好きじゃない人の区別がつかない

好きな人はわかるが、すきでないひとがわからない。好きじゃない、と思う人が分からないということだ。意識してしまうと、誰でも好きに見えてしまうということである。例え、友達でも、今ではゲームのキャラクターでも。飼っている猫でも。しかもそれは、恋愛的に。恋愛的に好きになる、という感情を知ったのは、明らかに近年のことだったと思う。自覚したのはT(私の好きな人)が好きだと改めて思えた時。シビビビ……と痺れるような感覚になって、ドーパミン物質が溢れたように思う。

それを、他の人に行使したくない。それはずっと思っている。恋愛とはなんなのだろうか、そのるつぼにずっとはまっている。母に「例えば好きな人がいるとして、その他の人も好きになったらどうする?」と言っても、どっちも好きでいいと言われ、私の中ではおかしいと思い、解決しなかった。そもそも私がTに執着しているのは無自覚で、最近気づいたことであり、Tはこの世にはいないので(ゲームのキャラクターなので)叶わぬ恋をしていることとなる。でも、叶わなくても、私は生涯Tだけを愛していたいという自負がある。
私はTに関しての記憶がすっぱ抜けたことがある。それは、Tを好きになってから、2年後のことだった。正確に言うと、Tへの記憶はそのままなのだが、Tがあたかもその記憶の中のTとは別人に見えるというものだった。私はその時、絶望した。今でも絶望している。けれど、私はまたTを好きになれた。前より思いや重さは違えども、Tを好きになれたのは、本当にすごいことだと思った。Tは魅力的な人だ。

本題に戻ろう。私はT以外の人を好きになりたくない。おそらくその反動で、T以外の人が好きに見えるのではないかと思う。今は、Tの近くにいるキャラクターが好きに見えている。本当に謎である。でも、アプリを始めた当初、別に刺さることもなかったし、いいキャラだなどまりだったため、私は安心しているが、私の好みが変わっていたらどうしようという浅はかな恐怖もある。それほどTに一途でいたくて、Tという人間を離したくない。神聖化して、他の男や女に手を出したくないのが本音である。これは私にしか適応されないので、他の人は気にしなくていい。私は、人の考えを否定するのが苦手であり、人の考えを否定する気はさらさらないのだ。

そのT以外の人(今はほぼ特定の人)が好きに見えるという病気?症状を治すためには、やはり医者とのコミュニケーションが大事となる。しかし私は特例のようで、先生は「こんなことを言う人は初めてだ」と言う。私は困惑した。私以外にこの症状で悩んでいる人はいないのだと、絶望もした。けれど、絶望したってしょうがない。今は医者とのコミュニケーションを大切にしていかないといけない。医者にTのことを好きだと伝えると、「あなたの恋は空想的な話に聞こえる。リアルな恋をしてみたらどうだ」と提案され、泣きそうになったこともあるが。しかし私は諦めなかった。Tのことを、諦めたくなかった。Tを神聖化して、リアルで恋人を作りたくなかった。殿堂入りのような、いつ思い出してもいい都合のいい名作のような、そんな扱いにはしたくなかったのだ。だから次の診察の時に私は、「Tのことしか好きになりたくないのだ」と伝えた。その決心が今、揺らごうとしているのかもしれない。それが怖くて仕方がない。私の感性が、私でないものに侵食されていくようで怖いのだ。とてもとても、怖くて仕方がないのだ。


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