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人命を救うための武力行使は許されるのか?

以前、国連について投稿した際に「保護する責任(R2P)」に簡単に記載しました。議論の要点は「人命を救うための武力行使は許されるのか?」という問題です。今回は「保護する責任」について詳しく取り上げます。

保護する責任とは何か?

保護する責任とは、「国家は自国民を保護する責任があり、その責任が果たせない時は国際社会に保護する責任があるとする概念」です。特定の国家が保護する責任を果たせない場合は、国際社会による武力行使まで想定されています。

これまで国連を中心に議論・実施されてきました。しかし、他方で武力不行使原則や内政干渉原則などの観点から、懸念を示す国も少なくありません。

人命を救うための武力行使は許されるのか?

保護する責任の議論の要点は「人命を救うための武力行使は許されるのか?」という問題です。どのような状況であれば、深刻な人道危機に瀕した人々を保護するための武力の行使は認められるのでしょうか。冷戦終結後、1990年代に一般市民が巻き添えとなる紛争が顕在化しました。しかし、国際社会は有効な対応をできませんでした。

例えば、1994年にルワンダで大量虐殺が発生しました。ルワンダのハビャリマナ大統領暗殺をキッカケに、ツチに対して約100日間にわたる凄惨な虐殺が始まりした。しかしこの時、国際社会は有効な手段を講じることは出来ませんでした。結果、犠牲者数は50万人とも100万人にも上ったと言われています。私はルワンダ のキガリ虐殺記念館を訪れたことがあります。多くの生々しい展示に言葉を失いました。今でも胸に突き刺さっています。この筆舌尽くし難い人道的危機に対し、本当に国際社会は無力であっての良いのか。当時の国際連合ルワンダ支援団 (UNAMIR) の司令官ロメオ・ダレール少将は後年次のように語っています。

ルワンダの問題を解決するために、正直なところ何が行われただろうか? 誰がルワンダのために嘆き、本当にそこに生き、その結果を生き続けているだろうか? だから、私が個人的に知っていたルワンダ人が何百人も、家族ともども殺されてしまった -見飽きるほどの死体が- 村がまるごと消し去られて…我々は毎日そういう情報を送り続け、国際社会はただ見守っていた…

ルワンダ虐殺後も、1995年のボスニア・ヘルチェゴビナ東部のスレブレニツァでも2万人が犠牲になる虐殺が発生しました。この時も国際社会は無力さを露呈しました。1999年のコソボ紛争では、国連安保理の授権なしに、人道目的として北大西洋条約機構(NATO)が空爆を実施しました。コソボ空爆は人道目的でしたが、国際的な批判を生みました。

ウガンダ、スレブレニツァ、コソボの危機を通じて、国際社会で共通の問題意識が生まれます。「どのような状況であれば、人命を救うための武力行使は許されるのか」という問題です。

人権 VS 主権

保護する責任の基礎概念は「人道的介入」です。そして、人道的介入の最大の障壁は「国家主権」です。現在の国際秩序では国家が自国の領土・国民に対し最高の権限を有しています。したがって、本来は他国への干渉は許されない行為です(内政不干渉の原則)。国家主権には、小国に対する大国の影響を防ぐ効果があります。人道的介入の障壁になっているからと言って、国家主権を軽視すれば更なる悲劇を生む可能性があります。つまり、「人道的介入」と「国家主権」、「人権」と「主権」はある意味でトレード・オフの関係にあり、ジレンマを引き起こしています。人道的介入を進めると、小国に対する大国の武力行使を正当化してしまうリスクがあります。他方で、国家主権を尊重すると、ルワンダ虐殺のような人道危機に対し国際社会は何も対処できません。

保護する責任の誕生

上記のジレンマの中で生まれたのが「保護する責任」という概念です。「保護する責任」の概念はもともとカナダの発案から始まりました。2000年9月の国連ミレニアム・サミットで、カナダのクレティエン首相が「介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)」の設立を発表し、人道的介入の新たな形が模索されたのです。

「人道的介入」と「国家主権の侵害」はコインの表と裏の関係にあります。この矛盾する考えを調整するために新たな概念が必要でした。そこで、ICISSは介入する側ではなく、対象国に軸足をおき、次のように主張しました。

国家主権は責任を意味し、自国民を保護する主要な責任は国家自身にある。しかし、内戦や反乱、抑圧、国家破綻の結果、市民が深刻な被害を受けており、その被害を防止し、あるいは回避する意思や能力が当該国家にない場合には、不干渉原則は国際的な保護する責任に従うことになる。

つまり、今までの介入側の論理ではなく、当該国の責任問題に焦点を当て、人権と主権のジレンマの調整を試みました。外部の介入者ではなく、現地の市民や犠牲者に焦点を当てることで、介入の妥当性を構築したのです。

・保護する責任に対する反発

しかし、保護する責任はスムーズに国際社会に受け入れられたわけではありません。国連内では2005年から本格的に「保護する責任」が議論の対象となりました。欧米や日本は保護する責任を肯定しましたが、他方で中国、ロシア、多くの途上国は国家主権を重視し、武力行使を含む内政干渉の可能性がある保護する責任に反発しました。

NGOや国連事務総長など多様なアクターが「保護する責任」の必要性を訴え、国連加盟国内でも徐々に支持を伸ばしてきました。

リビアの例

2011年のリビア危機は保護する責任に基づく武力行使が適用された初めての例として知られています。2月15日にカダフィ政権が民主化を求める自国民を武力で弾圧したことに対し、2月22日に国連安保理が自国民を保護する責任を果たすよう求めました。その後、国連事務総長が、「国家が深刻な国際犯罪からの市民保護に明白に失敗している場合には、国際社会は保護活動を行う責任がある」として、安保理に対し迅速な行動を求めます。3月17日に安保理はリビア国内の市民を保護するために、「あらゆる必要な措置」をとる権限を加盟国に付与しました。そして、19日に米英仏を中心とした多国籍軍が空爆を開始します。

2011年のリビア危機は保護する責任に基づく武力行使が適用された代表例ですが、批判もあります。「保護する責任が市民保護ではなく、体制転換という別の目的のために利用された」、「介入は紛争を悪化させ、内戦が長期化した」、「保護する責任の適用範囲が曖昧である」など、リビア危機を契機に保護する責任に対する議論は続いています。

シリアの例

リビア危機と同時期にシリアでも危機が発生しました。しかし、シリアでは保護する責任が適用されていません。シリアに対する批判や制裁を盛り込んだ国連の安保理決議案に対し、ロシアや中国が拒否権を行使したことが主な理由です。特にロシアはシリアのアサド政権との関係が強く、体制転換に繋がりかねない保護する責任に基づく安保理決議案に一貫して反対してきました。2016年のロシアの外交政策構想には、ロシアの保護する責任に対する姿勢が次のように明示されています。

「保護する責任」の概念を実施するとの口実で、国際法、とくに諸国家の主権平等の原則に反する軍事介入や他の形態の外部からの干渉を阻止する。

つまり、国家主権を重視する考えです。シリアに対するロシアの介入も保護する責任ではなく、シリア政府からの要請を理由に挙げています。(他方でアメリカの介入はシリア政府からの要請がないので違法である、とロシアは考えています。)

しかし、リビア危機と同時期に発生したにも関わらず、一方は保護する責任が適用され、他方は適用されなかったことから、保護する責任の正当性が議論になっています。

日本の立場

日本は1990年代後半から「人間の安全保障」を重視してきました。保護する責任も人間の安全保障の延長線上で生まれた概念です。(現在では異なる概念として整理されています。)日本は人間の安全保障を外交の一つの柱と位置付け、国際社会で訴えてきました。他方で、保護する責任については慎重な姿勢を堅持してきました。日本は憲法9条の問題もあり、他国への強制力の使用に対し慎重な姿勢をとっています。例えば、2008年に当時の福田康夫首相は「保護する責任」に対し、次のように語っています。

我が国は、「保護する責任」が問われるような紛争下の事態に対して、武力を持って介入することは国家の政策として行っておりません。これまで人道支援や復興支援に力を注いできた国であります。

なお、保護する責任について詳しく知りたい方は以下の本がオススメです。今回の投稿もこの本を元に記載しています。

人命を救うための武力行使は許されるのか?

最初の問いに戻りましょう。人命を救うための武力行使は許されるのでしょうか。ルワンダの虐殺から5年後の1999年に米国のビル・クリントン大統領はインタビューで「当時のアメリカ政府が地域紛争に自国が巻き込まれることに消極的であり、ルワンダで進行していた殺戮行為がジェノサイドと認定することを拒絶する決定を下したことを後に後悔した」と述べました。さらに、「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている」と語っています。

日本では、憲法の問題があります。したがって、保護する責任における日本の役割には限界があります。ただ、もし仮に例えば日本にあらゆる国内的・能力的制約がなかったとして、近隣国で凄惨な虐殺が発生した場合、武力を行使してでも保護する責任に基づいて虐殺を止めるべきなのでしょうか。あなたはどう判断しますか。

もちろん多数の要因が関わるので、簡単に判断はできません。しかし、万が一の事態を日頃から考えることが危機管理の一つです。今回の投稿が考えるキッカケになれば幸いです。

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