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実録! 東京電力、文化人攻略システム。ビートたけしも勝間和代も。隣の席はあの有名評論家だった(前編)。谷崎光のインサイド・アジア No.84

東日本大震災から10年がたった。

当時の、中国と日本との情報差


あの時、私は北京の自分の部屋にいた。
北京の中国人の友達からの電話で、部屋のテレビをつけたら、CCTVで東北の家や車が人がいるまま海に流れている映像が報道されていた。
自分はなぜここにいるのか、と思った。

そしてその後、原発で爆発が起きた時も、すぐにキノコ雲に近い爆発映像が流された。アメリカのテレビからの転載だった。
さらに外国人記者の撮影した現地の映像や写真がネットやテレビ番組で大量に紹介された。

死者が砂に流され、手足がボキボキに折れている写真。
ボロボロになっている原発の建物。
後で被災地に住んでいた人に聞いたら、盗難もあったし避難所でのレイプも大変だったという。レイプはみな、見て見ぬふりをしていたそう。

が、しかし当時、同時に見ていた日本のチャンネルでは”美談”と”希望”ばかりが流れている。独裁国家、中国ですか。
事実を普通に伝え、安全対策を促すべきだったと思う。

原発1
中国のCCTVより


当時の中国はまだまだ反日であり、だから「日本滅亡! ヤッター」みたいな方向に流れるか? と思ったが、そちらにはいかなかった。中国に今よりは報道の自由があったせいで、世界のメディアからの転載は基本的にかなり正確だった。

東京電力の勝俣会長が3月11日に北京にいたことも、たしかすぐに知った。彼らは日本のマスコミの幹部、元幹部、文化人とともに南京の南京大虐殺記念館見学経由で北京入りしており、それが中国で報道されていたのである。私は中国語のそちらの記事から最初に見た。
日本ではリアルタイムの大メディアではいっこうに報道されていなかった。のちに週刊誌が一部報道した。

コロナもそうだったが、とにかく当事者であるはずの日本と中国の情報差、温度差がひどい。
日本以外の世界中のfukushimaの報道を中国語版で見ていると、当時の日本人の対応は正気ではなかった。たぶんあの頃、世界で自国の状態を一番把握していなかったのは、日本国内の日本人だったと思う。

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