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「イザベラ・バードの日本紀行 上巻」読書感想文

イザベラ・バードはイギリス人女性。
1878年(明治10年)に来日。

東京を出発して、栃木から新潟へ抜けて、青森まで3ヶ月の旅行をする。

それを記録した本になる。

この本をはじめて知ったのは、未決囚のときの官本。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「神々の国の首都」で知った記憶がある。
あとがきで紹介されていた。

そこでは「日本奥地紀行」という題名になっていた。
“ 奥地 ” とはけしからんということで、新しい発刊では「日本紀行」と改題されたと思われる。

イザベラ・バードは日本蔑視している、とそこにはあった。

どれほど蔑視しているのか、という気持ちで読んでみた。

が、日本蔑視とはちょっと違う気がした。


この本の特徴

ラフカディオ・ハーンと比較してみると、日本蔑視とはちょっと違う気がするのがよくわかる。

後に日本に帰化して小泉八雲となった彼は、非常に気を使って書いているのが伝わってくる。

日本の称賛も、適度に交えている。
このあと日本の生活者になるのを決めているのだから、当然の配慮だといえる。

対して、イザベラ・バードは旅行者である。
見たものや、経験したことの感想には遠慮がない。

それに、この本は、イギリスに住む妹に宛てた手紙という体裁をとっている。

こんなことがあった、こんなものを見た。
こんなことを聞いた、こう思った、こんなことを考えた。
これに腹が立った、これに驚いた、これは気になる。
というように、ありのままに書いている。

日本人への悪口もあるが、イザベラ・バードの個人的な好みに拠るところが多いようでもある。

とくに、疲れているときには怒りっぽくなっている。
ちょっとしたことでも悪口が酷くなっている。

後半になってくると「これは、そろそろ怒るな」という予想がついてきて、やはり的中して楽しい。

そういうところはクズな自分などは「イザベラかわいいな」と、ほほえましい気分で悪口を読める。

日本蔑視なんていうほどの大袈裟なものでなかった。
自分は、一緒に旅行しているようで楽しかった。
多くの発見もあった読書でもあった。

文庫|2008年発刊|496ページ|講談社

プライベートがないのが嫌い

イザベラ・バードが怒っちゃうのは、ひとつにプライベートがない生活が挙げられる。

まだ、外国人居住区がある時代。
そこから出る際には、政府が発行する通行証がいる。

はじめて西洋人の女性を目にする人ばかり。
行く先々の村の人々は、めずらしがる。
押しかけるようにして旅館にも見にくる。

でも、部屋は襖に障子だ。
この時点で、イザベラ・バードはイライラしている。

ある朝などは、目がさめると襖が全開になっている。
その向こうでは、多くの人々が息を潜めて見ている。
一応は遠慮はしているのだ。
でも、イザベラ・バードは激怒する。

なんていう人たちでしょう!
日本人はプライベートを知らないのでしょうか!

・・・ と、妹への手紙にぶちまけている。

「ヤドヤ」が小汚いと激怒する

イザベラ・バードは、旅行作家である。
この来日までに、各国を旅行しているので、それらと十分に比べたうえで、日本人を称賛している部分もある。

旅行のまえに浅草寺にいったときだ。
何千人いるのに警察官の姿がない。
この治安の良さに驚いている。

女性が単身で旅行をしても安全。
強盗に遭う心配がまったくない。

忘れ物を取りに戻った人足に別料金を渡そうとすると、人足代に含まれているからいらないという。

「こんな国はない」と驚きを込めて、旅行は進んでいく。
なんだか、現代でも聞くような話だ。

北に進むにつれて悪路も増える。
当時の道は狭い。

雨が降ったあとの道などは泥だらけ。
峠道などは這うようにして登るところもある。
馬は、人が担いで登るとある。

馬から降りたイザベラ・バードも、泥だらけになって登る。
さすが旅行家だけあって、そのあたりの行動に躊躇はない。

その日もイザベラ・バードは、村の “ ヤドヤ ” に到着する。
けっこう、ヤドヤを楽しみにしている。

襖の香り、畳の色合い、磨きこんだ板の間など、綺麗なヤドヤは妖精にふさわしいです、とも妹への手紙に書いている。

ちなみに、簡易なゴム製のバスタブも携行している。
ヤドヤでバスタブにつかったり、くつろいで筆記したりするのだ。

するとヤドヤはボロかった。

悪路で疲れているときのボロいヤドヤ。
これが、イザベラ・バード激怒の黄金パターンである。

なんて小汚いヤドヤ!
どうして清潔感がないのでしょうか!
日本人は、こんな衛生状態が平気なのでしょうか!

・・・ と、妹への手紙にぶちまけることになる。

痩せている男が大嫌い

イザベラ・バードは、日本人の容姿をけなしている。
ここの点が、日本蔑視と捉えられるとは思う。

ちっぽけな体格、凹んだ胸部、ガニ股、弱々しい目。
日本人が西洋の服装をしても似合わない、等々。

しかし、読み進めるとそうでもない。
イザベラ・バードは、男の見た目には厳しい評価をする。

どうやら、貧相な男が嫌いなのだ。
貧相な男が西洋の真似などしてると、嫌悪感を剥き出しにして「似合わない」と悪口がでる。
だいたいが 「醜い 」となってしまう。

恰幅が良いというか、貫禄があるというか、筋肉マッチョというのか、そっち系の男が好みのようである。

そういう日本人が和装をしていると「やっぱいい」とか「似合う」とか何度も書いてある。

日本蔑視というより、男の好みを隠すことなく書いている気がする。

いわゆるイケメンが好き

この旅行には、日本人の随行者が、1名は必要だった。
通訳を兼ねるので、事前に面接を行っている。

何名かのうち、素晴らしい能力を持っている青年がいた。
イザベラ・バードは、彼を雇うか迷う。

なにを迷っているのか?

彼は申し分ない能力を持っているが、あまりにもカッコいいから悩むと、妹への手紙には書かれるのだ。

こまごました雑事も頼むことになるので、これほどまでにカッコいいと頼みずらいではないですかと、なんかキャッキャッしている。

このときのイザベラ・バードの年齢は、本文中で明かされてないが、キャッキャッするような年頃ではないだろう。

ともかく、その “ カッコいい彼 ” は、申し分ない通訳の能力がありながら、無残に面接で落とされる。

代わりに雇われたのは “ 伊藤 ” である。
20歳くらいの青年である。

伊藤との道中は、楽しくやっているようである。
信頼して旅費も預けている。

そして、旅行の後半になって、妹の手紙で明かされる。
ここだけは、冷淡な視線が伊藤に向けれている。

以下の抜粋である。

『  わたしは、伊藤はブ男だと思っていますが、伊藤はその割にはお洒落がえらく好きで、歯を白くしたり、鏡の前で丁寧に粉をはたいたり、日に当たるのをひどく嫌がったりするのです。
手にも粉をはたいていますし、爪を研き、外に出るときは必ず手袋をはめます。』

・・・ 伊藤、むごし!

※ 筆者註 ・・・ 読書録をキーボードするにあたり検索してみました。イザベラ・バードは1831年生まれ、このとき46歳でした。いい熟女感を醸し出してます。

従順な子供の様子が不快

読む前は、どうせすぐに「アーメン」だの「神のご加護を」とか言い出すのだろうなと思っていた。

ところが、イザベラ・バードがキリスト教を持ち出すのは、以外にそうはなかった。

以外にというのは、日本蔑視をしているのだったら、その対として、キリスト教の文化を振りかざすのだろうなと予想していたからだった。

でも、さすがは、旅行作家だけあった。
文化や風習については、割合と理解を示している。

ただ、子供の従順さについては不快感を表している。

子供が大好きなのは、全編を通して伝わってくる。
目線は優しい。

村々を歩いて「これほど子供を可愛がる人たちは見たことがありません」とうれしそう。

いかに子供たちが可愛がられているのかを、好感をもって書いてもいる。

が、一転して、子供たちへ辛辣になるときがある。

着飾って、おしろいを塗った子供たちを目にして「その顔は安っぽい人形のようでした」とか。

「集まった子供は、出来損ないの人形のようでした」などと不快感を隠さない。

神童と呼ばれる子供の書画をみて「なんとも思いませんでした」と、これも不快感を隠さない。

個人がないというのか、主張がないというのか、従順すぎる子供の様子を目にするのが嫌いなのだろうなとは感じる。

女性にも同様に不快を表すことも多々ある。

着物姿を「窮屈そう」と「よちよちした歩きぶり」と否定的でもあるのは、やはり従順さへの不快が背景のひとつにあるのではないのか?

女性に不合理に課せられる風習も嫌いなようだ。

出産をした女性が歯を黒く染める “ おはぐろ ” についても「一気に中年女性となる」と軽蔑したように書いている。

これらの点も、一見すると日本蔑視に捉えてしまう。

美を損なうのが嫌い

イザベラ・バードは、美感には正直。
美感を損なうものを嫌う。

午後の陽光、森、岩などの、どうでもいいようなものも「美しい」と褒めている。

とくに、花が好きなようだ。
道中では、ツツジの花がびっしりと咲いていたのが「たいへんうれしかった」ともある。

こういう記載は、ラフカディオ・ハーンにはまったくなかったので、イザベラ・バードならではの美感となる。

日光の旅館では、目にした生け花を絶賛する。
このときの妹への手紙を抜粋すると、以下である。

『 生け花が、私にとって教育です。
ただ一輪だけを飾るという、極端な美しさを評価しはじめています。
花も茎も葉も花弁も、すべてがその美しさをあますとこなく見せています。
イギリスの花屋がつくる花束ほど、グロテスクで野蛮なものはないでしょう。
異なった花を束ねると、それぞれの花の優美さと個性が台無しになってしまうのです。』

国と国を比べることもしないし、どちらがいいかという見方もしないイザベラ・バードだけど、ここだけはイギリスと比べていた。

難しい理屈抜きで、感情が豊かに美感を表していく。
たしかに悪口はあるが、基準は個人の美感にあるようだ。

日本蔑視という一言で片付けてしまうと、せっかくのいいところまでが見えなくなってしまうのを知った読書だった。

10秒でわかるあらすじ

1878年(明治10年)6月に東京を出発。
前半は日光に寄ったりもして観光気分もある。

が、後半は台風直撃もあり大変になっていく。
9月に函館に到着して終わる。

その間に、37通の手紙が妹へ送られる。
途中には “ ノート ” という筆記が挟まって、各地の生活や風習などの様子も細かく記されている。

数字も調べて記載している。
発見することがたくさんある。

よかった部分もたくさんある。

なんてたって、最初の2ページ目から感動させた。
独居の中で涙を滲ませた。

来日したときだ。

イザベラ・バードが乗った船は、江戸湾に入る。
甲板のあちこちで、歓声が上がった。

“ フジヤマ ” が見えるのだ。
が、彼女には見えない。

探しているうちに、陸ではなくて空を見上げる。
予想していたよりも、はるか高いところだった。

純白の、巨大な円錐があったのだ。
それは、すばらしい幻想のような眺め。

・・・ 150年前の情景が目に浮かんできた。

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