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ネクスト・シェア ポスト資本主義を生み出す「協同」プラットフォーム/ネイサン・シュナイダー

最初に苦言すると、なぜ「ネクスト・シェア」なんて邦題をつけてしまうんだろう?
原題は"Everything for Everyone"である。
ようは「協同」がテーマであって、それをシェアと呼んでは焦点がボケてしまうように思う。

ネイサン・シュナイダーの『ネクスト・シェア ポスト資本主義を生み出す「協同」プラットフォーム』は、経済の民主化をテーマにする。新自由主義のグローバリゼーションと金融資本主義によった経済システムの結果、気候変動の加速、経済格差による深刻な貧困や生活困窮、地域経済の壊滅などの問題に対して、もうひとつの別の経済システムとしての自律分散型の共助や協働、協同所有や共同利用をベースとした民主的な経済システムの基盤としての協同組合をテーマに、その歴史や現在、これからの可能性について言及した一冊だ。
巨大プラットフォーム企業やグローバルな資本主義企業、果たしない格差社会化を助長する金融機関などに市場や社会を思うがままにさせないために、経済を民主化し、土地、労働、そしてお金という本来商品でないものの金融商品化するのに対抗してそれら資本を協同のものとするためにコミットする人たちやそのしくみについて取材した本である。
自分たちで自分たちが暮らす地域の持続可能性とウェルビーイングなありようにコミットするにはどうすればよいかの示唆を与えてくれる内容となっている。

プラットフォーム型の協同

日本でも、エネルギーの地産地消を促すとともに、その生産と利用を地域の人びとの民主的な営為にゆだねるしくみが生まれつつあるが、この本を読んで驚いたことのひとつは、広大なアメリカでは農業が中心となる田舎の地域では歴史的に住民たち自身が協同組合をつくって電力を賄ってきたということだ。

都市部で電気料金を払い慣れている人々は、アメリカの国土の75%が協同組合で電力をまかなわれているのをあまり知らない。電力協同組合をすべて合わせると、組合員兼所有者の数は約4200万人、販売されている総電力の11%、資産額1640億ドルに達し、アメリカの万年貧困に苦しむ郡の93%において富を創出する手段となっている。

協同組合で自分たちで電力を賄えれば、外で作られたものを買うより安くつく。さらに電力をつくる仕事が増えるので地域に雇用が生まれる。いま議論される地方の自律分散型社会の確立というのは、そうしたところが目指されている。

自律分散型の経済システムにより地方における経済の民主化を確立して、新自由主義的なグローバル経済に対抗する動きについては、前回「社会的連帯経済 地域で社会のつながりをつくり直す/藤井敦史編著」を通じて社会的連帯経済の動向をすこし紹介したが、本書も大まかにはその流れのなかにある。

ただし本書が扱うのは、副題にあるように、社会的連帯経済の動きのなかで「プラットフォーム」的な傾向を示すものに主に目を向けられている印象がある。

佐久間裕美子さんの『Weの市民革命』でも取り上げられていたプラットフォーム・コーポラティビズムが本書でも取り上げられているし、Web3的な文脈におけるDAO(分散自律型組織)も含めて、デジタル・プラットフォームを利用した民主的協同組合についての考察へと向かっていく。

ワルドマンは「戦略の主体として設計された」DAOの実現に期待していると言った。会費を徴収して契約に責任を持つ会員を擁することによって、DAOはこれまでのネットのソーシャルメディアには現れてこなかった新しいタイプの労働組合を組織したり統制のとれた消費者運動を育成したりする手段となりうるかもしれない。フェイスブックで抗議デモに参加するつもりだと単に意思表示するかわりに、契約で抗議デモに参加する義務を負った人々のグループに加入したらどうなるだろうか。スマートコントラクトは連帯を復活させることができるだろうか。

GAFAに代表される巨大プラットフォーム企業が僕たちのデータを独占的に蓄積し扱い利益を得る、きわめて新自由主義的な市場主義に対するオルタナティブとして、市民の側に所有や利用の権利がある形での民主的な協同のプラットフォームの試みの例が紹介される。

プラットフォーム型の市民の協同の例では、現在バルセロナ市長にもなっているアダ・コラムらによって2015年に立ち上げられた市民プラットフォーム、バルセロナ・アン・コムが知られているが、本書で紹介されるのは同じくバルセロナを中心としたカタルーニャ地方を拠点とするCIC(カタルーニャ総合協同組合)のほうだ。

カタルーニャのCIC

CIC(カタルーニャ総合協同組合)は、反資本主義運動家として活動していたエンリック・ドゥランを中心に2010年に創設された総合協同組合組織だ。

その中心人物であるドゥランは、2008年の9月に自身の発行するフリーペーパーで、複数の銀行などの機関から偽の事業をでっち上げて融資という形で「49万2000ユーロ(約6930万円)を盗んだ」ことを発表したことで一躍有名になった人物だ。
ドゥランはこの犯罪を「俺たちから盗んでいる奴らを告発しオルターナティブを建設するため」に行ったと表明し、このお金を使い、新自由主義的なグローバル資本主義に反対するメッセージを出すためのメディアをつくった。

ドゥランはその後逮捕されたが、ドゥランを支持する人たちの活動のおかげで釈放された。その後、8年の実刑判決が出たものの逃亡を続けており、その逃亡生活のなかでCICの活動を立ち上げている。

著者は、そんなドゥランを訪れ、話を聞き、CICについて、こう書いている。

私が訪問した2015年時点で、CICはカタルーニャ地方一体に散らばる674のプロジェクトの連盟であり、954名の労働者がいた。 CICはそれらのプロジェクトに税金と法人化に関する法の保護を与えていた。組合員同士の取引は、カタルーニャのエコネットワークから発生したオルタナティブ通貨の単位「エコ」で行う。保健医療従事者、法律の専門家、ソフトウェア開発者、科学者、ベビーシッターを皆で共有している。CICの50万ドルの年間予算、クラウドファンディング・プラットフォーム、無利子の投資銀行「Casx(キャッシュ)」で組合員は互いに融資をする。CICの加盟条件は、プロジェクトが合意制で運営されていることと、透明性や持続可能性など一定の基本原則に従うことだ。総会で新しいプロジェクトの加入が認められると、プロジェクトの所得はCICの経理部を通すことができる。その一部は財源と共有インフラに回される。参加者は誰でもサービスを受け、共有資源の使い道の意思決定に関わることができる。

銀行からお金を騙しとったという部分だけみると単なる犯罪だが、ドゥランが意図したのは、同じように市民から合法的にお金を騙しとっている金融機関をはじめとする新自由主義的な資本主義経済のしくみから逃れるための、民主的で透明性のある、もうひとつの経済のしくみを成立させることが趣意であったことがその後の活動からは感じられる。
銀行などから偽の融資でお金を騙しとったことの是非はいったんおいておけば、CICの協同組合精神に準拠した活動から学ぶことは多いように思う。

補完通貨という協同のツール

先の引用でも、CICが法定通貨のユーロとは別に、エコという組合内で流通可能な補完通貨を用いていることが言及されていた。
この補完通貨がコミュニティ内の共助を支えるツールとして機能している。法定通貨が金融商品化してしまっているがゆえに格差を助長し貧困を産んでしまうのに対し(ドゥランの犯罪はこれを非難するためのものだ)、CIC内で流通する補完通貨エコはそうした利己的な活動を抑制しコミュニティ内での利他的な振る舞いに人びとを導くよう設計されている。

経理はユーロとCIC内の通貨となっていたエコで行われていた。エコにはビットコインのようなハイテクソフトウェアは不要で、単純な相互貸借台帳さえあればよい。ビットコインが中央当局と完璧ならざる人間を介在させないのに対して、エコは互いを信頼する人々のコミュニティーに依存している。口座は数千あるが、口座の持ち主なら誰でも、もともとは南アフリカで開発されたオープンソース・ソフトウェア・パッケージだったウェブ上のコミュニティ・エクスチェンジ・システムのインターフェイスにログインできる。そこでユーザは全員の残高を確認し、口座間でエコの送金ができる。富の尺度も世間の常識とは逆だ。残高が低かったり少しばかり借金があっても、誰も眉をひそめたりしない。むしろ、プラスでもマイナスでも誰かの残高がゼロからあまりにかけ離れて、その状態のままだと問題視される。利子がつかないため、大量のエコを置いても何の得にもならないこのシステムでは蓄積ではなく利用、貢献と消費のバランスをとることによって信用度が高まる。

儲けているか借金があるかが富の尺度ではなく、正反対に、プラスもマイナスもないことが富、言い換えればウェルビーイングなコミュニティ経済の尺度になっているのだ。利己的な蓄積ではなく、経済を回し富を公平に分配するという意味での利用や貢献といった利他的な活動へと人びとを導くツールとして機能するのだ。
お金というものもデザイン次第でまったく異なるものになるという例だ。

そして、このエコという補完通貨。よく言われるように必ずしもデジタルテクノロジーの利用だけが、自律分散や民主化につながるわけではないことを示した例でもある。

ドゥランは暗号資産を、テックカルチャーに慣らされた私たちが期待するような、アルゴリズムにすべてまかせれば人間の不完全性を修正してくれる、世界を救済するソフトウェアだと考えてはいなかった。彼は暗号資産を、信頼を優れたテクノロジーに置き換えるのではなく、人間同士に信頼を作り出すために使うことを望んでいた。

そう。デジタル技術を使えばすべてOKではない。それが人間同士の信頼をつくるためにデザインされていなければならないし、そのためにはリアルな面も含めた地方の協同のプラットフォームのデザインを信頼とつながりをどう生み出すかという観点で設計しなくてはならない。そうでなければ、どんなにブロックチェーン技術を用いたプラットフォームでも投機目的で一瞬にして崩壊するのだから。

協同組合という地方の富の創造のためのプラットフォーム

その意味では、僕らはデジタルとは直接関係のない昔からの協同組合というプラットフォームに学ぶことはたくさんあるのだと思う。

たとえば、ヨーロッパで最も豊かな地域のひとつとして数えられることの多い、イタリアのエミリア=ロマーニャ州(州都がボローニャ)は1人あたりGDPもイタリアで3番目に高いのだが、その経済を支えているのは、伝統的に運営されてきた協同組合である。

世界的に有名な食品、自動車、包装機械を輸出している地域で中小規模事業者が今も主流であり続けているのは、協同組合ネットワークのおかげだ。エミリア=ロマーニャ州の世帯所得の中間値はイタリア1位であり、就業率が最低で、女性の労働参加率が最も高い理由の一端は、協同組合が根付いた風土にある。これは不思議な融合の結果だ。

フェラーリやランボルギーニ、イタリア最大の食品メーカーのバリラも存在する地域だが、同時に、協同組合のネットワークが地域の経済を活性化させ、地域内での富の生産、循環を可能にしていることで、豊かな地域となっている。地域の人びとがそれぞれ自分たちの地域を豊かにするために協同し、地域の富の創造と循環に貢献するための経済活動を行なっている。

その協同組合精神を受け継ぐための人的資本の開発にも力を入れていて、単にビジネスの知識やスキルを学ぶ以外の、協同のトレーニングが行われている。

同校の元学長エスター・ジチェルーは協同組合員の娘としてコーヒー農園で育った。彼女自身の教育は家業の手伝いから始まった。「私たちは協同組合のトレーニングで、単にビジネスの知識やスキルを広めることだけを考えてはいません」と、まるでホリヨークとグリーリーが乗り移ったような言葉を彼女は発した。「あらゆる層のの人々の成長と進歩を考えています。通常の株式会社では絶対ありえないような形でです」。

自律分散で、各自が自分たちの富の創出や共助にコミットするためには、個々人が「言われたことをやる」以上の創造性と積極性をもった仕事ができる必要がある。富を生み出す力を自分たちのものにするというのは、そうしたことも含む。

こうした「働く者」に必要とされることの変化も含め、そうした人材育成をどのように行っていくかも含め、単にテクノロジーの問題ではない「協同」のプラットフォームをどう実現していくかが今後の地方自治、地方経済の再生の課題なのだろう。


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