子供に支えられたこと
同じ家に住んでいるのに、子供に会うのが週1回だった頃。
あの頃は「動いている」子供を見たかった。
朝起きても、夜帰って来ても家族はみんな寝ていた。
幼稚園でどんなことがあったのか。
息子の友達は誰なのか。
どんな遊びをしているのか。
子供の状態なんてまるでわからなかった。
子供を抱っこすることも、全然できていなかった。
どれくらい重たくなったのかわからないし、いつの間にか、背が伸びているのに気づく始末。
でも、子供はパパを見てくれていた。見て欲しかったのかもしれない。
子供からの一言
「今度いつ会えるの?」
そう子供から聞かれた時に、また来週ねと最初は真顔で答えていたけれども、毎週毎週この質問を聞いてくる意図を考えるようになった。
単純に話をしたいのかな?
話をするのはママでもいいと思っていた。
むしろ、ママが、いいのだと思っていた。
だから、パパはたまに話を聞いたり、遊び相手をすればいいのだと。
現に、子供達はママ〜と言って懐いている。
しかし、よくよく考えて見たら、
選択肢がママしかないからかもしれない。
ママが子供たちのそばにいて、いつも話を聞いてくれて、お世話もしてくれれる。そんなママを慕わない理由はない。
一方パパは週1回しかいない。いてもスマホやパソコンで仕事をしている。仕事中に声をかけると怒られる。そりゃ子供だって近づかないわ。
バランスの見直し
自分の生きがいだった仕事で上手く行かない時期があり、体調、メンタル共に絶不調になった時期があった。
同じように子供から声をかけられた。
「今度いつ会えるの?」
迷わず自分は答えた。
明日だよ
あの時の子供の笑顔は忘れない。
たった寝る前に自分が帰ってくるだけ。
一緒に過ごせる時間は子供が寝るまでの2時間弱くらい。
それでも会えるということが、よっぽど嬉しかったのでしょう。
仕事量のコントロールをするだけで、子供にこんなに喜んでもらえた。
会える日が週2回、3回になっただけで、子供が少しパパに寄ってくるようになった。
実は、ママには言いづらいことがあったようだ。
無口な長男は、ボソッと小声で困っていることを教えてくれたりした。
まとめ
何が豊かさで、何が優先順位の1位なのかはその時によって変わる。
たとえ収入や役職が落ちたとしても、今の、優先度1位は家族。
3人の子育てはママ一人でできるもんではない。
労働力、精神的にという部分ももちろんあるけれども、子供が小さいうちはわずかの間だけ。
中学生になれば、部活や友達と遊ぶようになるもの。
そうなると、
子育てをママだけにさせるのは惜しい。
貴重な経験をママだけに独り占めさせるのはもったいない。
そう考えるようになりました。
・日本語が通じない赤ちゃん。
・言ったことをやってくれない幼児。
・口答えをするようになる児童。
どのプロセスも、結局自分が思い通りにならない相手に対して、どうやってミッション(パジャマを着る、こぼさずに食べるなど)を達成するか。
ビジネス上だと指示命令という強制力で動かすこともできるが、子供にはそれが通じない。
共感できそうなビジョンを掲げても通じない。
そもそも話をよく聞いてくれない・・・
何が正解なのかもわからない。
これって結構仕事にも活きる体験だと気付いたわけです。
だからこそ、全力で子供にぶつかり、相手の反応を見ながら試行錯誤する。
この化学反応が面白いし、その体験は期間限定。
仕事も楽しいけれども、育児も楽しい。(時もある)
そう感じてくれるパパを増やしていきたい。
イクメンという言葉よりも、もっと深いイメージ。
子供とぶつかるイメージ。
単に子供の話を聞くことからスタートして良いけど、全力で聴く。
子供と遊ぶときはスマホをいじらない。全力で一緒に遊ぶ。
手加減なしで、子供とぶつかる。
これを子供は求めているのだと思う。
気づかせてくれた子供に感謝しつつ、今日もぶつかっていきたい。
〜追記〜
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