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20年ぶりくらいに『美術手帳』を買った。
そういえば昔は毎月買っていたのだった(当時は『BT』という名称だったが)。

特集が「新しいエコロジー」で、延期されていた展覧会がようやく開催される運びとなったオラファー・エリアソンのインタビューが載っているのが、主な理由だ。

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アートと代議制

「アートで描くサステナブルな世界」と題されたインタビューで、エリアソンはこんなことを言っている。
「芸術の経験は、観客が目の前の作品にどのようなリアリティを感じ、それによって世界にたいする見方をどう変えていくのかという点と深く結びついていますね。(中略)展示の際、作品をどのように見せることを意識していますか?」というごくごくありふれた 問いに対する回答としてだ。

あなたにかわって芸術が語り、あなたにかわって芸術がつくられ、しかしあなたが出費するわけではありません。これは議会のモデルに近いと言えるでしょう。それは市民権や政府、私たちの世界や社会に関する価値をめぐる仕事です。これらの価値が、芸術作品、来館者、そして美術館などのコンテクストとの出会いの質を導いています。私は、芸術が持つこうした潜在的なシステムに多大なる可能性を感じています。

アートをいわば代議制の議会に近いものに喩えてみせるエリアソン。誰の何を代理し、代理したものをどんな形で誰に対して届けるか。そこにおいてアートをめぐる「出会いの質」を問う。
それが「展示の際、作品をどのように見せることを意識していますか?」という問いに対する答えとして提示される。

美術館はいわば代議士たちが集う議会である。
そこで何が論じられ、何が世界・社会に届けられるかが、アートが導く出会いの知ってとして問われるのだ。

エリアソンはそこに「持続可能性」という問いを置く。

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地球の滅亡

昨日紹介したダグラス・アダムスのSFコメディ『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、物語ののっけから地球が滅亡する。
持続可能性なんてあったものではない話だ。

しかも滅亡の要因は、完全に外的要因だから、地球内でどんなにがんばろうと持続可能性を先延ばしにできたわけでもない。

その前に紹介したジェームズ・ラヴロックの『ノヴァセン』でも地球の滅亡の可能性は、隕石の落下などの外的要因によって論じられる。

ただしラヴロックの話の場合は、隕石の落下で地球が死滅してしまうのは、そもそも地球が暑すぎるからでもある。この場合、内的要因も大いに関係しているのだ。

平均気温が暑すぎる分、隕石の落下によってさらに上昇すると考えられる気温の上昇による多大な影響を吸収しきれなくなる。そうであるがゆえに、隕石の衝突をきっかけに、生命体が地球上で生き延び続けるための平均気温の限界50℃を超えてしまい、ほとんどあらゆる生物が死滅するであろうことがその理由である。

ガイアは、いまや歳をとり体力が衰えているけれど、この惑星を冷却するという自身の仕事を続けなくてはならない。地球が生命体に覆われてから30数億年が経つ。わたし自身が嫌というほどに気づいているように、歳を重なるにつれ、わたしたちはあちこち調子が悪くなる。それはガイアにしても同じだ。かつてなら軽くやり過ごしてきたような衝撃によって、システムが破壊されてしまうかもしれない。

100歳になったラヴロックがいうのだから間違いない。ガイア仮説を提示した50代のラヴロックといまではまるで違うのだろう。
同じよえに恐竜の絶滅で済んだときとは、地球環境の若さが違うのだ。残念ながら今度は全滅だ。

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マスクはプラスチックでできている

そんな温暖化に向かう流れとはきってもきれない関係にあるのが、プラスチックだ。
ようやく日本でも使い捨てレジ袋の削減のため、7月1日からレジ袋が有料化される。

しかし、使い捨ての生活がそこですこし改善されるかと思いきや、それ以上にプラスチックの使い捨ての量が極端に増えている要因がある。
そう。不織布でできた使い捨てマスクだ。
使い捨てマスクの不織布の原料のほとんどは、ポリエチレンかポリプロピレンであり、ようはプラスチックだ。

それがいまや世界中で大量に使い捨て続けられている。コロナ禍で空気や水がきれいになったなんてニュースも流れた時期もあったが、その一方で、すでに、こんなこともニュースになっている。

よく言われるように、ウイルスにはいずれワクチンができるが、気象変動にはワクチンはない。
だとしたら、一度死期に近づくようなスイッチが入ったらもうどうしようもないということでもある。

ウイルスの問題もまだまだ大変だけど、同時に、持続可能性についてもちゃんと考えないと間に合わなさそうだ。

勝手にイグジット

ここに政治的な動きがないのがつらい。
いや、アメリカやイギリスを中心に、政治がへんに自国主義に向かっているのがつらい。

ブリュノ・ラトゥールが『地球に降り立つ』でこんなことを書いていたのを思い出す。

失敗を招く単純な理由がある。それは、方向づけの概念に結びついている。見た目とは違い、政治の要は政治意識ではなく、地球の形と重さなのである。政治意識の機能はそれに反応することだ。
政治は対象、掛け金、状況、物理的実体、身体、風景、場所に常に向けられている。いわゆる守るべき価値とはつねに、あるテリトリーが抱える課題への反応である。そしてその課題を各テリトリーが記述できること、これが条件である。これこそ政治的エコロジーが発見した確たる事実である。つまり、対象に適応させた政治ということだ。そのため、テリトリーが変われば政治意識も変わる。

「政治の要は政治意識ではなく、地球の形と重さ」。住むのに適したテリトリーがますます限られていくなか、持つものと持たざるもののあいだでも、政治意識は異なる。当然、それによって持続可能性のパラメータも大きく変化する。

ここにこそ、政治的な声がほしい。
政治に届く声だけでなく、エリアソンら代理してくれるアートにもちゃんと加担したいと思う。
声が必要だ。民主主義的な声が。

そうでないとこんな輩に台無しにされる。
アメリカで大統領を動かす、富裕なリバタリアンたちについて、『ニック・ランドと新反動主義』(木澤佐登志著)でこんなことが書かれている。

リバタリアンは「イグジット」というコンセプトを対置させる。民主主義制度のもとで愚直に「声」を張り上げるのではなく、黙ってその制度から立ち去って、新しいフロンティアを開拓していく。これこそが、リバタリアンが選択すべきもっとも賢明なプログラムとなるだろう。

ラトゥールが、

かつての「自由世界」を支えた最大の担い手国、英国と米国が他国にこう告げる。「私たちの歴史はもはやあなた方の歴史とは交わらない。あなた方は地獄へ向かうのです」。

と書いている事態は、そうしたリバタリアンらのイグジットの姿勢から生じている。

まるで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』で、地球滅亡直前に、先に地球を逃げ出したイルカたちの人類に向けた出立の辞「さようなら、そしていつも魚をありがとう」のようではないか。

そこには持続可能性なんて発想はない。


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