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「蜷川実花展 ー虚構と現実の間にー」写真展に花の宿命をみた

2021年3月の下旬、名古屋の松坂屋美術館で開催されいた蜷川実花の個展を見に行った。

もともと絵には興味があり、美術館やギャラリーへはよく行くが、写真展はこれが初めてだった。

蜷川実花というと鮮やかな花を画角いっぱいに収めているイメージだ。SNSで映える光景が拡散されており、展示を見に行くことにどこか心が踊っていた。

実際に個展の会場も、壁や床までも花で鮮やかに彩られ、異世界に来たような感覚になった。
これが蜷川実花ワールドか、と思った。

そんな中で、あるコーナーに写る花の写真が造花であることに気がついた。

色は生花に劣らない鮮やかさだったが、そこにみずみずしさはなく、カサっとした質感が映し出されていた。

生き生きとした、溢れんばかりの生命力を感じる作品ばかりだと思っていたので、なんだか違和感を感じた。

気になって解説を読んでみると、そこにはこう書かれていた。

Everlasting Flowers
あるとき、蜷川実花は墓地に供えられた造花を見て衝撃を受ける。枯れることのない華美な花。すでにこの世を去った愛しい人の記憶を、永遠に留めたいとういう欲望の表像。生と死の混沌や矛盾を背負わされてしまった「花の宿命」に、蜷川は向い続ける。


この文章を読んで、私にも思いあたることがあった。

昨年の10月始め、私の愛犬が息を引きとった。享年14歳で世間的にみると大往生だ。

だが、私の中ではずっとかわいい子犬の頃のまんまで、いつまで経っても手のかかる愛おしい子。

せめて天国でも寂しくないようにと、棺の中に家族の人数と同じ数だけの花を入れた。

お葬式で使われるような花は嫌だった。愛犬は私の中でいつまでも生きているし、何より似合わないと思ったからだ。希望に満ち溢れたような、黄色やオレンジを自然と選んでいた。

そして同じ種類の花を買ってきて、家族の目に触れる玄関に飾った。花を通して、毎日愛犬との記憶を思い起こせるからだ。
たくさんの目に触れ、思い出してもらえたら愛犬も寂しくないだろう。

以降、花が枯れるたびに新しい花を買ってきては玄関に飾り続けている。玄関に花がないと、愛犬との接点がなくなる気がしてやめられない。

蜷川実花の表現する「花の宿命」は、まさに私にとっての玄関の花だった。


花はその美しさから、人の気持ちを動かす。

花言葉と言われ、それぞれの花に意味づけがされているくらいだ。時に、想いを届ける手段にもなる。

花はこれまで、どれだけの人の想いを背負わされてきたんだろう。

それでも一生懸命に茎から水を吸い上げては首(こうべ)を上げる。
その姿は、健気にも凛々しくもみえる。

蜷川実花展で、ただ華やかで美しいだけではない花の側面をみた。その表現から私が感じたものは、寂しさや人の念の強さだった。

きっとそれもみる人のこれまでの人生によって感じ方が変わる。

それこそがアートだし、それこそが蜷川実花ワールドなのだろう。


◇◆◇

※2021年8月現在は、山梨県立美術館で開催されています。時期によって開催場所は変わるので、足をお運びの方は場所と開催期間をご確認ください。

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