを語ってるときのあの
素直な感情をそのまま、出していったら
きっと伝わるよ」

あぁ、そうか。それや。

そこからは、「営業」は私の中で
「友人に大好きを伝えること」に変換され、
楽しくて仕方のないものに変わっていった。

「大好き」を語るときって、
もう全身から「めっちゃええねん!
とりあえず、試してみ!」が溢れ出るだろう。
勧められてる側も楽しくなるんだよね。

それがだんだんと結果を生み出すように
なってくると、気持ちの持ち用に少し
変化が生じるようになる。

今までは「自分」が好きだというように
対象が「自分自身」に向いていたが、
「相手」が何を好むのか? という方へ
関心の対象が移っていった。

今目の前に立っている人は、どうして
ここに来てくれたのだろう?
お店を知ってきてくれたのかな?
それとも偶然かな?

今、この人にどんな言葉をかけたら
喜んでくれるだろうか。

この本は、あの人に読んでもらいたい。

この企画については、いち早くあの人に
教えてあげないと!

こんな風に何かをおすすめする際、
特定の誰かの顔が浮かぶように。

そうなってからは、より楽しくなったんだ。

あまり意識はしていなかったのだけど
思い返せば天狼院で学んできたこと、
経験してきたことは今のコーディネーターと
いう仕事に大いに活かされている。

ワクワクを作り出すこと。
本と人を繋ぐこと。
人と人を繋ぐこと。 
どうすれば「その人」が喜ぶのか考えること。
遊ぶように学ぶこと。
学びを面白がること。
大好きを、魅力を本気で伝えること。
人生を変えるために相談に乗ること。
様々な切り口でお話をすること。

これ、今高校生に向けてしてることやん。
経験はこうして繋がっていく。
行為の一つ一つに無駄なんかないんだ。

書店員時代。楽しそう。
しんどいこともいっぱいあったけど、
それ以上に楽しかってん。

○親友との通話
〜明日死ぬとしたら、悔い残らん?〜

そんなふうにして、必死で毎日を
駆け抜けてきて、気がつけば働きはじめて
3年近くが経とうとしていた。


あれは確か2019年のGWが過ぎたあたり。
一年の中でも最も忙しい時期の一つで、
ピークを終えて少し落ち着いた頃、突如
虚無感に襲われたんだ。

毎日、充実している。
仕事は好きだ。
学ぶことのできる環境に感謝している。
仕事をする仲間に恵まれている。
大好きな空間に身を置いて仕事をできる
ことに有り難みを感じる。

でも何だろう、この虚無感は。
何だかモヤモヤする。

答えはわからなかったけど、
そんな気持ちを聞いてもらいたい。

そこで一番に思い浮かんだのが
やっぱり親友だった。

あの高校時代に出会った
ちょっと不思議な親友。
(親友については下記記事をご参照ください)


今の仕事にやり甲斐を感じていること。
この仕事を選んだことに後悔はないこと。
何より仕事が好きなこと。

感じていることは基本的に
ポジティブなのに 
何故か体は重く感じること。

仕事に精を出しているときは感じないが
こうして退勤してちょっと落ち着いたときに
どうしようもない虚無感を感じるように
なったこと…。

電話越しで親友が、私の話にじっと
耳を傾けて聞いてくれているのが分かった。

相槌以外は、聞くことに専念してくれた。

そして、一通り話し終えたとき、
たった一言こう投げかけられたんだ。

「なぁ、明日もし死ぬとしたら、
悔いなく死ねる?」

衝撃だった。
あまりの衝撃に一瞬、時が止まった。

頭の中でリフレインする問い。

明日、もし命が尽きるとしたら
私は後悔しないだろうか?

もう一度、胸に手を当ててゆっくり
考えてみる。

答えは簡単だった。
 
明日私はきっと、いや、絶対に
悔いを残してこの世を去るな、と。

だが、どうしてそう思ったのかの
具体的理由まではその時は出てこなかった。

だけど、きっと今の状態を続けるのでは
駄目だ、後悔するということだけは
はっきりした。

親友よ、ありがとう。
取り敢えず、現状打破するために
今後のことも考えてみるよ。

そう言って、電話を切ろうとすると
彼女が突如提案を持ちかけてきた。

「とりあえずさ、気分転換に遊びにおいでよ」

彼女は一年ほど前から、働いていた
東京の会社をやめて今、私が働いている
地域に移住をしていた。

「今の私の生活とのんの生活って、
全く違うと思うんよね。実際にそれを
体感するのが手っ取り早いと思う。
まず、少しでも今の環境と異なるところに
身を置いてみること。そしたら、何か見えて
くるんとちゃうかな?」

確かにそうだ。
今の慌ただしい生活は私にとっては
「当たり前」になっていたが、
他者からすると非日常にもなり得るわけだ。

そして勿論、他者の「当たり前」は
私にとっての非日常で。

非日常空間に飛び込んでみよう。
そして、忙しさを理由に避けてきた
将来について考えることをこの機会に
やってみよう。

電話を切るときには、強い決意が
胸を漲っていた。

そして、次の休みには親友のもとへ
行くための高速バスに乗り込んでいた。

○自分の人生を見つめ直す
〜環境をガラッと変える〜

向かった先は、日本海側の「京都」
私の中の「京都」というのは、
清水寺や伏見稲荷、八坂神社といった
神社仏閣、全国・世界各地からやってくる
観光客で賑わう繁華街、古代日本の文化が
築かれた華やいだ都のイメージであり、
まず"海"と京都が結びつくことがなかった。

生まれも育ちも関西の太平洋側で
あったため、同じ関西エリアと
言えども日本海側は殆ど未開の地。

天橋立くらいまでは何となくイメージが
つくがそこから先のエリアは一体
どんなとこなのだろう…。

京都を北へ北へと登ってゆくバスの中で
ずっとワクワク、そわそわしていた。

そして、ついに目的地へ到着。
向かった先で見た光景はまるで私が
想像していた「京都」と違っていた。

目の前に広がる風景は、幼い頃に読んだ
絵本の「日本昔話」の絵と重なる。

私の中の「ステレオタイプの京都」が
崩れ去った瞬間と、あまりにも美しい
景色に息を飲んだのは同時だった。


季節は、初夏。

一面に広がる田んぼから、
緑色の真っすぐな稲穂が伸び、
青空とのコントラストが
ため息が出るほど見事であった。


海辺では多くのサーファーが
波と戯れており、頬に当たる
潮風が心地よい。


キラキラした海と優しい風が
この地への来訪を温かく
迎え入れてくれているようであった。


驚いたのは、夜ごはんのとき。

親友の知り合いだという人の家に
お邪魔したのだが、次から次へと
家庭料理を携えたご近所の人々が
集まってくる。

もちろん、初対面の人ばかりである。

あっという間に居間のテーブルは、
様々な料理で埋め尽くされた。



「これ、○○農家さんでとれたての
野菜やからうまいぞ~」

「この卵、朝うちの鶏が生んだやつ」

「ここの精肉店さんのコロッケは間違いない!」

「刺身と言ったら、ここのやつやな。
今日一、新鮮なもの見繕ってもろたから
楽しみにしててや!」



目の前で地元の人々が交わす
言葉たちが、信じられなかった。

地元と密接な関係にある食生活。


手の込んだ料理たちに使われているのは、
ほとんどが地元でとれたものだという。

都市部に住んでいると、食材はほとんど
スーパーで買うのでそこに生産者の方との
やり取りは発生しない。
また、スーパーは年がら年中
同じ食材が手に入るので、
「季節感がなくなってしまう」
ということや
「旬の食材を意識しなくなる」
ということなどがネックな部分だ。


もちろん、ここに限らず
便利なスーパーの利用率は
上がり続けているだろう。

それでも、こうして地元の人々が集い
地元の食材を使った料理を囲む文化が
根付いていることに
この土地の豊かさを感じた。

食材そのものが美味しいのはもちろん、
久しぶりに大勢でつついた食事は格別だった。

そして、分かったんだ。
私が虚無感に襲われていた理由。

私の日常の中には
充実感はあっても豊かさが欠けていたことに。


○あいつは絶対にここに来るよ
〜移住の決断、コーディネーターへ〜

すっかり気分転換ができた私は、
また日常へと戻った。だが、いつか必ず
あの土地へ移住しよう、と決心して。

だが、その僅か数ヶ月後
思わぬ話が降ってくる。
それもまた親友から。

「なぁ、今こんなん募集中みたいやねんけど
受けてみん?てか、絶対興味あるよな?
もう、応募しろ!」

ある日、親友から
そんな風に案内というより、最早命令口調の
連絡が入ってきた。

話を聞いてみると、地域おこし協力隊の
募集案内のようだ。

だが、少し変わっているのは
一般的な地域おこし協力隊であれば
配属される土地だけ決まっていて、
その後は自身で地域に入り、開拓を
しながらチャレンジしていくことが
求められる。所謂、自由度が高い。

一方で、今回募集されているのは
「学校」に配属されるということ。
つまり、割とガチガチに決められた
カリキュラムの中で、自分の役割・仕事を
見つけ出していく、ということが前提に
なる。

一般的な地域おこし協力隊の方で
応募しようと考えられている人は基本的に
将来独立したい、とか起業したいという
想いを抱えている場合が多いのだが、
今回親友が教えてくれた
「地域コーディネーター」、要は学校の
外から地域教育を支えるポジションとしての
地域おこし協力隊に関心を持つ人は、
初めから起業のビジョンを立てている、
というケースは少ないような気がする。

現に私がそうだ。
話を聞いた瞬間、

「それや! 受けるわ!」

となった。後先、どうなるかなど一切
考えていない。また直感と面白そう、
ワクワクする、という素直な自分の気持ちに
従った。

そして何より、私がずっと昔から
関心のあった「教育」に携われること。
もうこのタイミングでこの話が来るって
ご縁でしかないな、と。
ここで受けなきゃ、それこそ人生最大の
後悔をする、と思った。

そこからは、本当にあっという間だった。
応募して面接受けて受かって、仕事をやめた。
(職場には応募を決めた段階で今後について
話はしていたのだが、引き継ぎのことや
新店舗ができる計画が水面下で進んでいた
時期であったので、結局自治体から
地域おこし協力隊員として着任することを
求められていた時期から、1か月遅れで
移住をした)

仕事を辞めた次の日に引っ越し。
その次の日に着任式。

前職やめてから、次の仕事に就くまでの
スパン、僅か一日(笑)

そして、お気づきだろうか。
ギリギリまで仕事をしていたので、
現地で住む家を決める暇もなく移住してきて
しまったのだ。

つまり、仕事はあるが家がない状態(笑)

なぜ、そのような無謀なことができたのか。

私が全信頼をおいている親友がこう言ったからだ。

「大丈夫。来れば何とかなるところやから」

ここまで絶対的な自信を持って言われたら、
信頼するしかないやん(笑)

そして実際何とかなった。

この町で移住支援センターをオープンして
移住希望者たちの相談にのっている
素敵な方々(私はその二人をこの地域の
お父さん、お母さんと思っている)のオフィス
兼自宅の一角を仮住まいスペースとして
お借りすることができた。

ありがたや〜〜〜🙇✨✨

結局家が決まるまでの3週間ほどをそちらで
過ごさせていただいた。

とりあえずさ、どんなことでも
その場に行ってしまえば何とでもなるんさ。

しかも、移住支援センターということで
地元の人々と外からやってくる人々の交流拠点、
地域のハブになる場所であったため、
必然的にそこにいるだけで
地域の成り立ちや地元の人々、
外からみても移住したいと思うような
魅力的な町であることが分かった。
そして、私自身の人脈もそこからどんどん
広がっていった。

全く知らない土地での生活は、
とんでもなく楽しいものだった。

「私にとっての豊かさはお金じゃない。

人との繋がり、心の豊かさなんや」

確かに前職も楽しかった。
ノルマをクリアするごとに

充実感と達成感を味わった。 
人に喜んでもらうための
コンテンツ作りのしんどさも楽しさ、
面白さも同時に知った。
クリエイティブに向き合うプロたちから
多くのことを学ばせてもらった。

ただ、ここで感じた楽しさや面白さとは
全く質の異なる楽しさ、面白さが
地方にはあった。

それが多分「心の豊かさ」

仕事での繋がりではなく、人と人との
強いつながり。自然の恵み。新鮮な食材。
旬や季節を楽しむ余裕。
食事を多くの人で囲める喜び。
お金のやり取りではなく、物々交換が
根付く町。地域を出る人が増えていても
この町が好きだという誇り。
若い世代にまで地域の良さを引き継ぎたい、
という大人たちの熱気。


自分のことでいっぱいいっぱいだった
前の生活とは打って変わり、この素敵な地域で
自分にできる役割は何だろう、何かここに
私がいた、という証を残したい、
私を救ってくれたこの町に対して、何か
貢献できるようなことをしたい。


「心の豊かさ」は、きっと人を優しくする。


私に移住を決断させ、この地域に呼び込んだ
親友はそんな私の姿を見てニッコリ笑う。

「もう、最初から決まっててん。
のんがここに来るってこと。
だから、なーんも驚かへん。
これは偶然でも奇跡でも何でもない。

必然やってん。
来てくれてありがとう。

またこの町がより一層面白くなるわ」


また私は彼女に導かれて、
道が開けたようだ。

人生、何が起こるか分からない。
でも彼女の言うように、これは偶然でもなく
奇跡でもなく、必然だったのかもしれない。


だから、私は使命感をもって
この大好きな町で今日も高校生たちの
成長を楽しみながら命を燃やす。








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