雑記|一欠片も期待出来ないけれど
皆、聴きたい音と言葉しか聴かないし、観たい景色しか観ていない。信じたいものしか信じないくせに自分の言葉や存在は皆に届いていると思っている。
自意識過剰に自分の見えてる世界を話しても共感されるわけはない。かといって、俯瞰で観た景色の話じゃ寂しすぎる。
ヨカレトオモッテ、ハッシタコトバハアイテヲキズツケテ。イトニナイイミデ、タイハナイノニツタワッタ。
でもじゃあ、黙りコクってみたものの、世界はジワリジワリと締め付けてくる。
自分がなにかをして誰かに響いたのが嬉しいと言う体験が烏滸がましさを生み、傲慢になる。アイツに伝わったから君にも伝わるよねと言う脅迫はみていられない。
毎日を都度都度、毎日毎日を都度、オーダーメイドでこさえましょう。少しでも手を抜くならしっかり手を抜きましょう。
ありがとうは3回いいなさい。店を出て、家に帰って、今度会って。誰にも一度もありがとうと言われなかった日にもアナタに感謝している人がいる。言葉がなくても想いはある。
ワタシノハナシヲキイテクレと叫んでいるやつの話なんて聞きたくないけれど、聞いてくれないからソイツの主語がでかくなる。
何で壁やぬいぐるみに話より生命体に話しかけたら気が収まるのか。気は舞ってるのか。
皆が聴きたい音や言葉やストーリーラインに想いを忍ばせたら少しは届くのだろうか。
どんな言葉にも意味はなくて、どう使うかで意味が生まれるのだろうけれど、僕はどうしても言葉に頼りすぎるだろうから期待して伝わらないから戸惑うだろう。出来るだけ精密に編んでみても、一言一句届けよ読めよは上へ下へとエゴが蠢いているだけだろう。
伝えた側から裏切られても信じることから。裏切られても与えることから。そんなに清廉潔白じゃないから大声で叫びたい時もある。叫べばいいのに叫ばないくせに。
蓄積されて満タンになって溢れた言葉はもう救えない。
マウントも暴力もない。
かといって夢も希望もない。
揺蕩うとか凪とか言われましても。
沢山託す。
そのために書く。
それぐらいしかやれることなど無い。