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雑記|耳と目をマッサージして寝た

疲れたら食べたくなるビリヤニがある。
というより…このお店でビリヤニを食べている時は疲れている。

年末から年明け、やたらと新規の仕事の打ち合わせをしておりました。形になりだしているものもあるし、これからのものもある。

とはいえ、コントや小説等、自分のモノをつくるのが原則で原点。時間をつくる。

というか、体力の問題でしかない。大した量ではない。明らかに体力のなさ故。

と…年明けに書いて下書きをしたまま、放ったらかしになっていましたので、折角なのでその続きから。

昨年、わりと新規の仕事が増えてヒーヒー言ってたら、今年はどうやらもう少し増えてまして。

いうて、作家業かトーク系で、コントや小説ではないんですね。

ココでわかることは僕の中に順列がハッキリあるのです。住み分けかもしれない。

コントや小説が最も大事である

作家業やトーク系は二番手である

みたいな。

そして、作家業やトーク系が順調なのはこだわりを入れずに仕事として向き合えるから調度良い距離感なのかなとも思うのです。

打ち合わせや、実働が増えた。それを言い訳にして自分自身の創作をちゃんとしていない事が納得しきれないのも事実としてある。

いうて、事務所ライブで卸したコントはそんなに悪くなかったし、アニメの脚本も少しずつ我ながらええでって回も増えてきた。クオリティーというよりもなんというか、活動のバランスの話かと思う。

書き仕事をするようになって、人と会う頻度も減り、自炊が増えた。単純に家にいるからね。先日は豚カツを黙々と揚げていた。

アイドルのYouTubeの企画や構成を考えるお仕事が増えた。NACK5にも毎月一回顔を出させて貰える事になった。アニメの脚本の本数も増えた。単発仕事も幾つか来た。そんなことよりコントライブや小説や舞台は?と責めてしまう。分離していく様な感覚。そうじゃないよ二つで一つ、同じ感覚、同じ身体だよ。

裏も表も同じ感覚で取り組めるけれど、で、あれば50:50にしたいということだろうか。半分とはなんだ。数か?質か?時間か?

今は来た球を跳ね返るのみ…というのがここ二年程続き過ぎている。呼吸を整える。全体を見る。目的地を思い出す。水を飲む。

つくづく芸人とは何かと悩まされる。
俺の思う芸人像を押し付けてくるヤツはコチラの何かが気に食わない、もしくは彼の思う芸人像は僕の存在で揺らぎこそしないだろうが嫌な気持ちにはなれるのだろう。ただ、各々の芸がソコにあればいいのにな。

足りない言葉や足りない感情を探すよりも、今ある言葉と今感じている感情で向き合いたいのです。理論理屈だけでは寂しいので少しばかり理不尽な感情も入れてまぜてみたいんです。色々調べて用意周到に組み立てたけれど最後の仕上げは感情でいいじゃあないですか。理論理屈コンサルタントそんなもので整形成形成型してたら同じ様なモノにしかないないしそれが最適解だとしても寂しいじゃないですか。私とは何ですか。私も感情も存在しないとか言い出してまで真理なんていらないでしょ。期待しなければ楽だよって期待もしたいだろ。他人は変えられないってしたり顔やめろよな他人操って服従させたいくせに、なんなら従ってる時気持ち良さそうにしてるくせに。なんもわかんねぇ。わかるはずもねぇ。内側も外側も情報で溢れてる。零れてる。全部爆発させたら綺麗かな。情報って爆発するかな。

情報って湿ってるというよりはカラッとしてそだなと、今日は感じた。

自分で耳と目をマッサージして寝た。