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ツッコミ二乗。

毎日がエブリデイ。頭痛が痛い。運よくてラッキー。
数学で言う所の二乗みたいな言葉遣いがこんな感じであって、ずっと見てると段々面白くなってくる気がする。
#誰も理解されそうにない



ある時を境に、他人とのコミュニケーションをガラッと変えた僕だが、よくよく考えたら、元となる部分は余り変わってない気がする。

僕は元からツッコミ気質的な部分がある。

俗にいう陰キャの部類であるが、昔遊びでやった漫才もコントもツッコミだったし、日常もボケるよりはツッコミ側だった。(関西人あるある、ボケツッコミが日常会話にある)

そういえば、今でもなぜか記憶にある中学のとあるエピソードがある。

中学生時期のほとんどを僕は陰キャだったため、教室でリアルすみっこぐらしをしていた。

強いて言うなら中学ラストの方だけそれなりに喋るようになったのだが、それでもクラスで明るく振舞っていた記憶はないし、学校で誰かを大爆笑させた思い出もない。

ただ、卒業式の時、アルバムの後ろに寄せ書きを書くページみたいな所に、隣の席に座っていた、とあるクラスメイトが書いてくれたメッセージがあった。

教室で大声で騒いでるクラスメイトのアホな言動に対して、いつも(僕のあだ名)が誰に言うでもなくボソボソっとツッコんでいたのを隣で聞いていて笑いをこらえるのに必死だった、的なことを書いてくれていた。

この時に、自分がオートでツッコんでいたことに対する恥ずかしさを覚えると同時に、誰かを笑顔に出来ていた事に少しだけ自信がついた気がした覚えがある。

そのエピソードが僕にとって大事に思っているのかどうかはよくわからないが、色々と忘れやすい僕が未だに覚えている数少ない記憶には違いない。

あの時、卒アルで自分のツッコミを指摘したクラスメイト元気かな。

というか”ツッコミを指摘”も二乗みたいやね。

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