限界を迎えた人の末路。這いあがりとあの方?との出会いと。

こんにちはtaniです。まだ読み続けてくださっている方には本当に感謝しかありません・・・。どうしましょう、そのうちに何かプレゼントしましょうかね?南インドカレースパイスミックスとか(マニアックすぎる)。

申し訳ないですが今回はさくっと入っていきます。そろそろ自分としてもチャイの話をしたくて、というよりためにnote始めたのでいい加減うずうずしてます(苦笑)

奇跡?当然?願い事が予想以上の形で叶ったよ。

奇跡が起こったというところからです。とにかく嫌な事ばかり、苦しい事ばかり選んできた自分。いつまでこれが続くのか、もうやめたいと心の奥底では思いながらも、頭も回らず食べられず、強迫が強くもう自分では止められません。ある日曜日。今日もまた辛い1日が始まる、また目が覚めてしまった。本気でそう思って起きようと体を起こそうとしました。

よいs・・あれ?

体が全く動きません。

もう起きないといけないのに!!嫌でも起きないと!!頑張らないと!そう思った瞬間体が「ビクンッ」となり、痙攣に変わっていきました。ベットの上でバタンバタンと暴れ始め、自分で止められない。過呼吸も起こります。隣で寝ていた父親は・・・

起きません(笑)

離れて寝ていた母親が気が付いて目を覚まします。

「tani!?どうしたの?何?どうしたの!?大丈夫?お父さん!!taniが!!起きて!!」

ゆっくりと起きる父親。どうするのかと思いきや

「救急車呼ぶか」

と言って電話の方へ。どうして落ち着いているのか・・・

といっても土曜日なので病院は休みです(笑)

自分も当然パニックで「起きて、やらないといけないのに!!起きないとなのに!!」叫びますがどうにもならず。母親が何か察したのかこう言いました。

「もういいから!!全部やめていいから!!頑張らなくていいから!」

この一言で痙攣も過呼吸も止まりました。どれだけ嫌だったのか。しかしすぐに痙攣も過呼吸も再開します。中学の同級生に精神科をやっている人がいる事を思い出した母が、その方のお母さんに連絡して、急遽来てくれることになりました。

こんにちは摂食障害、さようなら青春の高校生活

その方は心理カウンセリングも得意としていたこともあり、暴れ、過呼吸になる自分を見ても慌てず「どうしたの?何があったの?どうしてそうなっているかtani君は知ってるはずだよ」と言ってくれました。

頭が回っていなかったとは言え、自分がどうしたいかは完全に分かっていました。

「もう全部やめたい!部活も、学校も、嫌なこと全部!!」

今まで、嫌な事を選ばないといけない、無理すれば良いことがある、そう思い込んでいたはずなのにこう言ってから、一瞬ですが全てから解き放たれたような、今まで感じた事のない安心感を感じました。

しかし強迫観念に支配された自分はすぐに「でも、やめたらダメなんだ!罰が当たる!自分はとことん苦しまないと、嫌な事だけやってないといけないんだ!」と思いなおします。

すぐに痙攣も過呼吸も今まで以上になって再開します(笑)


体って正直です。それを見たカウンセラーさん、あきれて言います。「やめられるの?嫌な事続けられるの?」この言葉でやっとこ痙攣ストップ。自分もようやく落ち着きを取り戻します。「やめていいのかな。罰が当たらないかな?皆は許してくれるかな?」そう聞きます。母も涙目で頷いて「もう頑張らなくていいんだよ、誰も責めないから!」と言ってくれました。父親は何故か家の外(苦笑)今思えば、父は自分に強く生きてほしい、一人で生きていけるようになって欲しいと願っていたであろうこともあり、自分がこうなったことを受け入れられなかったのかも。それに、自分と同じように周りの目や社会を気にしていたこともあったでしょうね・・・。

そんなこんなでほぼ強制的に学校をやめることになった自分でした。今まで積み上げてきた、手に入れて来た自信も体力も、友達も、成績も、これから経験したかもしれない楽し出来事、青春もすべて捨てて。この時の体重は入学当初より10kgほど痩せていました。約8kgは2か月位で痩せましたね。

ご飯一粒に拒否反応、肉の写真を見れば痙攣。人はここまで落ちられます。

母親とカウンセラーさん、姉の説得と自分のどうしようもない状態を見て、父も少しづつ変わっていきました。最初はご飯が食べられない事や、過呼吸、痙攣がなかなか止まらない事に「おかしい、早く直せ、病院に入れるのが早い、自分は悪くない」という気持ちのようでした。(動けなくなる前日に、ほぼ強制的に回鍋肉と山盛りご飯を食べさせられて初めてもどしたのは知らないはず・・・)

気長に見守れば必ず治る、やりたいことを子供の頃から我慢させたり、家族関係に問題があったかも、誰が悪いわけではないというカウンセラーさんの言葉で、少しづつ自分に向き合ってくれるようになりました。言葉が厳しかったですが、父なりに心配して、嫌な事は止めてやりたいようにしていいよと言ってくれたり、自分が食べられそうなもの、美味しそうな物を買ってきたり、作ってくれたりしました。

鯛のあらを出汁で煮たものが一番覚えています。なぜか、あらなんです。しかもやたら骨の周りを何分もかけて食べてました。(気分を害されましたらすみません)フラフラの体で、倒れそうになりながらも、ひたすら(笑)。

母親は今まで以上に必死です。何度も何度も、学校をやめる事、今まで払ってくれたお金を無駄にしてしまうこと、今何もできない事、食べられない事を謝り続ける自分に大丈夫と言い、痙攣が起これば何が嫌なのか、無理しなくていいと言ってくれ、無理して筋トレしようとする(しつこしぎる)自分を止めてくれ、食べたいものがコロコロ変わる自分のわがままを聞いて色々な物を作ってくれたり。

ずーーーーっと憂鬱な自分の影響で落ち込ませたり、ぐったりさせてしまうことも何度もありました。それでも少し良くなる事があれば時には泣いて喜んでもくれました。自分が良くなれば喜んでもらえると思うと励みになり、諦めずにいられたのかもしれません。本当に有難い、では表現できない位この時は両親に助けられて、迷惑もかけて。どちらかが自分を病院に入れると言っていたら、早く学校に行くように急かしていたら。どうなっていたのでしょうか・・・。

やたら食に興味が沸き、倒れながらレシピを書いたり、自分のお店を開きたいとイメージしたり楽しめる事があった事でメンタルの回復は早かったかもしれませんが、体がなかなか難題でした。

お腹は空く、食べなければと危機感はあるけれど今まで拒絶してきたものは簡単には受けいれられません。肉見ればあの痙攣が、揚げ物を見たり想像しても痙攣、一番根深く、最後まで残ったのはご飯でした。ご飯一粒さえ口に入れられない、触れない、無理して近づくとそれだけで痙攣と過呼吸(ご飯が悪いわけではありません・・・)。食べられるようになるまで2か月ほどかかりましたかね・・・。

でも、パン作りが得意だった母が作ったパンは食べられました。きっと温かい物、手作りの物、柔らかい食べやすいエネルギーになる物を求めていたのでしょうね。倒れてから初めて焼いてもらって、焼きたてで持てない位あつあつのバターロールを思い切り頬張った時は、なぜか涙が出るほど美味しく感じました・・・。

それでもやっぱり前日食べられたものが食べられなかったり、急に食べられるようになったと思ったらもどしたり、やたら体重を気にしたり。多くの方が言うように、摂食障害って本当に根深くて、心理的な問題、親子・夫婦関係、ストレス、添加物、糖質、脂質、血糖値、自律神経、トラウマものすごく色々な事が複雑に絡み合っていたり、全然気にもかけていなかったことが原因になっていたりするんですね。早く治したいけど体が追いつかない、そんな自分を変えたのが新しい学校との出会いでした。

ここから先は

2,785字

¥ 300

チャイの試作、スパイスの購入に使わせて頂きます!少しでも多くの方にチャイやスパイスを飲んでもらうため、癒しを届けるため…どうかよろしくお願いします!!