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「Air/まごころを君に」~「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」私があなたと知り合えたことを、死ぬまで、死ぬまで誇りにしたいから。

「新世紀エヴァンゲリオン」という作品は日本を代表するアニメ作品の一つと言えるでしょう。

ある種の世代の人にとっては、アニメ作品と言うのを超えて人生の一部となっています。
おそらく、理解できない方には「何言ってんだ、こいつ……」と思われそうですが、わかる方には非常に共感していただけると思います。

私がエヴァに触れたのは小学校高学年の時。そして中学の頃に劇場版「Air/まごころを君に」が公開され、一応の完結。
なので、思春期を丸々、エヴァと歩んだことになります。

ちなみに「Air/まごころを君に」は鳥取の田舎では上映期間が短く、当初、映画館で見逃してしまったんですよ。なんという失態……。

しかし翌年の夏、地元の夢みなとタワーという場所の映画館で夏休みアニメ上映会企画の一つとして上映してくれたおかげで、映画館で観ることができました。
今思うと、夏休みの企画としてこれがチョイスされたのは謎ですが……ありがとう、企画してくれた人。

人生において受けた影響も数知れず。
映像制作においてかなりの影響を受けましたし、エヴァが無ければガイナックスに入ることもなかったでしょう。

そして、気持ち悪いのは百も承知ですが、惣流・アスカ・ラングレーは初めて恋したアニメの女の子でした。
当時は冗談じゃなくて本気で惚れていました。

古い知り合いにそういう話をすると「そんなにアスカ好きだったっけ?」という反応をされましたが。
リアルタイムで見てた当時はね、周りにも隠してたんですよ。恥ずかしいから。十代の頃って好きな子とか他人に知られたくないじゃないですか? あれです。
だから、ガチだったんですよ。キャラクターじゃなくてリアルに好きな人にとる態度だったわけです。
確か、表向きにはミサトさんが好きとか言ってたな(ごめんよ、ミサトさん……)。

シンジくんと同じく、二十五年経ってようやく「僕はアスカが好きだったよ」と言えるようになったんです。いや、心底、気持ち悪い自覚はあります。

エヴァを見始めたのが小学六年くらいで絶妙な年齢だったんですよ。
比良坂綾奈(ガメラ3)が好きという話もしましたが、この辺りは中学入ってたし、キャラクターだということは理解してた。その上での好き。

惣流の場合、もちろんキャラクターだとわかっているのだけど、どこか現実と空想が分かれきってない曖昧な、そういう年齢。
異性に興味を持ち始める時期というのとも重なり、次元の彼方の少女にガチ恋をしてしまったわけです。

彼女の何にそんなに惹かれたかというと、ぶっちゃけ一番、最初は顔でした。

当時、エヴァ本編を見るより先に、雑誌で特集組まれてるのを見たんです。それに載ってたアスカのフィギュアがどえらく可愛く見えて一目惚れしてしまったんです。

実はエヴァ本編をビデオで見た時、凄く面白いんだけど、最初の方シンジくんに感情移入し過ぎて辛かった。
今でこそ血が通ってないと言われる私ですが、少年期は共感性が高く、ろくなめに遭わないシンジくんを見て同じように陰鬱な気持ちになってしまったのです。

凄く面白い、だが見るのが辛い。
とりあえず、あの可愛い子、アスカが出るまでは見よう。そう思って視聴していました。

そしてアスカの登場、まだ健全だった少年ぼくは、明るく活発な女の子が好きだったので、性格含めて惣流・アスカ・ラングレーにぞっこんになっていったのです。
その辺りから作風がコミカルで明るい雰囲気に変わったこともありエヴァという作品そのものにもがっつりハマっていきました。

つまり、アスカがいなければエヴァにハマらず、将来、ガイナックスに入ることもなかった。人生を変えた女の子。人生、最初の女神であり道を狂わせたファム・ファタール(二人目が比良坂綾奈)。

想い人は次元の彼方、あの頃のぼくには彼女が必要だったのだ。

旧劇場版も自分の中ではアスカ・エンド、だと解釈していました。
エヴァのヒロインは綾波レイかアスカかでファンの間でも二分されていましたが、そもそも綾波レイは母親だからヒロインにはなり得ないだろうと。
当時はそういう風に思っていました。

エヴァに出逢わず、ガイナックスに入らなかったなら、鳥取に戻ってないから今でも大阪でフリーターしてたんじゃないでしょうか。
当然、独立起業なんてしていないでしょう。

妻とは結婚どころか出会ってもいない。
ちなみに妻は四歳の頃から「残酷な天使のテーゼ」を歌いながらブランコにのる幼稚園児だったらしいです。そんな女子に私が惹かれるのは必然でしょう。

まさにエヴァの呪縛に振り回されながら二十五年生きてきたわけです。


さてそこから時は流れ。
ここまで言っておいてなんですが、実は最初、新エヴァに対してはかなり冷めた気持ちで見ていました。
自分にとってエヴァはあの世紀末に「気持ち悪い」をもって終わった物、今更リメイクなんてなぁ、と。

序、破もずっと見ていませんでしたし、Qは友達に誘われて映画館に行ったという感じ(この時、テレビ放送で序、破を流し見しました)。

キャラクターの性格や立ち位置、特に自分の恋したアスカ・ラングレーが大きく変わっていたのも受け入れ難い部分だった。

自分の中では今でも、式波と惣流は別の存在です。

とはいえ、それから更に九年の月日が経ち、さすがにフラットに見られる様になりました。
シンに先駆けて改めて序、破、Qを観返しましたが、なんだかんだ映画として、エンタメとしての質はかなり高く、そして自分の人生でエヴァの影響はかなり大きいと再確認。

そういう意味で、九年の冷却期間を置けたのはよかったかと思う。


そんな自分にとってのエヴァンゲリオン最終章。
人生で初めて、映画を初日、初回、最前列で観てきました。



凄く綺麗な終わり方。まさに最終章。

個人的に好きなのは旧劇場版「Air/まごころを君に」だけど、作品として美しい完結は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」かなと思う。

ゲンドウくんとの親子関係、ミサトさんのシンジくんへの保護者としての責任、アスカとの関係。
旧作で放り投げたこと全てに落とし前をつけて、大人になって新たな人生を歩んでいくという作品かなと。

旧劇場版はある種、十四歳の思春期のまま置き去りにされるような作品だと思います。

でも、人はそのままではいられないという物語。
十四歳のままのシンジくん、大人になった旧友たち、アスカの「あの時、私はあんたを好きだったんだと思う。でも私が先に大人になっちゃった」という台詞等々。
そしてシンジくんも立ち上がり、自らの意思で大人になっていく。

ゲンドウくんと裏宇宙に行くところは「魔界編か!? 魔界で地上最強の親子喧嘩か!?」となどと思いましたが。

ただ、この解釈はある意味正しくて、多くの少年漫画のテーマで扱われるように男にとっては「親父を乗り越える」というのが人生のどこかで必要なんです。

子供にとって親、大人というのは絶対的な存在に見える。でも本当は自分と変わらない、一個の弱い人間、それにどこかで気付く。

シンジくんから見た高圧的な碇ゲンドウ、弱い内面を曝け出すゲンドウくんは、それぞれそういう部分を表しているんだろうなと。

てか、少年ゲンドウくんの気持ちがわかりすぎて辛い……。
人はその時々で言うことが違う、でもどちらも本当だろう、人間は面倒くさい……。

ゲンドウくんの「世界と引き換えにしても愛する妻に会いたい」という究極のロマンティシズムは嫌いじゃないです。

それを叶えてやりたいと思う冬月先生の歪な友情も。
旧劇場版、人類補完計画の発動時には愛する人の姿が見える。
冬月先生のところに現れたのは碇ユイ、そして「碇、君もユイくんに会えたか」と……。

冬月先生、ユイさんのことずっと好きだったんだ、その上でユイさんの夫であるゲンドウくんの唯一の理解者として傍にい続ける……泣ける。

明確に語られてないけど、ゲンドウくん、冬月、ユイ、マリの関係は色々複雑なようで。
そのマリが冬月に向ける「願いを重ねる冬月先生の気持ちもわかりますが~」という台詞。
マリは冬月先生の気持ちを理解してたんだなと思うと、あそこは彼にとって救いのシーンだったんじゃないかなと解釈。

最後、マリと結ばれるのは意外だし賛否もありましたね。
私もアスカ派なので、気持ちはわからなくもないです。

「シンジのこと好きだったんだと思う」

「僕もアスカが好きだったよ」

この二つの台詞はグサっと来てしまって。ああ、過去系なんだ、って。

でも、やっぱりあれは正しい、あれはマリであることが大事なんじゃないかと思います。

母親(綾波レイ)という男が人生で初めて触れる異性。そして、初恋の相手(アスカ)を経て、現在のパートナー(マリ)に、という流れ。

思春期や十代に好きになる相手とそのまま将来、結ばれることは少ないだろう。大人になって、誰か全然別の人と恋をしてそれぞれの人生を歩んでいく。
アスカでもない、レイでもない、旧世紀版にはいなかった新しいヒロインと結ばれることに意味があるんだろう、自分はそう解釈しました。

マリのやたら強調される巨乳設定、アクションシーンとかでも無駄におっぱいがバインバイン揺れる。正直、最初はあざとすぎるだろうと思って、あんまり好きじゃなかったんですよ。

でもあれ、最後の台詞に繋がるから重要なんですよね。
「胸の大きい、いい女」なんて、シンジくん絶対、言わなかったじゃないですか?
あのセリフで、シンジくんは僕らが知ってる子供じゃなくて、大人になったって表してるわけで。
ああ、意味のある演出だったんだなと。

思春期にエヴァに触れてアスカに恋してた自分が、妻と二人でシン・エヴァを観に行ったので、勝手に自分の人生と重ねてしまっていました。
いやあ、気持ち悪いですね。いいんです、“気持ち悪い”がエヴァの真骨頂なんです。

詳しくは語りませんが、シン・エヴァを観てから一日くらいかなり異常な精神状態だったんですよね。明らかに脳内物質の何かがおかしいのがわかる。
後に、医学系の記事で凄まじい感動などを得た際に脳がそうなるっていうのを見ました。

映画もその他の作品もたくさん見てきましたがこんな経験は初めてでした。
それだけ自分にとって大きな存在、ほんと二十五年分を総括するような作品だっただなと感じます。

エヴァンゲリオンっていうのは単独のアニメ作品として語れるものじゃないと思うんです、時代背景とか旧から新にかけての時の流れとか。

自分の人生でちょうど思春期に旧作を見て、大人になってから完結を迎えられたのは物凄く幸運だったと思います。

これが後に大人になってから作品だけ観ても、感想は全然違ったと思うので。

かつて惣流・アスカ・ラングレーに恋をした少年も、いつまでも「あの頃」ではいられない。
知らぬうちに大人になり、当時は想像できなかったような経験と出会いがあり、挫折や失敗しながらも立ち上がり進み、胸の大きい良い女と結婚する。人生とはそういうものなのかも。

さよなら思春期、さよならあの頃の僕、さらば全てのエヴァンゲリオン。


※シン・エヴァ公開時に描いたイラスト





シン・エヴァの公開から時は流れ、今の私の作業部屋の机横。

こちらのフィギュア「“アスカ・ラングレー”~渚にて~」



私が好きだったのは惣流ですが、このシーンのアスカは式波でもあり惣流でもあるのかなと解釈しています(フィギュアも苗字表記がありませんし )。

「渚にて」は1957年の小説のタイトル。

ガイナックスの作品は最終話のサブタイトルにSF小説のタイトルをつけることが多かった。

渚とは海と陸の狭間……そういう意味でも、新旧の、ガイナックス時代とカラー時代の狭間っぽもあって良いです。

ガイナックスとカラー、今は色々あるようですし、エヴァをガイナックス作品というのはタブーみたいになっています。
それでも私にとってガイナックスのエヴァンゲリオンは青春を彩った、なかったことにしてはいけない存在なんです。




今でも彼女はノスタルジーの中に私のファム・ファタールとして存在し続けます。

I need you.


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