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デフォルト値の更新

日常的な生活空間にあいた亀裂から、異常が溢れだしてきてからもう何週間も経つ。

各国で非常事態宣言がされ、店舗の営業が禁止されはじめたかと思えば、とうとう域内の渡航制限がされる状況にまで追い込まれたヨーロッパに比べれば、まだそれでもマシな方だとは言えるが、それでもいままで「日常」に普通にあるものと思っていたものが制限され、いまこの日々からは失われているものはたくさんある。

不要不急なものだからと我慢しているそれら失われたものは、果たしてもうすこし時間が経てば戻ってくるのだろうか。
問いを変えるなら、それらが戻ってくるには、この例外的な事態がどのくらいの期間で終息する必要があるのか、となる。いま、異常事態だと思っているこの状態でさえ、あとどのくらいか経ってしまうと、この状態そのものが日常になってしまうのではないかと思ったりする。そういう長期戦になってきているのだと思う。デフォルト値そのものが書き換えられるタイミングなのかもしれないと思う。

期せずして起こったこと

たとえば、こんなニュース。
そういう変化が起こるのではないかと思ってたらやっぱりだ。
そう。あれほど対策がわからなかった大気汚染や二酸化炭素濃度に変化が見えはじめているのだ。

中国では「主要都市で大規模な封鎖が行われたことにより、大気汚染が大幅に軽減された」という。

スタンフォード大学教授のMarshall Burkeは、中国の4都市の大気中のPM2.5の濃度の推移を分析した。その結果、2カ月間にわたり大気汚染レベルが低下したことで、中国では5歳以下の子供4000人と、70歳以上の高齢者7万3000人以上の命が救われたという。

イタリアでも、二酸化窒素を含むあらゆる種類の人間活動に由来する汚染を追跡できる欧州宇宙機関 (ESA) の人工衛星「Sentinel-5」を用いて、「NASAの大気科学研究者であるSantiago Gassó氏が2月8日と3月7日に撮影した2枚の画像を比べると、新型コロナウイルス流行の前後で二酸化窒素排出量が明らかに違い」が見られることが明らかになっている。

もちろん、この状況を歓迎することなんてできない。結果、大気の浄化や二酸化炭素排出量の減少が見られたとしても、この状態を肯定的に捉えることは到底できない。そういう話ではない。

けれど、期せずして、このくらい社会全体で生き方を変えれば、どうにもならないと思われていた環境の問題も変えられるのだということに気づいてしまったのも確かだ。

デフォルト値の見直し

この状況がいつ好転するか。

早めに好転する可能性がないとは言わないが、好転する理由がいまないのだから長引く可能性は大いにある。
むしろ、収束する具体的な理由がないとしたら、この状態は続く可能性を踏まえてどうするかを考えはじめないといけないのだろう。
つまり、いままでの「日常」の前提をリセットして、いまのこの「異常」な状態をデフォルト値に再設定したときに、どうやって生きていくか?ということだ。

あと数ヶ月はこの状態が続くときに、いままでの状態が戻らないことをただ嘆くだけよりは、これがデフォルトのときにどんな仕事が可能か、どんな生活が可能かを、これまでの当たり前を白紙にして考え直すことも同時にはじめておいた方が建設的だと思う。

この状況でこれまでの商売がむずかしくなっているなら、いまの状況でもできる、あるいは、この状況だからこそ必要とされる仕事を新たに見つけないといけない。場合によっては商売のドメイン変更も余儀なくされることもあるだろう。きびしいが、何もせずにいるよりは、その方向にも進めておくしかないように思う。

とにかく、そんなに簡単に変更できるものではない。こう書いているぼくだって、もちろん、どうしていいかわからない。だが、そういうことでも考えないと、長期戦に挑むのはむずかしそうだと思うから、なんとか考えて新しい道を探るしかないと思っているだけだ。

このままでは経済が回らないという声が良く聞かれるが、そう思うのであればこそ、この状況でも成立する経済のしくみを早急に考え、できることからつくりはじめ、回しはじめる必要があるのだろう。回しはじめて損になることもなさそうだから、まだ、それができる余力がある人はそれをはじめた方が良い。

結構むずかしいが、そのことばかり考えている。
考えて早く動きだすしかない。

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元に戻すのではなくて

で、すこし話を戻すと、先の中国やイタリアの大気の浄化や二酸化炭素排出ガスの減少である。
僕としては、やはりここに関心をもたずにはいられない。

今回のことでいままでやれてきたことがいろいろできなくなっている。だが、もはやこの状態で数週間過ごしてみると、これはこれでデフォルトの状態であるようにも思えてくる。
もちろん、人によっては、このいろんなことができない状態にうんざりしているのだろうけど、僕自身はいろんなことが制限されてできなくなった状態もそこまで極端に悪いものには感じなくなってきたのも確かだ。

一方で、その結果が気候変動など環境問題の解消につなげられそうな可能性がみられるのだとしたら、その可能性を探ってみたいと思う。
その気持ちの方が強い。

さすがになくなっているものがすべてこのままなくなっていいとは僕ですら思わないが、いまでもなんとかやれていることを考えると「不要不急」でやらなくてよく、現にいまやっていないもののなかには、この先もなくてよいものが大分ありそうだとも感じている。

このパンデミックの状態は早急におさまることを願う気持ちは同じだが、一方でおさまったからといって、何もなかったかのようにそれ以前の経済状態や日常に戻るというのは違うとも思っている。なにしろ、このまま環境の問題が進んでしまったらそれこそいまのパンデミックの比較にならないくらい、世の中が長期にわたり立ち行かなくなるのだから。

それへの対処をこの大幅に生活を見直さなくてはならなくなっているいまの機会に考えるのは悪くないのではないだろうか。

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縮んだままでいるにはどうするか

今回思いきって縮んだ分のどこをそのまま縮んだままにできるか、そして縮んだままでも生活や経済に支障がなく、かつ環境の改善にも取り組めるようなそういう模索をどうせならはじめてみても良い機会でもある。

いずれにせよ、どうやっても長期戦だ。

あとすこしでおさまる理由としての治療方法や防ぐための具体的な医療法がない以上、おさまることを期待するのは無理がある。
気温や湿度があがってリスクは減っても、地球の裏側にピークが移って、半年したら戻ってくる可能性だってあるのだから、長期化を視野に入れた対策を考えるよう、覚悟を決めるしかない。
その方が前向きだし、安全だと思う。

とはいえ、これほど急激に変化しなくてはいけないのだから、並大抵のことではない。

事業体としては、どうやってどういう事業に転換することで、この環境でも継続的に経済活動に参加し続けるか。
個人としては、日常生活をこの先どう過ごしていくか。

これをひとりひとりがまさに自分ごととして、いままでの常識に頼らず考え直すことをはじめないと本当に長期化する事態に対応できないだろう。

これほど急激に前提が崩れてしまった以上、社会にしろ、政治にしろ、企業にしろ、既存の環境を前提につくられたシステムは破綻してしまっているのだから、個々人がそこに頼ってどうにかしてくれといったところで始まらない。
どうにかするための機能が破綻しているのだと認識すべきで、だとしたら、この状況を前にもう一度、いまの状態でも機能するシステムを作り直すしかないのだ。

既存のシステムがもう一度機能するようなデフォルト値に戻るのを期待してたら何もかもが遅くなりそうだ。
もしこうした予測が外れて事態がはやめに回復したとしても、もっと大きな気候変動などの環境問題が待っているのだから、いま更新しておくのは悪くないのではないだろうか。

まずは考え方のリセットからだ。
デフォルト値はすでに変わってしまったのだと。

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