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観光客としての誠実さ

海外旅行が好きです。違う文化、言葉、食べ物、人、建物。朝起きてから夜寝るまで、すべての体験が新鮮でワクワクします。

そして旅行中は浮かれます。皆、浮かれます。お酒をいつもより飲みすぎたり、財布の紐が緩んだり、普段は着ないような派手な服を着てみたり。私も浮足立っていると思います。悪いことではありません。ただ、普段は持ち合わせている誠実さや謙虚さまでもが失われているような気がするのです。

環境公害(英:tourism pollution)が問題視されています。オーバーツーリズムや景観破壊、騒音などは、旅行へのハードルが下がったことで、多くの人が旅行するようになったことが一番の原因です。しかし、ごみのポイ捨てや現地人へのプライバシー侵害は、観光客のマナーやモラルの問題です。これらは旅行中だからといって浮かれすぎず、ひとりひとりの普段から持ち合わせている思いやりによって、状況は少し良くなるのではと思っています。

そこで私が旅行中に意識している写真の撮り方について、話したいと思います。

旅行中に写真を撮らない人はほとんどいないと思います。非日常の世界は美しいもの、珍しいもので溢れています。思い出に、人に見せる為に、写真を撮る理由はたくさんあります。私もスマホでですが、写真を撮るのは好きです。

旅行後に写真を見返すのも好きだし、家族や友人に見せるのも好きです。ただ時々、私の写真はつまらないと言われることがあります。理由はいくつかあると思いますが一番は、写りこんでしまう人を除いて人がほとんど写っていないことが理由かと思われます。観光客だからこそ撮れる、現地の日常を切り取ったような写真が少ないのです。

つまらないと言われるのは悲しいですが、これは私なりの観光客としての誠意です。いくら観光中といえども、現地の人の写真をバシャバシャと撮らないようにしています。私が人の写真を撮るときは、毎回許可を取るようにしています。

歩いてたら「スイカ食うか」と誘ってくれた兄ちゃんたち。

カメラを向けると電話をかけるポーズしてくれたおじさん。

寝台列車で仲良くなったおじさん。

私のカメラの前でポーズを取ってくれたおばちゃん達(頼んではいない)。
撮った写真を見せると「よしよし」といった感じで去って行った。

綺麗な花に囲まれた笑顔の素敵なおばあちゃん。

どれもその人たちとコミュニケーションを取った思い出が伴う、いい写真でお気に入りです。ただ、頼んだ写真はすべてその人の目線入りになってしまいます。

そうではない自然な姿を撮りたい気持ちはすごく分かります。私もこのまま写真もパシャっと撮ってしまいたい瞬間がたくさんありました。パリのカフェでお茶してる女の子たち、イスラエルの超正統派の人たち、ミャンマーの市街地で民族衣装を着た人たち。どれも現地を表すいい写真になりそうだし、帰国後の話のネタにもなりそうです。しかし私はそこをぐっと我慢します。気にせず写真を撮る観光客もいますし、撮られてもほとんどの人は気にしていないように見えます。ただ私は、私なりの誠実さを保つために、そういった写真は撮らないようにしています。

許可なくパシャっと現地の人の写真を撮っている日本人の人をよく見かけます。私が日本人なので気になるだけかもしれませんが、よく海外旅行中に、地元の人からも他の観光客からも「日本人は写真撮るのが好きだよね」と言われます。彼らがどういった意味で言っているのかは分かりませんが、もしかしたら同じことを感じているのかもしれません。

日本でも京都を観光していると、着物を着た女の子たちをカメラ片手に取り囲む外国人観光客の姿を見かけます。きちんと了承を得て撮っている人もいましたが、パシャっと撮って去って行く人が目につきました。テレビでも取り上げられているのを見ました。被害にあっている女の子たちの気持ちを考えると、問題視されてる重要性は感じます。しかし日本人が被害にあう日本の観光地の問題としては取り上げられても、海外で日本人が同じことをしているのは話題にはならない違和感を感じざるを得ません。

相手の立場になって考えてみると、やっぱり気持ちのいいことではないと思います。海外旅行が簡単にできない今だからこそ考え、コロナ終息後の観光地が、地元の人にとっても過ごしやすい場所になればと思います。

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