リモートワーク環境下での生産性
zoomのようなビデオ会議システムとslackのようなチャット型コミュニケーションツール。
どちらもいまやリモートワークをする上では欠かせないツールだ。
けれど、この2つをうまく使い分けないと仕事の質もスピードも落ちる。
端的にいうと、ビデオ会議側に頼りすぎると、質もスピードも落ちる。
なぜ、そうなるかを考えてみたい。
熱いメディアと冷たいメディア
「メディアはメッセージである」などの言葉で知られるメディア理論家のマーシャル・マクルーハンの提唱した概念のひとつに「熱いメディアと冷たいメディア」というものがある。
熱いとは単一の感覚を「高精細度」で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。
とマクルーハンは1964年の著書『メディア論』に書いている。
あえてすこし曲解してシンプルにいうと、情報量の多さによる区別である。多いのが熱いメディア、少ないのが冷たいメディアである。
ただ、この多い/少ないはさほどシンプルではない。
マクルーハンは、映画は熱いメディア、テレビは冷たいメディアというひとつの例をあげている。
これを先の情報量という観点で考えると、僕らはちょっと戸惑う。映画とテレビの情報量に違いはあるのだろうか?と。
こんな風に迷うのは、僕らが映画とテレビをそのコンテンツで考えてしまいがちだからだ。
「メディアはメッセージである」の言葉どおり、マクルーハンはコンテンツではなく、メディアそのものを見ている。メディアそのもののメッセージ性にどう違いがあるかがマクルーハンの論点である。
だから、映画とテレビについてもメディアとして、情報量の多い/少ないを見る必要がある。
マクルーハンがメディア理論を展開した1960年代の社会環境を考慮に入れたうえで。
つまり、こうだ。
映画は暗い映画館で観るメディア、テレビは明るい自宅のリビングで観るメディアということになる。
暗い映画館で映画を観るとき、僕らは静かに映画の情報に集中している。ゆえに僕らは映画の情報を「高精細度」で受けとれる。
一方、明るい自宅の部屋でテレビを見ているときは他にさまざまなものが見えるし聞こえてくる。いっしょに見てる人と途中でおしゃべりしたりもするだろう。だから僕らはテレビからの情報を「高精細度」では受けとりずらくなる。
映画とテレビにおける情報量の差とは、この相対的な差だといえる。
メッセージ生成に参与するかしないか
映画館で映画を観るときは、映画の情報に集中しているから映画というメディアから受ける情報量は多いといえる。
マクルーハン流にいうと、それは光を浴びている状態だ。
一方で、テレビを見てるときはほかのものからの情報が邪魔をして、相対的にテレビから得る情報量は少なくなる。
これもマクルーハン的にいうと、(1点の)光を見ている状態となる。
光を浴びているか、光を見ているか。
前者は神から啓示を受けいるような状態であり、後者はいわば聖書を自分で読んでいるような状態といえる(カトリック的か、プロテスタント的かの違いにもみえる、マクルーハンがカトリックだったがゆえに、この違いに敏感だったのではないか)。
前者はその情報量の多さゆえに受容者側が情報を補填、補充しなくても良く、メッセージ生成における参与は低い。後者は情報量の少なさを受容者が補填、補充しなくてはならず、受容者の参与がなくてはメッセージ生成は完了しない。
そう。ポイントはここだ。
メッセージ生成における受容者の参与である。
つくるのをいっしょにやるか、個々でやるか
と考えたとき、仕事で適切なメディアを選ぼうとしたら、メッセージ生成に受容者の参与が必要かどうかで熱いメディアか、冷たいメディアかを選ぶとよいのではないかと思う。
メッセージ生成というとわかりにくいなら、こう言い換えてもよいだろう。
仕事で何か計画したり構想したりの案(仕事の成果として求められるもの)をどうやって考えるか?だ。
ここでの「どうやって?」は、案をつくる際の参与の度合いを問うている。
何かを構想し決めることを、複数人がリアルタイムに集まっていっしょに議論して考えてつくりたいなら冷たいメディア。
そうではなく役割分担して個々人がそれぞれつくったもの(情報量が多い)を時間差を設けてやりとりしながらレビューしたり調整したりしながらつくりあげるなら熱いメディアを使うのがよい。
そんな使い分けだ。
ところが、いまはslackのようなテクストベースのやりとりだと齟齬が出るとか、うまく伝わらないなんてことが、まことしやかに囁かれ、何でもかんでもビデオ会議のようなツールで話す方向に傾きがちだ。
そこで集まった全員が、そのときの仕事の目的として「つくりあげる」べき答えをいっしょにつくることに参与する姿勢になっていて、実際にそれをするなら意味がある。
しかし、誰もそのつもりもなく、しかも、誰もひとりでアイデアを考えて持ち寄ってきているわけでもなければ、単なるおしゃべりである。
それは仕事ではない。
効率の議論の前に、何を効果とするかの議論が必要
仕事ではないことに「齟齬が出る」とか「うまく伝わらない」なんてことはそもそも無関係である。
つまり、それはリモートワーク環境下における仕事の生産性をあげるにはどのような生成方法をとるべきかという本当の問題を問うことなく、コミュニケーションの効率の話にすり替えて、安易にツールの議論をしてしまっているわけだ。
その仕事で何が求められており、その実現のためには何をアウトプットするかが明確になっていてはじめて、そのアウトプットをつくる作業を誰がどのように行うのか、それに伴うコミュニケーションはどのようなものをどういうツールを用いて行うかを議論する意味が出てくる。
その最初の「何のために(効果)」「何をアウトプット(効果を生む施策)」についての議論がないのに、「どうやって(作業方法とコミュニケーションの方法)」の議論ができるはずがない。
適切な手順をちゃんと踏んでいない。
なのに、何故かコミュニケーションツールの話だけがそれとは無関係に行われる。
そして、たいていビデオ会議が選ばれる。
たぶん、個々が事前に案をちゃんと準備して他人にわかる形につくっておくことを怠けたいからだろう。
それははたして仕事なのか? 社会の役に立とうとしているのか?
何のために何をやるかを決めていないのに、どうすれば効率的かを話していることになるが、どんなに効率的でもやっていることがそもそも目的とあってなかったら効率は無意味だ。
個々がちゃんと構想し企画する
コロナ禍で世の中が完全リモートワークに移行しはじめた4月の頃、「同期型と非同期型」という記事でこんなことを書いた。
同期から非同期になるとは、どういうことか?
それは話し言葉中心から、文字中心の仕事に変わるということである。
音声という時間とともに失われるものから、文字という時間の経過によっても失われない言葉を主に切り替えることで非同期の可能性が広がる。
仕事で必要なアウトプットをつくるのに、ビデオ会議での共創というのは非効率であることが多い。
メディアとしての参与度合いが、どうしてもオフラインのワークショップなどに比べて少ないし、同時に複数人が喋れないからマクルーハンが熱いメディアのほうに分類したラジオのように、喋っている人以外がリスナーになってしまいがちだ。
もちろん、準備や工夫をこらせばオンラインでの共創も可能だが、日常的に毎日何本もそういうセッションを行うのは現実的ではない。
であれば、無理に同じ時間、同じ場を共有して共創しようとするより、個々それぞれが事前にちゃんと構想、企画の案を考えて、ある程度まとまった案を事前に共有した上で、ディスカッションしたほうが生産性は上がる。
そして、このリモートワーク中心の仕事の環境で、個々人に求められるのはそういう構想、企画を考え、まとめるスキルである。
そういった個々人での構想や企画の作業を受けもつのを怠けて、ビデオ会議で集まって他人の顔色を見ながら、なんとなく仕事をしているフリをしているようなことが多いのではないだろうか。
ビデオ会議かチャットかの議論もどちらが求められるアウトプットをつくるのに効率的かではなく、どちらが顔色を伺って発言するのに向いているかで話されている気がしてならない。
異なるメディアの上で仕事の仕方を問い直す
リモートワークのほうがよいかどうかというテーマについても、ちゃんと社会的に価値あるアウトプットを生むのに、いまの、これからの社会環境において望ましいかどうかで議論されていない。
パンデミックという状況をみても、環境負荷を考えての移動量の軽減という観点からも、今後リモートワークにシフトしていく流れにあると思われる。
だが、そうした環境下において仕事の生産性を高めるためにはどのような方法を採用すべきか?という観点で、僕らはまともな意味での「働き方」の議論をしていかないといけない。
その際、方法に対して無意識下に影響を与えてしまうのが、マクルーハンのいうメディアである。
すべてのメディアが人間の感覚の拡張であるが、同時に、それは個人のエネルギーに課せられた「基本料金」でもある。それはわれわれ一人一人の意識と経験をまとめあげる。
オフィスというメディアの上で仕事をするのと、オンラインツールというメディアの上で仕事をするのとでは、個々人が支払う基本料金が異なる。
当然、それはメディアがどの感覚を拡張してくれるのかというサービス内容の違いにもなる。
僕らの意識と経験がメディアの違いによって変わるのに、それが仕事の生産性に与える影響力を無視して、どうすれば仕事の生産性が上がるかを問うこともなく、人間関係やコミュニケーションの快適さのようなことばかり議論してしまうのは、どうなのだろう。
僕らは、もう一度、ちゃんとこのリモートワーク環境下での仕事の仕方を生産性という観点から考える必要がある。、
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