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百日紅と夏の空

みんな大好き太宰治の、没落していく貴族を表現した「斜陽」というタイトルの作品は、しかしまさに窓から斜めに入る西日、部屋の中の壁や家具にくっきりと映っている光の輪郭のごとき美しさでどこを読んでもうっとりしてしまう。その美しさ故、斜陽という言葉に私はどうしてもネガティブなイメージを抱けない。
この小説の中の台詞「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。」、は夏が来るたび心の中でつぶやいてしまう台詞だ。私も夏の花が本当に好きだから。
斜陽でお母さまが好きだと言った合歓の花も好きだし、とりわけ立葵に目がなく、また、小さな金管楽器を思わす淡いオレンジのノウゼンカズラも、南国の雰囲気漂う芙蓉も、どの花も花屋ではなく住宅街でどなたかのお家に咲いているところが見られるのがいい。
立葵は前に住んでいた家の近くの病院の入り口にたくさん植っていた。どうしても写真が撮りたくて、0歳の娘をおぶって撮影しにいったことがある。

そしてなにより百日紅さるすべり。ツルツルとした幹と、ぽんぽんと飛び出す花、鮮やかなピンク、あるいは紫は夏の青空に本当によく映える。

以前住んでいた町で、毎朝通る百日紅が咲いている路地があり、ああここいいなあと毎回思っていた。慌ただしい朝、そもそもカメラも持っていないので車から横目で眺めながらいつも通り過ぎていた。
ある日の休日、たまたま一人でスーパーに行く機会があり、今しかない、と写真を撮るためだけにそこへ行き、やっと撮影できたのだった。家からほんの車で5分の距離だ。
隣の壁の向こうからはみ出している蓮の葉のようで少し違う大きい葉っぱも前から気になっていたので撮影した。後から里芋の葉だと知った。
それから近頃家のベランダから見えて気に入っていた2本のクレーンも近くまで行ってまじまじ観察してみた。いつも水色と黄色の二色がにょっきり青い空に突き出していてとてもかわいかったのだ。
でもそれは結局、納得のいく撮影場所が見つからなくてうまく撮影できなかった。

撮影したいと思うものを撮影することは思っている以上に難しい。いつでもできるわけではない。できない時にこそ出会ってしまうことも多い。行きたい場所に辿り着けないこともある。
引っ越してしまって今はもうあの百日紅の道を通ることはないけれど、きっとこの夏もあそこには百日紅が咲いていて、その横に大きな里芋の葉もたくさん伸びていて、その先の角の公園ではSL機関車が今日も灼熱の中、黒光りしているだろう。

All Photography by 田中閑香


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